「まったく…貴女はいつになったら
瞳孔が開きっぱなしの男に押し倒され、首にはいつでも絞めれるようにと手を置かれた状態で迫られたら、誰だって言葉に詰まるもの。
「いっその事、このまま閉じ込めてしまおうか?」
首に添えられた手を外し顎を持ち上げると、強引に唇を奪ってくる。唇を奪われた衝撃よりも、獰猛な瞳で妖艶に微笑む男に冷や汗が止まらない…
❊❊❊
ここはレイシアと呼ばれる国。
大きな国ではないものの、温暖な気候と豊かな地のおかげで住み心地は上々。住んでいる人々も穏やかな者らが多く、街に出れば笑い声や楽し気な声が聞こえる。
そんな国で
公爵令嬢という肩書きがある為か、傍若無人の限りを尽くし、弱い者強い者関係なしに食ってかかっていた。
──が、それも今この時まで。
眩しい日差しを浴びて目を覚ましたアンネリリーは、ベッドの上で頭を抱えていた。
「こんな事って…」
夢を見た…
この世界とは別の世界。人が多く蔓延り、大きな建物がいくつも立っている。その合間を疲れた顔で歩いてる女…すぐに、分かった。
(あ、私だ)
足取り重そうに自宅に戻り、冷蔵庫から一本の缶ビールを出した。コンビニで買って来た弁当を食べながら、晩酌をする。この瞬間が至福の時間だった。
食べ終わると風呂にも入らずベッドに転がり、一冊の本を手に取った。それは、同期の同僚に勧められた小説。
その小説は、ある悪女が主人公の物語。
悪女と呼ばれるがゆえに、婚約適齢期を過ぎても相手が見つからなかった令嬢がある日、魔術師団長である男から求婚される。
なんの共通点のなく何故求婚されたか分からなかったが、世間体もあることだしそのまま婚約を結んでしまった。
この男の裏の顔を知らずに…
この男は、俗に言う地雷系男子。激しい嫉妬に執着。屈服しない者を屈服させ、見えない鎖で繋ぎとめる。そんな歪んだ愛情模様が描かれていた。
狂愛と言うに相応しい小説に賛否両論あったようだが、私は嫌いではなかった。
そんな小説の主人公である悪女の名は、アンネリリー・シュレイン。
──今の私だ…
気が付いたところで目が覚めた。
混乱している頭を落ち着かせる為に息を深く吐き、布団に顔を埋めた。
色々思う所はある。前世の自分の死因は?仕事の引継ぎできてないし、まだやりたいこともあった。最期に両親と話しておきたかった…けど、そんなことを思っても虚しさと悔しさが増すだけなので考えるのを止めた。
過去の事よりも今からの事を考えた方がいい。
自分が読んでいた世界に転生したという事は単純に嬉しい。ただそれは、モブキャラだった場合に限ったこと。草葉の陰から、主役の二人をニヤニヤしながら眺めたかった。
だが、現実の姿は主人公である
幸いなことに、まだ婚約は結ばれていない。
(この婚約だけは、絶対に結んでは駄目)
このまま原作通りに事が進めば、私の未来は…考えただけでも恐ろしい。
コンコン
「お、お嬢様…旦那様がお呼びです」
恐る恐るドアを開け怯えながら声をかけてくる侍女を見ると、酷く心が痛い。
「ありがとう。今行きます」
「!?」
アンネリリーから微笑みながら礼を言われた侍女は、目が落ちそうなほど瞼を見開いて驚いていた。昨日までのアンネリリーだったら、勝手に部屋に入って来たと事を咎めて怒号が飛んでいる所だろう。
「ごめんなさい。着替えるの手伝ってもらっていいかしら?」
「あ、はい!!」
今までいたせり尽くせりで着替えすら一人で儘ならない状況に、ほとほと自分に呆れる。
(これからは少しずつ、自分で出来る事を増やさなきゃ)
着替えを手伝ってもらい、父であるシュレイン公爵の部屋へとやって来た。
「…お呼びでしょうか?」
「ああ、来たか」
部屋に入ってすぐに目に留まった人物に思わず足が止まった。
真黒なローブを羽織り、絹糸ように細く綺麗な銀色の髪に艶かしい雰囲気を膨張させる瑠璃色の瞳。
妖艶に微笑みかけているが、その目は全く笑っていない。不穏な雰囲気を隠すことなく座っているこの人は…
「お前も知っているだろうが、この方は魔術師団長のダリウス・ローゼンフェルト師団長だ」
存じております…