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第8話

 ある日の麗らかな午後。

 私の目の前には険しい顔の父が、頬杖をついてこちらを睨み付けている。

 思い当たる節があり過ぎて、何に怒っているのか分からない。


「ヴァグナーの愚息がお前に会いに来らしいな」


 その一言を聞いて「あぁ~、そこか」と分かりやすく顔を顰めた。


「あの男はいい噂を聞かないから関わるなと何度も言っているだろうが。お前には立派な婚約者がいることを忘れるな。折角結んだ縁を無駄にするような行動は慎め」


 鋭い視線と冷たく厳しい口調。

 娘を心配するというより、婚約が破棄されるのを恐れているように聞こえる。


 公爵ともなれば体裁や外聞を気にするのは分かるが、少しは娘にも気を配って欲しい。まあ、今までの所業を考えれば、当然の結果だけど。


 アンネリリーは小さく息を吐くと、顔を上げた。


「申し訳ありません」


 静かに謝罪を口にすると、父は少し驚いたように体が震えた。


「お父様が言うことはもっとです。これからは今までの行いを悔い改め、慎ましく穏やかに過ごしていこうと思っております」


 胸に手を当て、睨みつける父の目を真っ直ぐに見ながら宣言した。


「はぁぁぁ…」


 そんなアンネリリーの姿に喜ぶこともなく、出てきたのは大きな溜息。


「この場しのぎで取り繕ったって駄目だ。お前の性格は親である私がよく知っている。その程度で誤魔化せると思うな」

「違います!!本当に私は──!!」


 否定するように声を張り上げるが「黙りなさい」と言う重く冷たい言葉にグッと息を飲んだ。

 向けられる目は、愛する娘に向けるような暖かいものでは無い。


「植え付けられた印象というものは、そう簡単に剥せるものでは無い」


 血の繋がった父にすら信用がない。自業自得だと言われればそれまでだが、こうも頭ごなしに否定されると流石に堪える。


「世間からのお前を見る目は厳しく奇異的なものが多い。それを変えるとなると、生半可な気持ちではなり得ない。分かっているだろ?」

「…………」

「悔い改めると豪語するのなら、まずは他者からの目を変えてみろ」


 はっきりと言われ、アンネリリーは唇を噛み締めるしかなかった。


 そこまで言われたらこちらだって黙っちゃいない。


 信用されていない悔しさや悲しみよりも、苛立ちと怒りが込み上げてきた。


「分かりました。そこまで言うのなら、私にも意地があります。世間からの印象を変えて見せます」


 バンッ!!と大きな音を立てながら机を叩き啖呵を切るが、父の方は冷静を保ったまま動じない。


 出来るわけが無い。そう言われているようで、拳を強く握りしめた。


「…失礼します」


 このままここにいると精神衛生上良くないと、部屋を出ようとした。


「三日後、城で夜会が開かれる。そこで、お前の婚約を正式に発表する事になる」


 背後から伝えられるがアンネリリーは振り返ることなく、黙って部屋を後にした。


 くだらない事言っていないで、身の振り方を考えろと言うことなんだろうな。


(クソ親父)


 苛立ちを隠すように足早に廊下を進み、部屋へと戻った。


 バンッと大きな音を立ててドアを閉めると、目の前のソファーに倒れ込んだ。


 勢いよく啖呵を切ったはいいが、父の言う通り世間からの目は厳しいもの。


 街を歩けば目を合わせてくれる者はおらず、関わりたくないと身を隠すように背を向ける者ばかり。


 同じ屋根の下にいる使用人らだって挨拶こそ交わしてくれるが、陰でコソコソしているのは知っている。


 小説ではダリウスと一緒になった後、アンネリリーの姿を見かけたという者はいない。何故なのかは今更口にしないが、問題なのはアンネリリーを見かけなくなって、心配する者が誰もいないと言うこと。


 人一人いなくなって、心配するどころか喜々とする者や嘲罵する者ばかり。


 今のところ、ダリウスとの仲は順調?だと言えるが、今後何があるか分からない。

 万が一という事も考えて、自分が居なくなった時に探してくれる味方が欲しい。


 私の元にいるのは現状、ミケ一人。流石に心もとない。


 あまり悠長な事は言ってられないが、まずは積極的に話しかけて害がないことを分かってもらった上で、仲を深めていこう。


「……うん。いける!!」


 拳を作り、気合を入れた。




❊❊❊



 周りの人間と仲を深めようと決意したはいいが、ろくな成果も得られず三日が経ち夜会当日。


 綺麗に着飾ったアンネリリーは、テーブルに肘を付き頭を抱えていた。


「…………憂鬱だ」


 ダリウスとの婚約を公表する為に城に来ているが、今更公にしなくとも大抵の者は耳にしているはず。その証拠に、城に着いて早々女性陣からは妬みや恨みなどの冷ややかな視線。男性陣からは好奇な視線を浴び、隠れるようにして用意された部屋に駆け込んだ。


「こんなの、見世物もいいところじゃない…」


 本番はこれから。更に多くの注目を浴びることになる。それを考えたら、いてもたってもいられなくなった。


「………外の空気吸ってこよ」


 気分を変えようと、重い腰を上げ部屋を出た。


 出来るだけ人と会わない回廊を選び歩いて行くと、真っ白なベンチが置いてある庭先に出た。周りを見渡してみるが人の気配はなく、丁度いいとそのベンチにゆっくりと腰を下ろした。


「ふぅ」


 一息吐きながら空を見上げた。今日は空が澄んでいて綺麗な星が良く見える。


「綺麗ね」


 顔を綻ばせながら呟いた。先ほどまでの不安もいつの間にか消えいて、心が穏やかに感じられる。


(まるであの人みたい)


 ふと頭に浮かんだのはダリウスではなく、騎士団長の方だった。


 静かで穏やかに輝く星空のように、優しい笑みを向けてくれる彼……悪女であるアンネリリーにそんな顔を向けてくれたのは彼だけ。


 だからこそ、彼にアンネリリーだという事を知られるのが怖い。


「いかんいかん」


 余計なことを考えて、ダリウスに知られたら面倒だ。そう考えたところで腰を上げ、部屋に戻ろうとした。


「やあ」


 立ち上がった所で、一人の男と目が合った。


「探したよ」


 男は満面の笑みを浮かべながらアンネリリーに近寄って来た。


 女性受けのよい綺麗な顔立ちに、アンネリリーだと知った上で話しかけてくるところを見ると、この男……


「カイザー………?」

「久しぶりだね。アンネリリー」


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