久しぶりにお仕事が夜だけの日。
皆に会いたいという気持ちを抑える事が出来なくなったわたしは、朝から学校へ通う事にした。
わたしの通う学校は、裕福な家庭の子達が通う所という事もあって、通学や帰宅の時には送迎されてくる子達も多い。
わたしはアイドルとしてお仕事も増えてきてはいるけど、そこまでしてもらう程稼いでいるわけじゃないので、通学の時はいつも電車を利用していた。
帰りの時間はお仕事に行ったりする都合もあり、いつもまちまちなので事務所から誰かが迎えに来ることになっている。
この日も私は一人で学校へ向かう為に、最寄り駅まで向かっていた。駅に向かい歩いていると、時折自分たちのポイスターが張られていたりするのを目にする。そういう時はとても嬉しくなってしまうけど、自分がそこに映っている人物だとバレるわけにはいかないので、何とか平静を装っている。もちろん簡易的ではあるけど、変装アイテムも身につけている。
今までバレた事は無いので大丈夫だろうけど、なるべくなら顔を見られないようにするため、俯き加減で歩いていた。
――多分それがいけなかったんだと思う。
駅のホームで歩いていると、人の通りが多くなってきているのは分かっていた。学校が始まる時間は、他の学校に比べると少し遅めに設定されているのだけど、その時間はちょうど会社へと向かう音の名の方々の通勤ラッシュに重なる。
人の間を縫うように歩いているわたしの後ろを、ずっと同じペースで歩いてきている人には気付いていなかった。
「んっ!?」
目の前で突然甘い香りがしたかと思ったら、そのまま私は記憶を失った――。
次に気が付いた時には、周りが暗くてよく見えない場所に寝転んでいた。どうにかして起き上がろうとしたのだけど、手足の自由が利かない事に気が付く。
その時に初めて縛られていることを知った。
――え!? どういう事!? ここは……学校……じゃないよね?
周りの暗さにようやく目が慣れてきて、自分がいる場所を確認するように辺りを見回した。しかしどこかの部屋だという事は分かるものの、何一つ手掛かりになるようなものが無かった。
唯一有るのは自分が転がされていた下に、申し訳程度に敷いてある市販されている毛布のみ。そんなものでは現在位置を知ることはかなわない。
――何故わたしが!? まさか誘拐なの!? え? どういう事? お金目当てなのかしら……それとも体が目的なのかしら……?
どうにかしようともがきながらも、頭の中ではいろいろな思考がめぐる。
……ツーン。
カ……ツーン……。
しばらくもぞもぞと動いていると、こちらの方へと近づく足音が聞こえて来た。どこのだれかは分からないけど、待雄がいなく自分が今こうなっている事の原因である可能性は大だ。
――まずいわ!! こっちに来てる。急いで……ううん。逃げようとしたら危ないかもしれない。このまま寝たふりしてよう……。
動けない事で諦め、まだ起きてもいない様に振る舞う事でどうにかやり過ごす事にした。したのは良いのだけど、不安な事もある。それはわたしの事を『日比野カレン』ではなく、『セカストのカレン』だとして連れてこられた場合だ。
そうなると、お金のことや事務所の事まで考えなくてはならない。
カツ―ン。
足音はわたしのいる部屋の前で止まった。すると鍵を差し込んで回すような音が聞こえてゆっくりとドアが開く。
「まだ目覚めないのか……」
――え!? この声は!?
「まぁいいさ。起きたらいう事を聞くようになるまで、たっぷりと時間をかけてでも教え込んでやるからな……」
暗さと寝たふりをしている事で、その人物の様子は伺う事は出来ないけれど、その声色は聞き間違う事の無い、いつも聞いている物であった。しかしそれはそのいつもみんなと一緒に聞いている時のものではなく、あまりにも重く静かで、そして暗いもの。
「もう少ししたらまた来るか……」
そういうと、その場を離れていく人物。部屋から出る時はしっかりと鍵をしたようで、何度もノブを回しては確認をしていた。
満足するまで確認したのか、そのまままた足音を響かせるようにして離れていった。
――まさか都築さんなの!?
足音が聞こえなくなったことをしっかりと確認してから、寝そべっていた体を起こし、ドア付近を眺める。
すでにその人影は無いのは分かっているのだけど、どうしても確認したい気持ちがと信じられない気持ちがごちゃ混ぜになった、とても複雑な感情のままでドアの向こうへと視線を向けさせた。
――なぜ彼がわたしを?
疑問は尽きないけれど、自分一人で考えられることはあまりない。それどころか自分にはこうなってしまう原因が全く分からないのだから、答えなんて出ない。
考えが思い浮かばないままで時間だけが過ぎて行った――。
いつの間にか、考え事をしている間に寝てしまっていたようで、目を覚ますと辺りが少し明るくなっているような感じがした。
――あ……さ?
