「ななななな、なんで!?」
まさかの人物登場に分かりやすく狼狽えるが、ダリウスは黙って微笑んでいる。
何とも言いようの無い雰囲気に、この場から逃げなければと警告が頭を駆け巡った。慌てて馬車を降りようとしたが腕を掴まれ降りられず、ダリウスの合図で馬車は動き出してしまった。
「…………」
例えようのない威圧感と剣呑な雰囲気に、息をすることさえ忘れそうになる。
こんな時、どんな反応を見せたら正解なのか…
「先程の、あの男はどう言った関係の方でしょうか?」
「!!」
唐突にかけられた言葉に、冷や汗どころか心臓が止まりかけた。
まさか見られていたなんて…!!誤魔化す?いや、この人に誤魔化しは通用しない。下手に誤魔化して、拗らせる方が余っ程面倒だ。
動揺を落ち着かせるように深く息を吐くと、ダリウスに向き合った。
「……あの方が誰かなのかは知りません。余所見をしていた私がぶつかってしまった方です」
嘘は一つも言っていない。あの人にこれ以上迷惑はかけられない。この男の目を付けられないように、慎重に言葉を選びながら伝えた。
「それにしては随分と仲が良さそうでしたね?」
「自分の不注意でぶつかった相手を無碍には出来ませんから」
「……配慮と言う言葉を知らない貴女が?」
笑みを消し、アンネリリーを瞳に映しながら聞き返した。
(まずい…!!)
悪女と呼ばれている者が他者を気に掛けれれば、それは何か裏がある時と相場が決まってる。
「一体、どういう風の吹き回しですか?それとも、何か企んでいるんでしょうか…?」
低く冷たい声で詰め寄られ、言葉につまる。ここで詰まっては逆効果だと分かっているのに、言葉が出ない。
蛇に睨まれた蛙ってこんな感じなんだな。と現実逃避する位には気圧されている。
「リリー。貴女の婚約者は誰です?」
名を呼ばれてドキッとした。
「えっと、貴方様です…」
「ん?よく聞こえませんね。もう一度宜しいですか?」
聞こえているはずなのに、聞き返すということは…
「………ダリウス様です」
名前で言い返すと、満面の笑みを向けられた。
「そうですね。婚約者がいるのに、他の者にうつつを抜かしてはいけませんよ?」
先程とは打って変わって、酷く優しい口調で言われた。そちらの方が逆に恐怖心が増すのだが… ここは大人しく謝っておくに限る。
「ごめんなさい。気をつけます」
「おやおや、気味の悪いほど素直ですね…」
流石のダリウスも、アンネリリーが謝罪の言葉を口にした事に驚いた様で、大きく目を見開いていた。
「ふふっ、素直でいい子は許しましょう。……ですが、次はありませんよ?」
頬にキスをされながら、釘を刺された。
「今後あの様な場所も禁止です。人肌を求めるのなら私の所に来て下さい。いくらでも相手になりましょう。いいですね?」
手を取りながら言うダリウス。
今回は何とかなったが、これは私が思っている以上に厄介かもしれない。
アンネリリーは痛む頭を誤魔化すようにしながら、引き攣った笑顔をダリウスに向けた。
❊❊❊
「黒髪に琥珀色の瞳…ですか?」
次の日、ミケに舞踏会であった男について聞いてみたが、特徴がその二点しかないので、手がかりとしては薄い。
あと言えることは、逞しい体つきに上流階級であろう装い。
「う~ん…それだけでは何とも言えませんが…その条件で思い当たるのは、私が知るところでは一人だけですね」
「誰!?」
「騎士団長様です」
騎士団長と言えば、齢38にして未だに独身を貫いている人だ。人気がありながらも、浮いた話を聞いたことがない硬派な人。
遠目でしか見たことはないが、歳の割には若く見えた。騎士らの信頼も厚いようで、いつも楽しそうな声が聞こえている。
騎士だったら、あの体つきにも納得がいくか…
「団長様と決まった訳ではありませんけど、可能性は高いと思いますよ」
「そうね」
一度確認してみようかな…
「何かあったんですか?」
「…ううん。別になんでもない」
別にやましい事はしてないんだから、ミケには話してもいいかな…とは思う。だが、煙のないところに火は立たない。ここは警戒しておくに越したことはない。
少し心苦しさを感じたが、黙っている事に決めた。