その言葉に奈々香は答えず、代わりに雅嗣のスマートフォンが鳴った。
彼はスーツの懐から端末を取り出し画面を見る。するとそこにはショートメッセージが表示されていた。
『録画は時間で消える仕組みで、既に消えています。立花デジタルの本社になら残ってるかも』
それを素早く確認した雅嗣は奈々香に視線を向ける。
「大丈夫ですか?」
目の前の社長に気付かれないように発した単語。それは、立花デジタルに無断でアクセスする事の許可を意味していた。
捜査権のない彼らにとって、他会社のシステムにアクセスするのはハッキング行為に当たる。当然処罰の対象となるのだが、他に方法がないのも事実だった。
「……問題ない」
その合図と同時に、奈々香は立花デジタルへのハッキングを開始した。
もはや素人では何をしているのかさえ理解できない行為。しかし理解できる者が見れば、確実に目を見張る程の行為をしていた。
何をしているのか判断できない社長は、微かに苛立ちながら雅嗣に話しを振る。
「私はこの工場を必死で守ってきました。不正など行ったことはありません」
「不正ではなく、ハラスメント行為です。先ほども説明しましたが、アンドロイドに対する不当な扱いの事を追及しています」
あくまでも冷静に反論する彼の態度にもイライラを隠せなくなってきたらしく、溜息を吐いてソファから立ち上がった。
「まったく、突然現われたくせに。対応している私の身にも」
様々なことを呟きながら事務所内を徘徊し始めた社長を、雅嗣は鋭い視線で見張っていた。
「記録ありましたよ」
その言葉に、事務所を歩き回っていた社長も奈々香の後ろに立って画面を凝視する。
全員が画面を見ている事を確認して、奈々香は映像を再生する。
日付は4月24日。工場内を完璧に映し出していた。
「早送りで再生しますね」
朝の朝礼から始まり、体操をして持ち場に就く。
暫くは何事もなく従業員が働いていたが、昼休憩のタイミングで1つのグループが、1人の従業員に近づく様子が映っていた。
「ここを拡大」
「了解です」
奈々香がキーボードを操り、指定された箇所を中心に拡大する。
近づいてきたグループが何かを喋りかけ、笑っている。言われた方は不快感を覚えているようだが口論を避けているように見える。
言い返して来ないのが腹に据えかねたのか、蹴りを入れて笑う。その行為がきっかけとなり、一方的な攻撃が始まった。
小突かれたり蹴られたりしながらも、ひたすら耐える光景が映っていた。
「これが我々に送られてきた内容です」
映像を見ていた社長は数歩後ろによろめきながら
「ハラスメントの実態は確認しました。本人たちにも聴取をしたいので、協力して頂けますね」
「……はい」
社長からの呼び出しに、仕事を中断して事務所に連れてこられた彼らは戸惑っていた。
男性が5人。そのうちの4人は全員が19歳から21歳の若者で、見た目だけで判断するのであれば、不良の印象があった。
そして被害を受けていたアンドロイドのソカ=ルレン。きっちりとした髪型と、端正な顔立ち。年齢で言えば20代前半くらいだろう。
「社長、何ですか、これ?」
加害者のうちの1人が問うと、社長は元気なく答えた。
「こちらのS区役所の方々が、君たちの行為に問題があると言っている」
彼らにも先ほどの映像を見せると、何の用件か理解できたらしい。
「あれはちょっとした冗談で、スキンシップですよ。なぁ」
話しを振られた他3人も同調して頷く。
「そうっすよ。俺らの中でもやってる事っす」
などと言っているが、端から加害者の言い分には期待していない。
「本当にふざけているだけかどうかの最終判断は司法が決める事です。我々は被害者の証言を元に証拠を集めるだけです」
淡々と言い放つ雅嗣。
「だいたい、最初に喧嘩を売ってきたのはコイツですよ。コイツが俺たちの事をバカにしてきたのが始まりです。それを一方的に加害者だと言われるのは納得できません」
1人がそう言うと、社長も加勢に入る。
「もしそうなのであれば、彼らだけが悪者になるのはおかしな話しですな」
