アンネリリーは沢山並んだ本棚から、一冊の本を手に取ってみた。
重く分厚いその本は、中を開ければ文字ばかり。難しい言葉で書かれているので、全く理解どころか解読すらもできない。
「それは単純な魔術の扱い方が書かれているんですよ。そうですね…例えばこんなものとか」
ダリウスがおもむろに手を開くと、ポッと小さな炎が現れた。
「わぁ!!」
始めて見る魔術に驚きと感動で目を輝かせた。
「ふふっ、子供のような反応をしてくれますね」
「だって、初めて見たんですもの。凄い…本当に火だ…」
ダリウスの手を掴み、ジッと小さな炎を見つめている。ダリウスは「ふっ」と顔を綻ばせた。
「では、特別にもう一つお見せしましょうか」
パンッと手を叩き呪文を口にすると、上から白く冷たい雪が降ってきた。
「わぁ、雪!!!」
この国は温暖な気候ゆえ、雪なんて降らない。前世でも雪は数年に一度程度しか見れない土地に住んでいたので、雪を見ると年甲斐もなくはしゃいでしまう。
そんな姿をダリウスは微笑ましく見つめている。
「こんな部屋の中に雪を降らすなんて、ダリウス様は凄いですね」
振り返りながら、笑顔を満開にして言うアンネリリー。
曇りのない笑顔を向けられたダリウスは一瞬、時が止まったように動けなくなった。だが、すぐに正気に戻ると顔を手で覆った。
その顔は真っ赤に染まっており、アンネリリーに気付かれぬ様に体を背けた。
雪に夢中なアンネリリーは、ダリウスの変化に気が付かなった。
❊❊❊
「へっ……くちゅ!!」
屋敷に着くなり、盛大なくしゃみが出た。
「風邪ですか?」
「ん~、ちょっと温暖差でやられたかも」
「?」
鼻を啜っていると、ミケが素早く肩掛けを持ってきてくれた。流石に雪で遊んでたなんて言えない。
あの後、ダリウスは様々な魔術や薬草の扱い方についても教えてくれた。
物覚えの悪い私が何度聞き返しても倦厭することなく丁寧に教えてくれた。
時折お互いに笑い合い、冗談を言えるまでになっていた。とても楽しく穏やかな時間だった。
この時ばかりは小説の事など頭から抜け落ち、余計な事など考えず素の自分でダリウスに向き合えた。
ダリウスの方も、悪女とはほど遠い姿に驚きもせず私に合わせてくれていた。
(このまま順調に行ってくれれば…)
そう思っていた。
「あ、そう言えば、お嬢様が留守の間にヴァグナー伯爵が訪ねて来ましたよ」
「!?」
「もぉ、一目見たい使用人達がこぞって集まって来て大変でしたよ」
ミケは疲れた顔をしながら教えてくれた。
カイザー・ベート・ヴァグナー。原作の小説でも度々登場してきたこの人物。
アンネリリーが囲っていた男の一人であるこの男は、甘いマスクで女性達を虜にし言葉巧みに誑かして、要らなくなったらゴミのように捨て去る。百歩譲って、ここまでなら女の敵で済むが、この男には隠されたもう一つ、裏の顔がある。
それが、違法取引。
密輸や人身売買。危ない薬や盗品など様々なものに手を出してる。そして、アンネリリーもその事を知った上で傍に置いていた。
悪事はいずれ暴かれる。その言葉通り、終盤で摘発され投獄される。勿論アンネリリーの名も上がるが、取引に直接手を出した訳ではないので、捕らわれることはなかった。
だがカイザーとの仲は明るみになり、ダリウスの嫉妬心が業火の如く燃えることになる。
(このタイミングで現れる!?)
順調にダリウスとの関係が築けそうな兆しが見えたところでこれだ。
やはり原作は変えられないのか…そんな不安がアンネリリーの脳裏を過ぎる。
「どうかしました?顔色が悪いですよ?」
「あ」
「もしかして、具合が悪いんですか!?もう、早く言ってください!!」
反論する間もなく、慌ただしくベッドに寝かされ手しまった。
「風邪は引き始めが大事なんです!!今日は大人しく寝てること。いいですね!?」
鼻息荒く言い切ると、温かい飲み物を持ってくると言って慌ただしく部屋を出て行った。
静かになった部屋で柔らかく暖かい布団に包まれれば、先程までの悩みが頭から消え去り、眠気が襲ってくる。
本当は寝ている場合では無いんだろうけど、今はもう何も考えられない…
アンネリリーは、ゆっくりと瞼を閉じた。