仮面舞踏会当日。
「…来ちゃった…」
気合の入ったミケにより、美しく仕立てあげられたアンネリリー。豊満な胸を強調するように大きく開けた胸元に、身体の線がはっきり分かるようなタイトなドレスで会場入りした。
一旦は覚悟を決めたものの、会場に入った所で瞬時に覚悟が後悔に変わった。
(こ、これは…)
仮面舞踏会というのだから、全員が仮面を被っているのは承知しているが、纏ってくる空気が異様なのだ。なめかしい空気で、とても舞踏会とは思えない。
(今すぐに帰りたい…)
ミケには悪いが、このままこの空気を吸うのは耐えられない。誰かに声をかけられる前に会場を出ようと、慌てて踵を返した。
「おっと」
背後に人がいた事に気付かず、思いっきりぶつかってしまった。
「すみません。人がいたとは気付かなくて」
「大丈夫だ。君は…ああ、ここでは詮索してはいけない決まりだったね」
物腰の柔らかい口調に、アンネリリーを軽々と支えられる逞しい腕。こんな所に来る男はろくな者じゃないと分かっていながらも、ドキッとしてしまった。
(この人は…)
夜空のような漆黒の髪に、輝く星のような琥珀色の瞳に目を奪われてしまう。
「大丈夫か?」
「え、あ、すみません」
心配しながら顔を覗かせてきた男を見て、慌てて取り繕ったが自分で分かるほど顔が熱い。
だが次に出た言葉に、篭っていた熱が一気に引いた。
「具合が悪いのなら奥の部屋へ行くか?」
「!?」
肩を抱かれ奥の部屋に連れ込まれそうになり、力一杯に男を突き飛ばした。
危うく気を許す所だった…ここは、
いくら優しく接していても、考えている事は盛りのついた猿と一緒。見え見えの行動ならまだしも、優しい素振りを見せて食いにくるのはタチが悪すぎる。
呆けている男に、軽蔑するように冷ややかな視線を向けた。
「残念でしたわね。私は心に決めた方としか寝ないの」
そんな者いないが、この際口からいくらでもでまかせを言ってやる。
「いくら優しくて逞しくて包容力があっても、私の心は動かされませんわよ!!」
ビシッと指を指しながら言い切ってやった。
今の私、ちょっと悪女ぽい?と優越感に浸っていると「あはははは!!」と笑い声が聞こえた。
「褒められながら拒否されれたのは初めてだな」
「なッ!?褒めたつもりはありません!!」
「そうか。すまんすまん」
笑いを堪えながら大きな手で頭を撫でられ、羞恥心で燃え尽きそう。
「言葉が足りなかったな。すまない。俺はここに客として来た訳じゃない。客に手など出せん。だから安心してくれ」
「……え?」
客じゃなきゃ何なんだ?余計にこの男の正体が分からなくなった。
「ここでの詮索はタブーだろ?」
口元に手を当て悪戯に笑う男を見て、諦めるように溜息を吐いた。
「そうね。残念だけど…」
「それはこっちの台詞だ。こんな場所でなかったら、ゆっくり話でもしたかったな」
冗談なのか本気なのか分からないが優しく微笑む男に、アンネリリーもこのまま別れるのは少し寂しく思えた。
「─で?どうする?休むなら部屋まで案内するが?」
「いいえ、帰るわ。ここの空気は私には合わないもの」
「そうか」と残念そうにしながらも、外まで付き添ってくれた。
「次は違う場所で会いたいものだな」
「そうね。でも、お互いに顔が分からないんじゃ意味が無いじゃない」
「それもそうだな」
クスクスとお互いに笑い合った。
「じゃぁ、ありがとう。名も知らないお節介焼きさん?」
そう言って、会場を後にしようとした。
その時─
「俺は見つけるよ。顔が分からなくても、君を見つける」
その言葉に振り返ると、夜風に髪を靡かせながら真剣な瞳でアンネリリーを見つめる男がいた。
胸が締め付けられる様な感覚。鼓動も速い…足を踏ん張っていなければ、縋り付いてしまいそうになる。
「…………」
困ったように黙って微笑み返すのが精一杯だった。
後ろ髪が引かれるとはこう言う事か…と思いつつ、振り返らずに足早に馬車へ急いだ。
馬車に乗り込むと力なく座り「はぁぁぁ~…」と深い息を吐きながら天を仰いだ。
きっと次なんて来ない。万が一にも、私の正体が分かったとしたら尚のこと。
(これで良かった)
私には厄介な婚約者がいる。他の男を気にした所で、傷付くのは私だ…
深入りする前で良かったと思う事にしよう。そう考えた時、ガタンと馬車に乗り込んできた者がいた。
「……な、なななな!?」
「やあ、私の可愛い婚約者さん」
怖いほどの笑みを向けるダリウスだった。