ぼぉ~っとする頭をゆっくりと左右に振って起き上がる。
「ようやくお目覚めかい?」
突然声を掛けられたことにビクッと身体を揺らす。そして声のした方へと視線を向けた。そこには壁に寄り掛かるようにして立っている人物の姿をとらえることが出来た。
「やぁカレン。おはよう」
「…………」
「声を出してもいいけど、騒いでも誰にも聞こえないよ? ここは元工場でね、防音設備が付いているんだよ。だから騒いだどころで誰にも聞こえない。まぁ……こんなところに来る人なんて、今はいないんだけどね」
「都築……さん……」
その声の主はやはりマネージャーである都築のものであった。
「どうして……?」
「ん?」
「どうしてこんなことするの? ここは何処なのよ!?」
「おやおや……やっぱり君は元気だねぇ……」
顔を確認したと同時にわたしの中に怒りの感情がふつふつと湧いてきた。
「ここがどこかは教えて上げられないよ。でもどうして? そのことに関しては答えてあげよう」
まだ少し暗い中ででも、都築の笑みが正気から来る笑みでは無い事は分かる。
「これは君にもチャンスだ」
「チャンス?」
「そう。わたしの言う事をしっかりと聞いていれば、これから先もっと売れるアイドルになれる!!」
「何を言っているの? わたしには皆が――」
「皆? わたしが必要としているのはあの子達じゃない。キミだけだ。君のその才能さえあればどんどん売れていく。そしてもっともっと成り上がれる!! どうだい? 一緒に上に行かないかい?」
「…………」
都築の顔を見ると、すでに真顔になっていた。わたしにはその顔がやっぱり少し歪んで見えた。だけど、一瞬のことだったので少し目を話した時にはすでに元に戻っていた。
返事をしないわたしを見ながら、フッと花で笑う都築。
「まぁすぐに答えを出さなくてもいいさ……。時間はたっぷりあるからな」
「何を言っているの? こんなところに閉じ込めるつもり? そんなことしたらみんなが騒いで――」
「心配はいらないさ。事務所とメンバーにはすでに病気療養中と言ってある。そして君の家族には仕事で遠くに行くから当分は帰れないと伝えてあるからね」
「そん……な……」
「しっかりと考えて答えを出してくれ。ではまた来るよ。あぁ食事はしっかりと用意させてもらったよ。トイレはそこを使うといい。トイレには行けるように足の方は外してあげよう」
顎をくいと向けるようにして差された場所を見ると、部屋の隅にドアがあり、そこがトイレだという事を表示されたプレートがあった。
ガチャガチャと音を鳴らしながら何かを外す都築。外し終えて手に持っていたのは手錠のようなものだった。
「逃げようとは思わない方が良い。何処に行くにしても鍵をかけてあるから、この中からは出られはしないよ」
そう言うと彼はドアの方へと歩いて行った。
そのまま部屋を出ると鍵をかけ、足音を響かせながら遠ざかって行った。
――あれから何日が過ぎたのだろう?
都築は時間が決められているかのように何回も足を運んでは、わたしに事を説得しようと試みた。しかしわたしは決して承諾をしない。
それどころか、いつも彼が来るたびに反抗した態度をとった。そうしたことが何回かあって、とうとう都築はイライラを見せ始める。
「どうしてだ!? 何故分からない!!」
「絶対にいや!!」
「君だけでも既にトップアイドルになれるだけの力が有るんだぞ!!」
「絶対にいやだ!!」
マネージャーである都築とは、時にはケンカしたこともある。一度口をきかない期間が長く続くほどの大喧嘩をした時は、その原因が『ソロになる事』だった。
その時は、結構落ち込んだりもした。自分は何のためにみんなと頑張ってきたんだろうって思う事もあった。
だけど、その時と今は状況が違う。
「君がソロになれば俺の株が上がる!! 君が売れれば俺も名前が売れる!! どうしてそれが分からない!!」
「いったい何を言ってるの!?」
「これだから子供は困る!!」
都築の言っている意味が分からなかった。どうにかして私をソロデビューさせたいようだが、わたしにはそれが魅力的には思えない。それどころかみんなと一緒にという想いが強いから、もとよりソロでなんて考えて無い。
パーンッ!!
激しいホホの痛みと共に、部屋の中に響き渡る音。
「痛ったぁ……」
わたしは右の頬に手を添える。都築に頬をぶたれたからだ。
「俺の……言う事を聞かないからだ!!」
フーフーと息を荒げる都築。
――この人……どこかおかしい……。
そんな事をこの時から感じ始めた。
そんな事もあった時から、更に幾日か経ったと思われる頃。毎日のように訪れては暴力と言葉で攻めてくる都築に、既に抵抗しようとする気力も無くなった。
独り暗闇の部屋の中で静かに寝転んで、どこを見るでもなく視線を向ける。
「誰かぁ~、いないのぉ~、ねぇ~」
「出してよ~、ここから、出してったら~」
暗闇の中でひとりもがいてみても何の返事もしない。
音もしない。
ただただ自分の声だけが部屋の中で反響するだけだった。
――ホントにいいのかな? アイドルで居たいのかな?このままでほんとにいいのかな?
もう……わかんない……もう……。
自問自答を繰り返す。
わたしの心は既に壊れ始めていた。