──郷に入っては郷に従え。
誰かがそんなことを言っていた。
確かに、何も考えずに流れに身を任せていれば楽かもしれない。流れに乗っているだけで、舵を取らない生き方…それは本当に幸せだと言えるのだろうか。
(私は御免だわ)
ダリウス本人が言う通り、あの男以上の高スペックはそうそう見つからない。
こうなってしまった以上、下手に抗うよりも私が舵取りをして、ダリウスを上手く扱う方向で考えた方がいいかもしれない。常に爆弾を背負っている状況ではあるが、火種がなければ爆弾は爆発しない。
もしかしたら歪んだ愛情でも、元を正せば純愛になり得るかもしれない。
(多分…)
原作でのダリウスは、序盤は割と普通に接していた。終盤になるにつれて、狂気じみた瞳に変わっていく。
という事は…序盤である今は、まだ常識的な思考を持っていると言える。このままの状態ならば、この婚約も悪くない。
「そう…だと思いたい…」
若干の不安は残るが、肉眼で見たダリウスは正直めちゃくちゃタイプだった。それ加えて、あのミステリアスな雰囲気…性格に難がなければ超優良物件間違いない。
(……………)
しばらく考えた後
「よしっ、取説を作ろう」
ポンッと手を叩きながら顔を上げた。
引き出しからノートを取り出すと、原作を思い出しながら歪んだ愛情に至った原因を書き出してみることにした。
根本的な所から、アンネリリー自身の悪い所を一通り洗い出した。
まず、人の話しを聞かない。そもそも、誰かの指示を受けるのが嫌いなアンネリリー。当然、婚約であるダリウスの話しなど聞くはずない。
相手が誰であろうと見下す。原作でも師団長であるダリウスを見下し、鼻で笑う描写が度々あった。冷たくあしらい、突き放して…
そして、これが一番の原因では無いかと思う行動…それが派手な交友関係。悪女と呼ばれていても、その見た目の美しさと公爵令嬢という肩書き。それに羽振りの良さを餌に、釣られた者らと遊び回っていた。
ここまで書いた所でペンが止まる。
「…………」
軽く書き出してみただけで愕然とし、言葉を失った。
こんな女を相手にしていれば、どんな聖人だろうとおかしくなる。
「色んな意味で終わってるわ…」
肘を着き、頭を抱えながら呟いた。
「アンネリリー…本当、あんた何様よ…」
ここまで来ると歪んでいようが依存されようが、愛情を向けてくれるだけ有難く思えてくる。
「いかんいかん」
危うく当の目的を見失うところだった。
これから先、私がやる事は…
・人の話は真摯に聞く。
・人に優しく誠実に。
・夜遊び駄目、絶対。
・ダリウスを不安にさせない。
最後は特に重要。
これさえ守っていれば、これから先の未来は明るい。
「よしッ」
グッと拳を作り、気合を入れた。
この時のアンネリリーはまだ知らなかった。ダリウスの隠された性質を…
❊❊❊
人生矯正を初めて数日。
最初はアンネリリーの姿を見ただけで怯えたり目を合わさず逃げていた使用人達だが、ようやく挨拶を返してくれるようになった。
『ありがとう』と『ごめんなさい』は必ず言いなさい。前世、幼いころから母に言われていた言葉。人に感謝することを忘れず、間違った事したら謝る。そんな簡単なことすらアンネリリーは出来ていなかった。
最近のアンネリリーの様子は父の耳にも入った。
「今更、何を考えているんだ」
喜ぶどころか呆れていた。まあ、当然の反応だな。
「最近のお嬢様は本当に変わりましたね」
「そう言ってくれる?」
「ええ。前は部屋に入るのにも命がけでしたから」
冗談のように言ってのけるのは、侍女のミケ。みんなが怯える中、最初に話しかけてくれたのがこのミケ。名前の通り茶色のふわふわとした髪に、人懐っこい性格が猫のようで前世、猫信仰者である私は可愛くて仕方がない。
「ん?」
ミケに髪を整えてもらっていると、テーブルに置かれた綺麗な封筒が目に入った。
「なにこれ?」
「ああ、仮面舞踏会の招待状ですね。お嬢様、毎回楽しみにしていたじゃないですか」
「え?あ、ああ、そうね…」
平然を装いながら返事を返したが、心中は穏やかじゃない。
この仮面舞踏会…社交の場として定期的に開催されているが、裏では男女の情交が行われていた。仮面で素顔と素性を隠し、探り合いは禁止。一夜だけの関係を求める場所に、アンネリリーは足繫く通っていた。
ダリウス仕様の取説では、夜遊びは禁止。それ以前に、そんな危ない舞踏会出る訳ない。不参加一択。
「お嬢様に似合うドレス用意しておきますね!!」
「え!?」
目を輝かせて、鼻息荒く興奮しなが言うミケに血の気が引く。
ミケからすれば、自分が初めて仕立てる事が出来る機会に嬉しくて仕方ないのだろう。
「大丈夫です!!私に任せておいてください!!」
「いや、ちょっと…」
「そうとなれば、準備しなければ…私はこれで失礼します!!」
ミケは止めるアンネリリーに耳を貸さず、足早に部屋を出て行ってしまった。
残されたアンネリリーは絶望の表情で、その場に茫然と立ちすくむことしか出来なかった。