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第4話 高砂ホテル



 秋晴れの土曜日。


 フォーマル系のセットアップにジャケットを羽織った寿々は、上高砂町にある『高砂ホテル』にいた。お見合い開始は30分後の午後1時から。


 白状しよう。今日、ここに来たのは、禮子の顔を立てるためが2割。残り8割は、超美形を間近で拝むためだ。


 釣書に貼り付けられていた画像が、美形加工されている可能性は否めないが、はばかることなく自分の職業を「霊能者」だと記載する者が、自分を良く見せようと、果たして写真の加工に手を染めるだろうか……いや、しないだろう。それなら、まずは職業をセラピスト系に詐称するはず。


 好物について釣書で言及するのも、だいぶ奇怪おかしいけれど、見合い写真の和装といい、総合的にみて、いったいどんな輩なのか、寿々は興味が湧いた。


 禮子から口頭で聞かされていた「クセはあるけど悪い男ではないんだよ。育ちはいいし、金もあるしね」という、「育ち」と「金」の部分も、迷える寿々の背中を力強く押してくれた。


 そうして、大安吉日の今日。美形の見合い相手・北御門左近之丞との顔合わせを前に、ホテルのレストルームへと寿々は足を運んだ。


 ちなみに本日、老舗『高砂ホテル』では、総勢30組のお見合いが予定されている。すべて結婚相談所『恋むすび』の禮子によるマッチングである。


 寿々は納めていないが、聞くところによると相場の三倍といわれる入会料と登録料を納めた者たちが、良縁を求めて本日のお見合いに臨んでいるわけで、立ち寄ったレストルームでは、これから見合いという女性たちがひしめきあい、身だしなみチェックに余念がない。


 けっこう振袖組が多いなと感じつつ、寿々は「すみません」と人混みをかき分け、空いている鏡台で化粧と髪型のチェックをする。


 曇りひとつない鏡面に映るのは、黒髪ロングストレート、オフィスメイクに少しピンク系のチークを足して、ピンクゴールドのアイシャドウにローズ系の口紅で、華やかな雰囲気を──と、装ったつもりの寿々だったが、両サイドの女性たちに、はやくも圧倒された。


 サロン仕様の優雅な艶のある巻き髪、目鼻立ちくっきりのプロ級メイク。右は清楚系御用達ブランドのワンピースで、左は古典柄の総しぼり振袖という気合の入り方だった。


 ビジネス寄りのフォーマル系セットアップにオフィス仕様のメイクは、少々チークを足したところで地味すぎる。


 場違いな感じが否めず、やっちゃったなあ……と思いつつ、早々とレストルームをあとにした寿々が、ホテルのフロントに向かっていると、


「本日ご参加の蓬莱谷様でいらっしゃいますか?」


 柔らかな笑顔の従業員に声をかけられる。


 さすがというべきか。大人気の結婚相談所『恋むすび』の見合い会場を長年任されてきただけあって、参加者の顔は事前に把握済みなのだろう。場違いな地味スタイルであっても、きっちりと識別してくる。


 従業員の女性に「はい、そうです」と答えた寿々は、てっきり会場となるラウンジに案内されるものだと思っていたのだが、


「こちらです」


 案内されたのは、ホテルの特別室だった。


 なんでも、ここに通すようにと禮子から指示があったらしく、


「のちほど御相手の方もこちらに通させていただきますので、いましばらくお待ちくださいませ。なにかございましたら、フロント1番にお申しつけください」


 物腰やわらかに説明されて「はい、わかりました」と返すしかなかった。


 前室ありの広い和室。日本庭園を眺められる茶室があって、床の間には美しく活けられた花がある。寿々は、母・照子の言葉を思い出していた。


「やっぱり振袖……が正解だったのかな」


 今さらだけど。見合い写真の北御門左近之丞も和装だったしな……


「でもなあ、27歳にしてピンクの振袖はないよね。23歳の叶絵だから似合ったのであって」


 ピンクじゃなかったら、なんて振袖の色のせいにして後悔をやわらげたあと、踏込みでヒールを脱いだ寿々は、前室を通って座敷に用意された席につく。時刻はまもなく、約束の午後1時となる。


 床の間側の上座を空けて、下座の座椅子に座って手入れの行きとどいた見事な日本庭園を眺めながら、手持ち無沙汰に見合い相手の北御門左近之丞の待つ──足を崩して待つ──約束の時間が過ぎて不愉快になりつつ、それでも待つ──ひとつの連絡もないまま、約束の時間を過ぎて待つこと30分。


 北御門きたみかど左近之丞さこんのじょうは現れない。黒光りする長卓に握り拳を軽く打ちつけて「ふざけんな」と、寿々は立ち上がった。


 遅れる本当の理由が寝坊でも構わない。『申し訳ありません。体調不良で……』嘘の理由で取り繕って、まずは謝罪の連絡をいれるというのが、筋ではないか。


 何も連絡しないまま見合い相手を30分以上待たせるのは、大人として社会人としてアウトだろう。霊能者であったとしても、だ。


 午後1時の指定で、現在の時刻は午後1時40分過ぎ。もう、十分だと、足早に前室を抜けた寿々が、上がりかまちに腰を掛け、揃えたヒールに片足を入れたときだった。


 格子扉を一枚隔てた通路から声が聴こえてきた。


「お急ぎください。もうかなりお待ちになられておりますので……」


 焦りの色をみせる声は、寿々をここに案内してくれた物腰のやわらかな従業員の女性だろう。


 しかし、急ぐように促されている見合い相手であろう男は、


「いいよ、いいよ。そんなに急がなくても」


 じつにのんびりとした口調で歩いているようだった。そこに相手を待たせている、ということに対する申し訳なさは、微塵も感じられない。


 さらにこの男・北御門左近之丞は、寿々の怒りに触れる発言をした。特別室のすぐそばで「とにかくお急ぎください」と急かす従業員に向かって──


「はいはい、わかりました。でもさあ、僕、結婚する気なんて、まだ1ミリもないんだよなあ。相手の写真も釣書でみたけどさあ。これといって……」


「…………」


 初対面ではあるけれど、縁があって見合いをすることになった相手に対して、それこそ1ミリの敬意もないふざけ切った態度に、寿々の怒りは一定値に達した。


 結婚する気がなかったのは、こちらも同じ。しかし、釣書をみて、写真をみて、この男に0.1ミリでも興味を持った自分が恨めしい。男運のなさは健在だった。


 まったく、こんな男ばっかりだ。


 禮子のマッチングだからと、必要以上に期待してしまった分、落胆は大きいが、これで遠慮はひとつもいらなくなった。


 北御門左近之丞、オマエなんか、こっちから願いさげだ。


 もう、ここに用はないと、ヒールに両足をいれたときだった。


「失礼いたします」


 ガラリと格子の扉がひらいた。






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