その日──
おかわりのパスタもキレイにたいらげた寿々は、どうしても駅まで送りたいという伊勢崎の押しに負けて、夕暮れ路を並んで歩いた。
駅が見えてきたとき。
「あの、寿々先輩……先週の高原駅でのことですけど」
別れ際になって、あの日の出来事を切り出してきた伊勢崎に、「それはまた今度」と手のひらを見せて、寿々は待ったをかけた。
「その話は、もっとゆっくり話せるときにしよう。わたしも少し、聞きたいことがあるしね。それになんとなく今日、気づいたよ」
「気づいた? 何をですか?」
「伊勢崎くんの本命がダレか」
その瞬間、伊勢崎は何もない、いったって平坦な道で躓いた。
「大丈夫?!」
「……だ、大丈夫です。その、俺の本命って」
また一気に顔が赤くなった伊勢崎を見て、照れているな、と思った寿々は、
「わたしの前では、隠さなくていいよ」
伊勢崎の肩をポンポン。
「最初は川島くんかな、と思ったんだけど……いっしょにお店を開くぐらい仲が良くて信頼し合っているし、お似合いだなと思ったから。でも、川島くんは叶絵のことが好きだったみたいだし、そうなると一択だよね」
「一択……」
なぜか伊勢崎の顔が、赤から青くなってきていたけれど、寿々には自信があった。注意深く観察すれば、ヒントはたくさんあったのだ。
「新井課長だよね。独身だし。今日もすごく心配していたよ。そういえば、わたしが、伊勢崎くんには本命がいるって言ったときも、かなり動揺していたな。ひとつ分からないのは、わたしをお見舞いに行かせたことだけど……まあ、社内で味方が必要だったのかもね。そういう関係に偏見を持つ人も多いから。あっ、心配しないで、わたし、けっこう理解ある方だよ。もちろん、だれにも言わないからね」
さっき躓いたばかりの伊勢崎は、今度は膝から崩れ落ちた。
「えっ、どうしたの?! 立ち眩み?」
近くにベンチをみつけ、ひとまずそこに伊勢崎を座らせる。
病み上がりで無理をさせてしまったなと、ここまで送らせたことに後悔をおぼえはじめたとき。
奇跡としかいいようのないタイミングで、
「あれ、蓬莱谷さん? ン……伊勢崎か?」
外回り中の新井と出くわした。
「どうした?」
ベンチに座り込んでいる伊勢崎に駆け寄ると、すぐに顔色の悪さに気づき、
「おまえ、体調が悪いのに外になんか出て……」
咎めようとしたので、そこは寿々が間に入った。
「すみません。さっきまでは体調が良さそうだったので、駅まで送ってもらっていたんです。わたしが断るべきでした」
それを聞いた新井は、「ああ、そういうことか」と納得顔になり、
「いやいや、蓬莱谷さん。たぶん、コイツが送っていく、って譲らなかったんでしょ。まったく、何してんだよ」
伊勢崎の頭をポンポンとする仕草は、とっても愛情が込められているのに、当の本人はますます絶望的な顔になっていく。
「それじゃあ、あとは俺が引き受けるよ。どうせ、会社に戻るだけだし。少し伊勢崎を休ませたあと、マンションまで送っていくから大丈夫。有休なのに、お見舞いありがとう。蓬莱谷さんは、気をつけて帰ってね」
ここはそうするのが最善だろうと、
「よろしくお願いします」
寿々は頭を下げ、うなだれる伊勢崎に声を掛ける。
「新井課長が来てくれたから、これで安心だね。ゆっくり休んで、しっかり体調を戻してね」
「寿々先輩……」
途方に暮れたような目を向けてくる伊勢崎に「わかっている」と頷き、新井の方に顔を向けた。
「わたし、おふたりのことを、もっと早くに気づくべきでした」
本当に鈍かった。恋人の家なら詳しくて当然なのに、新井から伊勢崎の住所と地図に加え、やたらと詳しい
「いまさらですが、応援しています。不足の事態が起きたときは、遠慮なくわたしの名前を使ってもいいですからね。あれこれふたりの関係を訊かれても、適当に誤魔化しておきますから」
「えっ……誤魔化す? 蓬莱谷さん?」
少々面食らった顔をする新井に、寿々は力強く言った。
「わたしの口が堅いことはご存じですよね。それに、信用しているからこそ、伊勢崎くんとのことを気づかせたかった──その信頼を裏切るようなマネはしません」
「…………えっと」
まだ状況を呑み込めていなさそうな新井には、きっと伊勢崎が説明してくれるはず。
「それじゃあ、失礼します!」
寿々はもう一度頭を下げて、駅へと向かった。
駅の入口についたとき、
「ええええええぇぇぇぇぇっ!」
ここまで聞こえてくる新井の叫び声に、寿々が振り返る。
ふたりはまだベンチにいて、頭を抱えつづける伊勢崎と両手を上下に振ってワイワイやっている新井が見えた。
それを遠目にしながら──どっちから告白したんだろう。
上司と部下のカップルに、寿々の想像は広がっていく。
やっぱり攻めたのは、年上の新井課長かな。それとも伊勢崎が、グイグイ懐にもぐり込んでいったのか。同じ職場でフロアもいっしょだから、何かと周囲の目を気にすることも多いだろうけど、あのふたりなら上手くやっていけそうな気がする。
なんとも晴れやかな気分で、寿々は高原駅行きの電車に乗った。
その夜──寿々はメッセージを2件受け取った。
1件目は新井からで、『重大なる誤解。伊勢崎とは上司と部下。それだけの関係です』とあった。
2件目は伊勢崎からで、こちらは少々長かった。
✉ 寿々先輩
今日は、お見舞いに来てくださり、本当にありがとうございました。
先週の火曜日のことで、じつはかなり落ち込んでいました。
落ち込んだ理由は、今度会ったときに説明させてください。
それから、新井課長のこと。
これだけは、今、ここで完全に否定させてください。
この誤解だけは、絶対にあってはならないことです。
念のために伝えておきますが、
もちろん俺も、男女以外の関係があることは知っています。
そのことに偏見もありません。
でも、俺はちがいます。
女性が好きです。大好きです。
これまでもずっと、好きになるのは女性でした。
これからもずっと、俺が好きになるのは女性です。
◆ ◆ ◆
「あら、ふたりとも全否定だ」
シャワーから出てメッセージに気づいた寿々は、冷蔵庫を開けて、先週、左近之丞に買ってもらった地ビールを取り出すと、そのままラッパ飲みでグビグビ。
「新井課長ではなかったと……」
それなら、先週の火曜日、高原駅で伊勢崎が電話をしていた相手は、いったいダレだろう。本命の謎が深まった。
2本目の地ビールを冷蔵庫から出した寿々は、
「やっぱり社外かな。東京だと伊勢崎くん好みの……あれ、伊勢崎くんの好みってナニ系? そういえば知らないなあ」
グビグビ。