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第6話 後悔



 今さら──じつに今さらな言い分に、おさまりかけていた寿々の怒りが、ふたたびユラリと鎌首をもたげてきた。


「金輪際、おたくと話すことはありません」


「そ、そんな……それだけは、どうか」


 すがるような顔を向けてくる北御門左近之丞に、嫌悪さえおぼえ、寿々の語気が強まっていく。


「何度もいわせないで。アンタなんかとの見合いは、こっちも願い下げだっていったはずよ」


「貴女に許していただけるなら、僕は何度だって地に頭をこすりつけて──」


 そういいながら、また近づいてこようとする北御門左近之丞に、


「それ以上、一歩も近づかないで!」


 寿々から、ありったけの拒絶が示される。その瞬間、ピシリと金縛りにでもあったかのように男の動きが止まった。


 顔面蒼白のまま、こちらを見上げてきた赤茶の瞳は、あきらかに恐れを抱いていたけれど、そんなものは知ったこっちゃないと、寿々は決別を宣言する。


「これまで出会った人のなかで、アンタは最悪中の最悪よ。釣書みて、写真みて、ああだ、こうだと相手をおとしめて楽しむようなヤツは、地獄に落ちろ、このクソ野郎がっ!」


 それだけいってきびすを返し、橋を渡っていく。


 もうそれ以上、男は呼び止めてこなかったし、寿々が振り返ることもなかった。




◇  ◇  ◇  



 ダメだ、動けない。


 その背中に手を伸ばすのが精一杯の左近之丞は、己の大失態に、いまや後悔の大嵐だった。


 29歳にして、初の一目惚れからはじまった恋は、一瞬にして木っ端微塵に散った。それも、自分自身の不用意な言動の数々によって。


「嗚呼ぁああああ、何やってんだ……僕は、本当にどうして、こんなに馬鹿なんだ!」


 周囲も憚らずに泣き崩れる。


 怒りに満ちた彼女の言霊は強力だった。石畳に足裏が貼りついたように、左近之丞はいまだに動けずにいる。


 調伏あるいは呪縛されたかのように、その場に身体を縛り付けられ、どんどん遠ざかっていく彼女の背中をみつめることしできない自分に絶望した。


 北御門家のなかでも、とくに強い霊力を有する左近之丞にとって、こんなことは生まれてはじめてのこと。さらにいうならば、これまでの人生において、こんなにも悔いたことはなかった。


 見合いの話がきたとき。いつものように「またか」というわずらわしさが先行してしまった。


 30歳を目前にして一気に増えてきた縁談の多くは、どれもこれも実家の事情で会わずに断るのが難しい仲人たちの紹介で、今年に入ってすでに7回の見合いをしていた。


 そろそろ諦めてくれないかなと思っても、毎月のようにある顔合わせに、正直辟易していた左近之丞は、今回の見合いの釣書も、添えられた相手の写真も、ちらりとみただけで、「代わり映えしないな」と、日時と場所だけを確認してそれ以来、一度もみていなかった。


 気になったことといえば、仲人があの玉輿神社の婆さんで、相手の写真がいわゆる見合い写真ではなかったこと。名前を呼ばれて振り返ったときのような、ごくごく自然な表情を切り取った葉書サイズの写真だったということぐらいだ。


 この時点で好きも嫌いもなく。ただ「面倒だな」そればかりが左近之丞の頭にあった。


 そうして訪れた今日の見合い。指定された時間に三十分以上も遅れたのは、もちろんわざとで、フロントで相手がまだ待っていると聞いたとき、さっさと帰ればいいのに、とすら思ってしまった。


 通路を早歩きしながら、特別室に急かす従業員に、僕はなんていった?


『はいはい、わかりました。でもさあ、僕、結婚する気なんて、まだ1ミリもないんだよなあ。相手の写真も釣書でみたけどさあ。これといって……』


 無礼極まりないその言葉を余すことなく聞いていたであろう彼女は、あたりまえだが激怒していた。しかし、それすらも神々しかった。


 上がり框で脚を組み、腕組みをする彼女からギロリと睨まれた瞬間──ああ、好きだ。結婚するなら、このひとしかいない!!


 心も身体も一瞬にして囚われ、魅かれ、持っていかれた。


 彼女の声がききたい。彼女に触れてもらいたい。何がなんでも彼女のそばに在りたい。


 そう願わずにはいられないほどに、彼女から発せられる極彩色の後光は凄まじく、八百万やおよろずの神々から、あらゆる創造神、数多の神仏をあがめるがごとく、ただひれ伏すしかなかったのだ。


 そうして気づけば、拝みながら彼女に求婚していた。


「愛しています。どうか、僕と結婚してください。貴女を一生愛し──」


 しかし、求婚を遮るように、


「アンタなんか、こっちから願い下げよ。二度とわたしの前に顔みせるんじゃないわよ」


 鉄槌のように下された彼女の言葉。


 意識を飛ばすような痛恨の一撃を受け、しばし立ち上がることすらできずにいた左近之丞だったが、全身全霊で奮い立ち「……待って、待って」と、彼女を追い求めた。


 凄まじき後光を発する彼女の背中を追いかけて、ようやく橋で追いついたとき、ふたたび左近之丞は、研ぎ澄まされた刃のような彼女の言霊によって、一刀両断にされる。


「──地獄に落ちろ、このクソ野郎がっ!」


 いっそ死ねたら良かったのに、と思えるほどの艱難辛苦かんなんしんくに襲われた。


 そうしていま、胸と腹に両腕をまわしてうずくまり、石畳の上に額を擦り付けた左近之丞は、あふれる涙を止めるすべを知らない子どものように泣いていた。


「写真では……えなかったんです。貴女の美しさが……尊さが……僕にとって貴女が、どれほどかけがえのない人であるか……愚かな僕は気づけなかった」







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