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第7話 ヤツはいた



 不愉快極まりなかった昨日の見合い。


 イライラがつのった寿々は、今回の見合いをマッチングした禮子に、よっぽど連絡しようかと思ったけれど、ラウンジの盛況ぶりをみてやめた。


 捨て台詞を吐き、ヒールを高鳴らせて歩く、しかめっ面の自分とはちがい、ラウンジ内のカップルは総じて和やかな雰囲気だった。


 レストルームで見かけた清楚系御用達ブランドのワンピースの女性も、古典柄総しぼり振袖の女性も、御相手と楽しそうに、ときおり笑い声を上げている。良縁にめぐまれ、きっと上手くいくだろう。


 それに引き換え自分は——と、溜息しかでなかった。この盛況ぶりからして、縁談を取りまとめる禮子は、さぞかし忙しいにちがいない。


 いま、話すことじゃないか。


 話して聞いてもらったところで、見合いが失敗に終わったことにかわりはない。


 被害者ぶりたいわけでもないしな。


 男運が悪いのは、今にはじまったことじゃない。見合いを前に欲をかき、写真をみてイイ男だからと、必要以上に期待した自分が馬鹿といえばバカ。いや、大馬鹿だったといえる。


 電話をかけるのをやめた寿々は、そのままホテルをあとにして、帰りがけのスーパーで肉系のオードブルを買い、酒屋に寄ってちょっと良い酒を買った。


 そうして帰宅するなり、冷蔵庫からビールを3缶とりだして、バルコニーで流れゆく雲をながめながら、ほぼひと息に飲んだ。


 部屋に戻って、いよいよ本格的にハイボールを3杯、冷酒をぐびぐび飲んで、そこからボリュームのある肉と、「あのクソ男が……」とやはり北御門左近之丞の悪口をツマミに、ちょっと良い酒をヤケ酒ぎみに飲んだ。


 酒に強い自分にしては酔ったなと思いつつ、翌朝、ソファーで目覚めた寿々は、携帯電話に複数の着信があることに気づいた。


 着信は朝9時からおよそ20分間隔であり、発信者はすべて『ほうらい屋』となっている。


 時刻は10時半を回ったところで、まだ眠い目をこすりながら「叶絵かな? なんだろう?」とつぶやいたとき、手の中でふたたび電話が鳴った。


 相手はやはり『ほうらい屋』で、


「もしもし? どうしたの?」


 怪訝そうにでた寿々の声に、電話の向こうで「あっ、おねえちゃん……」とあきらかにホッとした声をあげたのは、やはり妹の叶絵だった。


 朝から疲れた声をだす妹から「あのね、じつは」と、連続する着信の理由をきいた寿々は、「なんですって」と一気に眠気がすっ飛んだ。


 叶絵によると——


 今朝9時前のこと。いつものように七福さんと開店準備をしようと、店のシャッターを開けたところ、ヤツはいたらしい。


「おはようございます。僕は、北御門左近之丞と申します。朝早くから申し訳ございません。蓬莱谷寿々さんにお会いしたいのですが、ご在宅でしょうか」


 昨日の見合い相手だと察した叶絵が、


「たぶん釣書にあった住所を調べて会いに来たんだと思うけど……お姉ちゃんの高原の住所は教えない方がいい気がして、とりあえず留守ってことにしているんだけど」


 咄嗟の状況判断が的確な、とても良くできた妹である。


「ありがとう。助かったよ。迷惑かけてごめんね。禮子さんはいる?」


「それが、朝早くからお母さんと出かけちゃって……いまは、わたしとふくちゃんしかいないのよ」


 ふくちゃんとは、もちろん七福さんのことである。


「とりあえず店に入ってもらおうかと思って声はかけたんだけど、外で待ちます、っていうから……いまも、店先に立っているんだけどさあ」


 困り声の叶絵がいうには、北御門左近之丞はとにかく目立つらしい。


「なんかワケありそうだけど、あの人、とんでもなくカッコいいね。玉輿神社へ参拝に向かう人たちが、もれなく振り返っていくよ。通り過ぎてから引き返してくる人もいるんだから。そのせいか、うちの店の前だけちょっと渋滞ぎみ」


 なんてはた迷惑な男だろうか。

 とにかくこれ以上、叶絵と七福さんに迷惑はかけられない。


 どうしようか──と少し迷いつつ寿々は、


「一時間後、ここに来るように伝えてくれる?」


 叶絵に伝言を頼んだ。


「わかった。ちょっと、待っていてね」


 数十秒後、電話口に戻ってきた叶絵から、北御門左近之丞が了承したと聞いて、もう一度「ごめんね。七福さんにも謝っておいて」と電話越しに謝罪し、通話を終えた。


 昨日に引きつづき、気分は最悪だ。


 今日もまた、あの失礼クズ男と会わないといけないのかと思うと、底をついていた気分が、さらにもう一段階、深い階層の底に沈んでいくような気がした。 


 さっきの伝言、ぶっちぎってもいいだろうか。


 あまりの憂鬱さに、そんな思いが頭をよぎったが、それはダメだと、すぐに思い直す。


 ぶっちぎるのはもちろんのこと、昨日の報復だといわんばかりに遅れていけば、あの男とおなじ穴のムジナになってしまう。常識ある一社会人としてそれは避けたい。

 そもそもの話、そんなことをすれば、あの失礼クズ男あらため迷惑千万めいわくせんばん男は、また性懲りもなく鶴亀商店街に行き、実家の店先で立ちんぼをして、叶絵や七福さんを困らせるだろう。


「今日で決着をつけてやる」


 ピシャリと両頬を叩いてソファーから立ち上がり、酔い覚ましの熱いシャワーを浴びた寿々は、っす~い化粧をした。


 さらにフォーマル系のセットアップだった昨日とはちがい、近くのコンビニにふらりと行くような、ラフな格好をする。


 あの男に、自分と会うためにアレコレ準備してきたとは、絶対に思われたくない寿々は、もう何度洗濯をしたかわからない一番くたびれたパーカーとジョガーパンツを選んだ。決着がついたあとは、ジョギングで帰ろうかな、という出で立ちだった。


 待ち合わせ場所に指定したのは、高原駅前のカフェ。


 駅の北口からでて、バスターミナルを通過。オフィス街に通じる飲食店街に向かって5分も歩けば、酒好きの寿々が行きつけにしているBAR『ネオ・フルリオ』がある。


 ギリシャ語で『あたらしい要塞』を意味する窓のない酒場は、常連客たちの間では通称『ネオ』と呼ばれている。


 その斜め向かいにある全国チェーンのコーヒーショップが、北御門左近之丞との待ち合わせ場所である。


 約束の5分前、ヤツはいた。




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