カフェまであと数十メートルといった距離で、寿々は思わず電信柱に身を隠した。
自分を待ち構えるように立っている迷惑千万なクズ男・北御門左近之は、叶絵がいっていたとおり、たしかに目立っていた。
その容姿もさることながら、休日だというのにビシッと濃紺のスーツで決めているのが、悪目立ちの原因となっている。認めたくはないけれど、やはりカッコいい。
それにしても、昨日はオフホワイトのダウンシャツに黒のチノパンという、見合いには到底ふさわしくない出で立ちであったというのに……
なぜ、その翌日。オマエは全国チェーンのコーヒーショップの店頭で、あきらかに高級仕立てとみてとれるオーダースーツで突っ立っているのか。
これから話しかけなければならないジョギング・スタイルの寿々にとって、嫌がらせにもほどがあるフォーマル・スタイルだった。
このまま店内に入ったら、ジョギング女と高級スーツ男は目立って仕方がないだろう。場合によっては、容姿と身なりだけはいい北御門左近之丞の方が常識人とみなされ、「相手はキチンとしているのに、あの子は」と、周囲からいわれなき冷視線を被るのは寿々になる危険性があった。
誤算だ。あえてのラフさが、裏目となっている。
こうなれば致し方なく。本当に仕方がなく。泣く泣くといった状況で、パーカーのフードを目深にかぶった寿々は、叶絵との電話からきっちり1時間後。
高級スーツ男の2メートルほど前に立つと「ついてきて」と駅の方向を顎でしゃくった。
「寿々さん……」
涙目の左近之丞が走り寄ろうしたところでピシャリ。
「少なくとも、わたしから3メートルは離れて歩いて。それから、つぎにわたしが話しかけるまで、そっちからは絶対に話しかけないで」
これが、この男と歩くギリギリのラインだ。
高原駅の北口から南口へ。
早歩きで移動する寿々がチラリと後ろに視線を送ると、およそ3メートルの距離をしっかりとキープした北御門左近之丞が付いてくる。
怖いのは、その赤茶の瞳。何かに憑りつかれたように血走っていて、まるで追い立てられるように、寿々はどんどん加速していった。
ほぼジョギングと変わらない速度にギアチェンジしたあとも、息も切らさず追走してくる左近之丞から逃げるように移動すること数分。
ふたりは『グリーンガーデン高原ヒルズ』のとなり、まだまだ強い残夏の陽射しに照らされる都市公園へと入った。
日曜の昼前。噴水のある公園には家族連れが多く、健康志向高めのランナーたちは、ジョギング専用の周回コースを暑さに負けず走っている。
それを横目に寿々は、公園内に入った頃合いから、完全に息を切らしていた。ゼエゼエと必死に木陰を探し、ちょうど3メートルほどの幅員を持つ散策道に設置されたベンチを見つけて、
「……ハア、ハア、もうここでいい」
座り込みながら、ほぼ真向いにあるベンチを指差す。
「そっちに座って」
「わかりました。あの、すみませんが、5分だけ待っていてもらえませんか」
左近之丞から遠慮がちに許可を求められ、トイレにでもいきたいのかと思った寿々が「どうぞ」というと、脱いだ上着をベンチに叩きつけるようにして、「すぐに戻ります!」と、散策道を猛ダッシュしていく。
よくそんな体力があるな。
並木道を走り抜けていく白シャツの背中を見送りながら、額の汗を拭った寿々は、もしかして、けっこうギリギリまで我慢していたのかもしれないなと、その行先を目で追いかけていると、
「あれ?」
ちがった。
お手洗いの案内板を勢いよく通り過ぎた左近之丞が行き着いた先には、キッチンカーのコーヒースタンドがあった。そこで、アイスコーヒーをふたつ買い求めて、今度は慎重に、ただし驚異的な早歩きで散策道を戻ってくる。
首と肩が微動だにしない歩き方が、まだ一段と怖く、この暑さのなか、寿々の背中をゾッとさせた。
そうして戻ってきた左近之丞から「3メートル以内に近づいてもいいですか」と、また許可を求められ頷くと、
「どうぞ、アイスコーヒーです」
ミルクとシロップといっしょに、ぐいーっと精一杯伸ばされた右腕。
別に買ってきて欲しいとはいってない。御礼もいいたくなかったけれど、駅の北口からここまで移動してきた寿々の喉は、たしかに渇いていた。
透明なカップのなかでカラリと音を立てる氷に惹かれて、「いくら?」と聞き返しながら受け取ると、ブンブンと首がもげそうな勢いで振った左近之丞は、
「寿々さんからは一銭たりとも受け取れません。今日、会っていただけたことに一千万円お支払いしたいくらいです。いますぐキャッシュで」
男の金銭感覚は、すでに崩壊していた。
まあいいや、金はあるんだろうと「それじゃあ、いただきます」とひとくち飲むと、ホッとした表情の左近之丞が真向いのベンチに座り、上着を手にしたので、
「暑いでしょ。そのままでいいんじゃないの。少し、首元もゆるめたら」
といえば、「あっ……はい。それじゃあ、御言葉に甘えて」と、なぜか恥じらいながらネクタイをゆるめ、シャツのボタンをはずしてポッ──頬を赤らめた。
どっかの乙女か。
昨日──見合いの席に40分以上遅刻してきた人物とは思えない左近之丞の態度に警戒しつつ、
「それで、何の用?」
寿々は、いよいよ話を切り出した。
一瞬、身体をビクリとさせた左近之丞は、ひどく緊張した面持ちになり、しばらく足元を見つめたあと。「僕は──」と、ようやく口をひらいた。
「霊能者です」
それは知っている。釣書にも堂々と書いてあった。
今さらそれが何だと思ったけれど、
「高原山にある
どうやら身の上話が、はじまったらしい。
これはまた長くなりそうだと、すでに帰りたくなった寿々だが、アイスコーヒーを奢ってもらった手前、いまさら遮るのも気が引ける。
冷たいコーヒーで渇きを潤し、仕方なく「つづけて」と話しの先を促した。