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第5話 リング



 平面から立方体にバージョンアップした結界のおかげで、室内はとても静かになった。


 これはひとえに、荒ぶる地縛霊を相手に罵詈雑言──穏便に話し合っていたという左近之丞の「毒舌」が聞こえなくなったから、というのが大きい。


 しかし、その結界の内部はというと、防音機能バッチリなガラス張りを見ているようなもので、


「激しい……キタミン」


 真理愛がつぶやいたように、それはもう大騒動となっている。


 かくしてこの展開は、寿々の予想を遥かにこえていた。いまや結界内部は、ひとまわり小さい格闘技場リングと化している。


 寿々と真理愛には視えない霊を相手にしている左近之丞は、ガードをあげ、ステップを踏み、身体を左右に振ってから、右、左、右のコンビネーションでテンポよく拳を繰りだす。


 ついで前蹴り、膝蹴り、一度フェイントを入れてからの華麗な回し蹴りを披露。地縛霊を相手に、打撃系の技をひととおり決めたあとは、テイクダウンで霊の背後をとり、うしろから首を絞めにいくような動きになった。


 腕まくりした二の腕で喉元らしき場所を圧迫して、ギリギリと絞めながら、こちらも完璧なスリーパーホールドを決めている模様。


 その際、絞めあげる左近之丞の口は、終始動いていた。おそらくまた、毒舌を吐きながら、霊体を絞め落としにかかっていると思われる。


 それにしても──この男、やけに喧嘩慣れしているというか。格闘技経験者なのかもしれない。


「ねえ、真理愛。あれって絶対に絞め技だよね。霊って、人間みたいに失神とかするのかな」


「さあ……わたし、格闘技には詳しくないけど、あれはけっこう理想的な後ろ裸締めね。視えないけれど、頸動脈に入っているならもう抜けられないわ。人間ならもうとっくに落ちていると思う」


 詳しくないといいながら「究極のフィニッシュ・ホールドよ」とセコンドばりに腕を組んで説明してくれた。


 こうなってくると、北御門左近之丞という男が何者であるのか、いよいよもって正体不明になってきた。正直、もうわからない。


 一か月前は、最低最悪の元見合い相手で、その後は傍迷惑な怨念切り絵アーティスト。そして、本日は、地縛霊を絞め落しにかかっている毒舌系霊能力者。これが除霊方法なのだとしたら、まさしく異種格闘といったところ。


 或る意味多彩だな、そう思ってみていたら、絞め技を決める左近之丞の腕が発光しはじめる。キラキラとした粒子が舞い上がりはじめたところで、スリーパーホールドを解いた左近之丞が、小瓶をだして足元に置いた。


 そのまま胸のあたりで、手早く手印を結ぶと、大気中に漂った粒子が一斉に集まって、まるで砂時計の砂が上から下に落ちるように、小瓶のなかへと吸い込まれていく。


 そして、このときばかりは左近之丞の周囲は、厳かな雰囲気に包まれていた。禮子に勝るとも劣らない強い霊力で祓い、成仏させていく。


 寿々が見ている先で、すべての粒子が小瓶に納まるのを待って蓋をした左近之丞は、つぎに複雑な紋様が描かれたマスキングテープらしきもので、小瓶と蓋を十字巻でグルグル。最後に青く光る紙垂しでの結界を指先でチョンと触れた。


 青白い光が消失し、元の白い半紙に戻った四垂の紙垂しでを回収して、「終わりました」とダイニングに戻ってきた。


 あれだけ殴る、蹴る、絞める、をしていたというのに、汗ひとつかいていないのがすごい。


「地縛霊を強制的に成仏させましたので、もう大丈夫です。あとは僕が責任を持って実家の北御大社で処分お祓いします」


 グルグル巻きにされた小瓶をジャケットの内ポケットにしまいながら涼しい顔で告げる左近之丞に、


「おつかれさまです」


 寿々から声をかけると、ついさっきまで毒舌を吐き、殴る蹴る絞めると、大暴れしていた男は、目を潤ませた。


「寿々さんのお役に立てたなら、それだけで僕は……グスン。こんな嬉しいことはないです」


 また、泣いた。


 護符として渡されていた形代かたしろを返しながら「ありがとうございました」と御礼をいうと、「礼なんて……」とさらに泣いた。


 さっきまでの毒舌ぶりはどこへやら。嬉し泣きの左近之丞に見つめられて、なんとも言いがたい雰囲気になったところで、


「キタミン、おつかれさま~ ふたりともコーヒー飲もうよ~」


 今度こそ憑き物がキレイさっぱり消え去り、元気いっぱいになった真理愛から声がかかった。


 リビングからティッシュを拝借した寿々が、左近之丞の鼻先にグイッと押し付ける。


「えーと、とりあえず涙を拭いて落ち着こう」


「……はい」


「ほら、泣きやんで、鼻をかむ」


「……はい、あの、寿々さん。僕、マジシャンじゃないですから」


 あれだけ毒を吐いていたにもかかわらず、真理愛との会話をしっかり聞かれていたようだ。


「また、いつでも……除霊が必要なときは呼んでください」


「……考えとく」


 ひと仕事というよりも、ひと暴れし終えた左近之丞は、コーヒーを飲んでひと息入れると、今回の地縛霊について話してくれた。


「おふたりの予想どおり、あの地縛霊はお彼岸参りで墓地を訪れたときに、真理愛さんに憑きました」


 すかさず真理愛が訊いた。


「わたし、なんで憑かれたの?」


 その理由について、


「端的にいえば、真理愛さんが、離婚した元奥さんにとてもよく似ていたそうで、ついつい憑いていってしまった──という、そんな事情です」


 どんな事情だ、それは。


 ポカンとなった真理愛と寿々に、「美味しいです」とコーヒーカップを傾けた左近之丞は、スリーパーホールドを決めている最中に、さらに詳しく聞きだした事情を教えてくれた。






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