どうなんだい? と、被害者のアンドロイドに話しを振る。
「僕は何もしていません。アンドロイドだからという理由で殴られたり、暴言を吐かれたりしています」
社長に従って穏便に済ませることも出来たが、今までの屈辱を黙っている事など出来なかったらしい。
「本人の証言も取れましたし、こちらとしては――」
「それは彼が勝手に言っているだけでしょう? 証拠を出して頂きたい」
雅嗣が切り上げようとしたのを社長が遮った。確かに言った言わないの問答になってしまえば、数の多い方が有利になることも少なくない。
「貴方は型番でいえばMR-26weですよね?」
突然に奈々香が問うと、アンドロイドの青年は驚いたように頷いた。
「はいそうです。MR-26weで間違いありません」
「それなら彼の目には録画機能がありますね」
録画機能。そんな言葉を聞けば平静でいられないのは加害者たちだ。一様に表情を曇らせ、震えている。
「この型は元々が警備用に設計されていますから、必要な装備なんですよ」
施設の見回りなどを主な仕事とする前提のため、アンドロイドが見たものを録画して保存する事ができるシステムが搭載されていた。
「確認するので、眼を貸してもらえますか?」
「わかりました」
青年はそう言うと、一瞬だけ虚空を見つめた。恐らく彼の中で設定を変更したのだ。身体の機能がエラーを起こさないように、義眼を外すことを自身で許可する。そうして安全が確保されたところで、瞼の辺りを指で擦る。すると、ピピッと電子音が流れ義眼が彼の掌に落ちた。
「お願いします」
その言葉と共に目を奈々香に渡す。
「任せてください」
受け取った奈々香は、瞳の反対側にあるコネクターにケーブルを差し込み、義眼にアクセスした。
再びキーボードに指を這わせ、なめらかに淀みなく作業をこなしていく。アンドロイドの眼にアクセスできるのは限られた人物だけであり、もちろん彼女も対象外。通常は手続きをしてから正式にアクセスするのだが、仕方がない。
もちろんバレれば大変なことになるのだが、その事についても問題はなかった。
(アイドス・キュエネーだった私が、足跡なんて残さないけどね)
アイドス・キュエネー、それは奈々香の後ろめたい過去であり青春だった。
当時13歳だった奈々香を夢中にしていたのは、祖父母に買ってもらったパソコンだった。誰とでも繋がれる、もう一つの世界。朝から晩まで画面に齧りついていた結果、彼女は知りたい情報をどんな手段でも手に入れる力を手に入れた。
アイドス・キュエネーと名乗って暴れまわった事で捕まったりもしたが、奇跡と幸運によりアンドロイド共生課に就職するという取引によって、牢獄生活を送らないで済むようになっていた。
そんな元ハッカーである彼女にとって、足跡を残すようなヘマはしないし、痕跡を消した痕跡も消し去るのは難しいことではない。
防犯カメラでのハッキングなどとは比べ物にならない厳重さだが、問題なくクリアしていく。
そして5分が過ぎたところで、目当てのシーンを探し当てる。
「一ノ瀬さんの携帯に転送します」
必要なデータを送り、自分はハッキングの痕跡を消す作業に入る。
雅嗣は送られてきた映像を確認して、社長たちに画面を向け音声ボリュームを最大にする。
『なんで、お前らの身体なんか作んなきゃならないんだよ』
『人間様の方がロボットなんかより偉いに決まってんだろ』
『僕はどちらが偉いなんて話しはしていませんよ。ただ嫌がらせを止めてほしくて』
『うるせぇッ』
バコッ! ガキッ!
『止めてください。内部部品が損傷したら――』
『それでぶっ壊れたら、廃品回収の業者に届けてやるよ』
『缶詰の缶として、第二の人生でも歩んでくれ』
その画面いっぱいに映っていたのは、悪魔のような顔をした男たちだった。
「これで間違いないですね。貴方たちがやった事は、アンドロイド法第5条に抵触する。禁錮3年、50万円以下の罰金だ」
雅嗣の言葉を聞いた4人は青ざめ、社長も言葉を失っていた。