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第9話

 今一番会ってはいけない人物に遭遇してしまい、アンネリリーは焦りの色を見せている。


「もう。中々会ってくれないから、飽きられたのかと思って結構落ち込んでたんだよ?」


 そう言いながら、カイザーは手慣れたようにアンネリリーを抱きしめた。


 あまりにも自然だったので、避ける間もなかった。


「ねえ、師団長相手にどんな手を使ったの?それとも、弱みでも握った?それなら僕にも教えてよ」


 顎に手を置かれ、頬にキスしながら訊ねてくる。その表情は虎視眈々と獲物を狙っているようだった。師団長だろうと自分の駒に加えようとしている辺り、長年アンネリリーの傍にいただけのことはある。


 まあ、ダリウスはカイザーの口車に乗せられるような相手ではない。そんなことよりも、今この状況をどうにかしなければ。


「弱みなんて握ってないわ」


 カイザーを押し退けながら伝えた。


 まさか押し退けられると思っていなかったようで驚いたように「なんで?」と呟いてる。


「あのね。私はもう悪女を演じるのが疲れたの。これからは穏やかに過ごして生きたいのよ。だから、貴方との関係も今日までよ。カイザー」


 真剣な表情で言い切ったが、カイザーは訳が分からないと言った感じでこちらを見ている。


(そりゃそうだ。唐突に縁を切ると言われて素直に納得できる者はいない)


 さて、どうするかと考えを巡らせていると「あははははは!!」とカイザーの笑い声が響いた。


「君が心を入れ替えるだって?くっくっく、どんな冗談だい?」

「なっ!!冗談なんかじゃないわよ!!」


 笑いが止まらないといった感じで言われ、思わずムキになって言い返してしまった。すると、カイザーは瞳の色を変えて襲い掛かって来た。

 ベンチに押し倒された衝撃で「痛ッ!!」と声が漏れたが、気にせず覆いかぶさって来た。


「…許せないなぁ。約束しただろう?堕ちる時は一緒にって…忘れたの?それとも、あの魔術師に何かされた?」

「違う!!」

「へえ?その割には珍しく焦ってるようだけど?なんで?」


 血走った目で問い掛けられ、震えを誤魔化すようにギュッと唇を噛み締めた。こんな事で怯えていては、悪女の名が廃る。いや、廃るのは一向に構わないが今は困る。


 出来るだけ平然を装い、カイザーを睨みつけた。


「いい加減にして。貴方だって分かってるでしょ?この辺りが潮時なのよ」


 こちらの気持ちが変らないのを察すると苛立ったように眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を元に戻し気持ち悪い程の笑みを浮かべた。


 見たこともない顔にゾクッと首筋が粟立つ。


 表情を変えないままアンネリリーの手首を掴み拘束すると、荒々しく胸元からドレスを破った。


「ッ!!」


 一瞬の事で、抵抗することも出来なかった。


「何するの!?」

「君だけ幸せになろうって?そんなこと許さない。一緒に堕ちよう?」


 首筋にキスされ、そのまま舌が這う。


(気持ち悪い…!!)


 恐怖よりも不快感で泣きそうになる。


「やめて!!」

「今度は嫌がるフリ?いいね。その表情…最高にそそるよ」


 必死に抵抗してみるが女の力では到底敵うはずなく、身体を這う手は徐々にドレスの下の方へ向かって行く。

 大声を出したところで夜会の音にかき消されてしまう。絶望すら感じる状況に、堪えていた涙が溢れだしてくる。


「ヤダなぁ、泣かないでよ。僕が悪いことしてるみたいじゃない。君が悪いんでしょ?」


 溢れる涙を拭いながら、この行為を正当化しようとする。この小説にまともな人物はいないのかと力いっぱい作者に文句をぶつけたい。


「こんな場面ところ誰かに見られたら婚約も破棄だよね。折角の婚約だったのに残念」


 少しも残念そうには見えない。むしろ愉しんでいるように見える。


 もう駄目かも……弱気になり、力を抜いた。カイザーはニヤッと微笑むと、アンネリリーの頬に手を添えキスをせがむように顔を近づけてきた。


(ごめんなさい…)


 誰に対しての謝罪なのか分からないが、頭の中で呟いた。その時──


 ドプンッ


「!?」


 覆いかぶさっていたカイザーの上半身を水の球体が包み込んだ。


「随分と身の程を知らない者がいたものですね」


 冷静で落ち着いた声に聞こえるが、表情を見て全身が凍り付いた。怒り、嫉妬、憎悪…そんな言葉で片づけられない。


「ダ、ダリウス様…?」


 勇気を奮いだたせ声をかけると、黙ったまま自分の上着を脱ぎ私の肩に羽織らせ、優しく包み込むように抱きしめてくれた。その温もりが怖気でいた心を溶かすようだった。


 自然と手がダリウスの服を掴み、縋るように顔を擦り付けた。


「助けに来るのが遅くなってすみません。怖かったですね。もう大丈夫」


 一度だけギュッと力強く抱きしめると、ゆっくりと体を離した。


「少しだけ待っていてください。…虫けらの処理をしてきます…」


 スゥと瞳から光を消し、息が出来ずにもがいているカイザーに目を向けた。


 殺人なんて生ぬいものじゃない。あの目は殺戮者の目だった。

 このままではカイザーの命は確実に失われる。怖い目にあわされた身としては「ざまぁw」と思うところだが、目の前でそんな場面を見せられたら目覚めが悪すぎる。


(トラウマもいいとこよ)


 アンネリリーは意を決して、ダリウスの服の裾を掴んだ。



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