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第28話 穴場と墓穴



 高原ポートシティ駅に伊勢崎が現れたのは、その週の金曜日だった。


 仕事を終えた夕方、帰宅ラッシュの最中に「お疲れさまです。寿々先輩」と呼び止められた。しかも私服。


「どうしたの? 仕事は?」


「今週いっぱい有休消化になって、来週の月曜から出社します」


「なるほど」と寿々が頷くと、笑顔の怖い伊勢崎が「というわけで、行きましょうか」と。とてつもない圧を感じる。


「あの、伊勢崎くん、この間の新井課長とのことなら──」


 すでに誤解は解けていると言おうとした寿々は、伊勢崎の手のひらに待ったをかけられた。この前と立場は逆だった。


「その話は、場所をかえましょうか」


 圧が増した。


「……はい」


 半ば有無を言わさずといった感じで、寿々と伊勢崎は高原駅へ移動。


「もう体調は万全なの?」


「はい。寿々先輩が見舞いに来てくれた水曜日に、ほぼ全快していたんですけど、最後の最後で、駅前であまりに衝撃的なことを言われたせいで、また昨日一日、寝込みました」


 それは例の『新井課長♡伊勢崎くん』ボーイズラブな件で間違いないだろう。


 その話の前に「今日こそ、ラーメンが食べたい」という伊勢崎の希望で、高原駅の北口を出て歩くこと5分少々。路地裏に店を構えるラーメン屋の暖簾をくぐった。


 寿々と真理愛が行きつけにしているBAR『ネオ・フルリオ』のほぼ真裏にありながら、ここにラーメン屋があることはまったく知らなかった。


 それもそのはず、「早く、早く」と急かす伊勢崎と駆け足ぎみでやってきたラーメン屋は、1メートル半ほどの建物と建物の間を奥まで進んだ袋小路にあった。


「こんなところに……」


「穴場中の穴場です。不定期営業で、月の半分は休みなんです」


 店に入ってすぐ、伊勢崎が急かした理由がわかった。10席ほどあるカウンター席はすでに満席。


 店先で待つのかと思っていたら、伊勢崎が店員に話しかけた。


「裏、空いてる?」


「空いてますよ。二名様ですか? どうぞ」


「それじゃあ、ラーメンふたつ」


 ついでに注文までした伊勢崎が、「寿々先輩、こっち」と満席のカウンターを突っ切り、店の勝手口から裏手に回った。


 そこには、厚手のビニールで囲われたスペースがあり、ビニールの合わせ目から中に入ると、簡易テーブルに丸椅子がいくつか並んでいた。


 すでに先客がいたが、まだ空いていた席に伊勢崎と寿々が並んで座る。


「屋台みたいだね。このなか、あったか~い」


 雰囲気の良さに寿々のテンションが上がっていく。しかも、裏手にある店の換気扇から漂ってくる出汁の香りが、食欲を多いにそそってくれた。


「魚介出汁のスープです。味は保証しますよ」


「ああ、はやく食べたい!」


 そんな話をしている間に、残り少なかった裏の屋台席も満席になった。


「おまたせしました~」


 数分後、湯気が立ち昇るラーメンが、ふたりのテーブルに運ばれてきた。


 伊勢崎は「ごめん、やっぱり追加でもう一杯。大盛で」と注文。相変わらずの大食いぶりだ。


 でも、それも分かる気がした。黄金色に輝くスープに浮かぶのは、メンマ、チャーシュー、青ネギ、ゆでタマゴ。王道の塩ラーメンを前にして、食欲中枢はこれ以上ないというほど刺激されている。


 割りばしを手にとり、寿々と伊勢崎の声がそろった。


「いただきます!」


「いただきます!」


 30分後、満たされた腹を抱えて、寿々と伊勢崎は路地裏を歩いていた。


「おいしかったあ。最高だった」


「うまかったあ。寿々先輩に奪われた、あの半玉が心残りですけど」


「半玉分で我慢してあげたのよ。感謝して」


「あれで大盛じゃなくなりました。ああ、豚骨みたいに替え玉ができたらなあ。俺、あと二玉はいけました」


1杯目のラーメンをたいらげた寿々は、ほどなくきた伊勢崎の追加大盛ラーメンに手をだし、1.5玉分のうち0.5玉の麺を奪ったのだった。


 おかげでお腹は満たされた。


 あっさり塩ラーメンとはいえ、食後はコーヒーが飲みたくなる。


 このあたりで美味しいコーヒーが飲めて、時間を気にせずゆっくり話せる場所といったら、あそこしか思いつかない。


「伊勢崎くん、コーヒー飲みに行こうか」


「いいですね」


 今度は寿々の案内で、袋小路にあったラーメン屋のほぼ真裏に迂回して、繁華街の一本奥にある小路を進む。行きつけのBAR『ネオ・フルリオ』に目を引かれつつ、その斜め前にある全国チェーンのコーヒーショップへと入った。


 今年の九月、あの最悪の見合いの翌日に、『ほうらい屋』の店先を陣取るという迷惑行為に及んだ左近之丞を「ここに来い」と呼びつけたコーヒーショップである。あの日は結局、高級スーツで悪目立ちしていた左近之丞のせいで入るに入れなかった。


 そんなことをふと思い出しながら、レジカウンターでコーヒーを受け取った寿々と伊勢崎は、店の奥にあるソファー席で向かい合った。


 さて、ここからが今夜のメインだ。


 一応先輩の寿々が、コーヒーをひとくち飲んで、直球で話を切り出した。


「それで話っていうのは、やっぱり『新井課長♡伊勢崎くん』のボーイズラブな誤解について?」


 これでもかと、伊勢崎の口角があがっていく。


 見事な弧を描いた口角に対して、目は一切笑っていないという、サイコ系の恐笑に、これ以上は怒らせられないと、寿々は「ごめんね」とすぐに謝り、わかりやすく「あ、そういえば~」と話をかえた。


「伊勢崎くん、もうすぐレトルト食品のシンポジウムじゃない? 今年は東京支社が参加する番だよね。いいなあ、北海道開催とかうらやましい! 前泊できるしね。そういえば、だれが行くの?」


「新井課長と俺です。二泊三日です」


「…………へえ。楽しそうだね」


 話をかえたつもりが、墓穴を掘った寿々だった。





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