それに答えることなく雅嗣は車を発進させる。
「解ってると思うが、喧嘩をしに行く訳じゃない。俺たちの仕事は出来る限り平和に解決することだ」
「わかってますよ。だいたい、私喧嘩なんてやった事ありませんし」
区役所は警察ではない。なのでアンドロイド絡みと言えど人間への逮捕権は無い。
公務執行妨害を受けたとしても、警察の様にその場で逮捕はできないので、捜査をしてもらい後日の逮捕になる。
そのため、襲われる事があったとしても反撃よりも逃げたほうが賢いと言えた。
車を走らせること20分。告発文にあった工場に到着した。
「ここだな」
「そうですね」
2人が見るのは何の変哲もない工場。
「この工場で生産されてるのは、アンドロイドの内部部品みたいですね」
奈々香がノートパソコンを広げてホームページを確認して言った。
「とりあえず、中に入ってみるか」
車を停め、2人は工場内に入る。
工場内は機械音と薬品とオイルの匂いが満ちている。従業員たちは揃いのツナギを着込んで汗を流していた。
「すいませーん」
とりあえず声を出してみるが、奈々香の声は機械の音にかき消される。
「行くぞ」
雅嗣は何も気にする素振りもなく工場内を進んでいく。
「怒られませんか?」
「声をかけたけど気付かれなかったんだ。仕方ないだろ」
誰か手の空いている従業員に声を掛けようとした矢先、怒鳴り声で呼び止められた。
「誰だアンタら。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
声の主はツナギを着た中年の男性。明らかに
「S区役所アンドロイド共生課の一ノ瀬と言います。代表者の方はいらっしゃいますか?」
「? 社長は私だが」
「それなら話しが早い。実は告発文が送られて来たんです」
「告発文、何ですかそれは?」
「ここではなく、どこか別の場所で話せませんか?」
「普通はアポイントメントを取ってからの面会だと思うんですが」
遠回しに迷惑だと言っているのはわかる。だが、状況が許してはくれない。
「緊急の案件だと判断しました。拒否しても構いませんが、どうしますか?」
穏やかな口調だが、雅嗣は質問している。拒否するのは覚悟がいるぞ、と。
役所の人間を敵に回すのは得策ではない。下手に目を付けられても迷惑だし、面倒ごとが増えるだけ。
(って考えてそうだな)
奈々香は男性の表情から何となく読み取った。
「……わかりました。事務所で話しを聞きましょう」
渋々了解し、2人を事務所に案内した。
機械音が響いていた工場内と違い、そこは静かだった。
「それで、話しとは」
3人はソファに腰を降ろして向かい合う。本来であれば、お茶の1つでも出すのだろうが、望んだ来客ではない事を主張したいのか、そういった対応は見せなかった。
「告発文の内容は、従業員のアンドロイドに対して暴言と暴力の被害にあっている。というものです」
「それは確かな事でしょうか? 告発者の名前は?」
「名前は言えません。真偽を確認しに来ました」
互いに圧力を掛け始めているので、新人の奈々香は入れる隙間が無い。
「貴方は社長として、何かを見聞きしていませんか?」
「そのような報告は聞いていません。それにウチの従業員には、しっかりと教育を受けさせています。例え相手がアンドロイドであったとしても、しっかりと面倒を見るように私から通達しています」
「そうですか。では、他の従業員の方たちからも話しを聞かせて貰えませんか。手短に終わらせますので」
その言葉に、社長の表情は焦りを帯びた。
「それは無理です。今日は納期が迫っているので、従業員達には急いでもらっているんです。聞き取りは後日にしてください」
いや、後日だと口裏合わせるに決まってるだろ。という言葉を飲み込む奈々香。
「そうですか。では防犯カメラを見せて頂けますか? 工場内の隅に設置されてましたよね」
雅嗣は抜け目なく工場内を把握していた。従業員の状況把握か窃盗犯対策用に設置されているカメラの存在を見逃してはいなかった。
「防犯カメラは確かにあります。ですが……なんというか」
明らかに社長の目が泳いでいる。という事は、知られたくない事が映っているのだろう。
しかし区役所に強制する権限は無い。なので話術をもって、拒否をさせないように話しの流れを持っていくしかない。
「なんというか?」
「…………実は防犯カメラをパソコンで確認するためのパスワードを紛失してしまったんです。最近は覚えるのも一苦労だったので紙に書いていたのですが、無くしてしまって。なので防犯カメラも事情聴取も後日になりませんか。お願いします」
頭を下げて
「パスワードですか。……御門」
自分に視線を向けられた意味を理解した奈々香は、鞄の中をかき分けてある物を取り出した。
「パスワードくらいなら大丈夫です」
そう言ってテーブルの上にノートパソコンを置いた。
「パスワードの設定は、あのパソコンでやったんですよね?」
奈々香は事務所の隅にあるパソコンを指さした。
「ええ。あ、いやッ」
咄嗟の反応だったらしく、誤魔化すのが遅れたらしい。
奈々香は否定は聞こえないふりをして、パソコンに近づいて電源を入れる。
軽い駆動音を立てながらパソコンが立ち上がる。
デスクトップ画面になると、奈々香はUSB端末を差し込んでソファに戻ってきた。
「今、あのパソコンと私のパソコンをリンクさせました」
そう言うと、彼女はものすごい速さでキーボードを叩き始める。
「あぁ、あの防犯カメラって立花デジタルですか。それなら」
などと言いながらキーを入力していく。
「な、何をしようとしてるんですか?」
社長は堪らず質問するが、集中している奈々香は答えない。その代わりに雅嗣が口を開いた。
「彼女はパソコン関係に詳しいんです。パスワードを無くしたくらいなら、簡単に探し当てますよ」
その言葉は社長にとっては最悪の宣告だった。それが分かるほどの顔色をしながら、しかし妨害も出来ない状況で、社長は怯える事しか出来なかった。
「はい、パスワードは見つかりましたよ」
「そうか。ついでに俺が言う日付の映像を確認してくれ」
雅嗣の指示にしたがい、奈々香が防犯カメラの記録を探っていく。
「あったか?」
その言葉に奈々香は答えず、代わりに雅嗣のスマートフォンが鳴った。