夜、課題をこなしているとKIRAから電話がかかってきた。
『虹、今日はごめん。軽率だった』
「そんなことない。大丈夫。リナさんも気遣ってくれて……結局あの後も何もなかったから」
『明日、配信で会えないから、今から行ってもいい?』
「今から? あ、うん……」
電話を切って大急ぎで部屋着から普段着に着替える。とは言っても然程変わり映えはしないのだが……。
KIRAはこの前もオシャレだったし、きっと今日もオシャレだろう。KIRAなら学校のジャージでさえオシャレに見える。部屋着にしている中学生の頃の体操服のハーフパンツ。急いでクローゼットに仕舞い、せめてものデニムに穿き変えた。
KIRAは電話を切った後直ぐに家を出たらしく、虹が着替えを終わらせると同時に階段を登る音が聞こえてきた。
「虹〜、開けるよ?」
「早かったね」
急いで部屋のドアを開けると、KIRAは虹を半ば担ぎ上げる勢いで押し入った。
「天ヶ瀬君?」
思いがけない対応に虹が瞠目としていると、KIRAは虹を抱えたまま床に座り込んだ。
「今日、すげー嫌だった」
「あの女子のこと? それなら……」
「違う。俺は虹に話しかけもできないのに、リナや萩原は当たり前みたいに虹の側にいた」
「リナさんは、気を使ってくれて」
「分かってる。けど、俺の虹なのに」
耳元で喋っているのは意図的だ。低く掠れた声が響く。陶酔してしまうその声、その言葉に、悦ばずにはいられない。
これを独占欲と思のは勘違いではないはずだ。お互いの秘密を守ることを優先してくれたKIRAが、友達にさえ嫉妬してくれたことに、期待する気持ちを抑えられなくなってしまった。
「虹、俺、欲張りになってもいい?」
虹を抱きしめたまま、耳元で囁く。どう答えていいのか分からず狼狽えているとKIRAは構わず話を進めた。
「俺ね、ショコラ見た時、メイクは今よりも覚束ない感じだったけど、それでも『可愛くなりたい』って気持ちがすげー伝わってきて、応援したいって本能的に思ったんだよね。
それがさ、同じクラスの人だったって知って、しかも青山虹だって分かった瞬間、運命しか有り得ないって確信したんだ」
虹はKIRAの言う意味が理解できないでいた。何故、ショコラが青山虹だったことが運命になるのか疑問でしかない。
KIRAは続けて虹も覚えていなかったことを口にした。
「俺がバンド始めたの、きっかけは虹だよ」
「え、僕が?」
「そう。まぁ覚えてなくて当然なんだけど、一年の時、廊下でぶつかったの覚えてる?」
「覚えています!! 天ヶ瀬くん、優しくて、それに声が……」
「『声が綺麗』って、言ったよな」
「僕、それは頭の中だけで言ったと思ってた」
「言った言った。声を褒められたのって初めてで、ちょうどあの頃バンドメンバーと顔合わせしてた時期でさ、加入するかどうか悩んでたんだよね。でも虹が褒めてくれたから。だからやってみようと思えたんだ」
まさか虹がKIRAがバンド活動を始めるきっかけだったなど、誰が想像するだろうか。それもたった一言である。
驚きすぎて更に言葉を失ってしまった。
「そんなことでって思う?」
「おも……思わない。ただ、あんな一瞬のことを覚えてくれているなんて信じられなくて」
「タイミングが良すぎて、虹の一言が強烈だったんだよね。でも今、バンドやって良かったって思ってるから、本当に虹のおかげなんだよ」
その後、二年生で同じクラスになったが、虹があまりにも地味すぎて記憶と現実の一致までに時間がかかったと言う事実も暴露された。
仕方ないといえばそうだ。KIRAにとって衝撃だったのは虹の一言であって、虹自身ではない。
KIRAはその頃すでにショコラのファンだったと言った。考えてみれば本当に配信を始めた初期の頃だと思った。後になって二人が同一人物だと判明すれば、誰でもKIRAと同じように驚いただろう。
KIRAは水曜日のあの時間はモデル事務所に通う電車の中であることが多いらしく、移動中の楽しみにしてくれていたそうだ。
ショコラがメイクの話をするたびに、自分がショコラのメイクをしてみたいと思うようになったと言う。
「折角、夢が叶ったのに、俺は虹のこと守ってやれなくて、無責任に振り回してごめん」
KIRAのような人でも落ち込んだりするのか……と虹は意外に思った。その対象が自分なのが未だに信じられない。
ただの練習台だと思っていた。KIRAは人気者だし、虹は確かに少しずつ認知されてきたにせよまだ無名と言っていいほどだ。そんな虹に対して真剣に向き合ってくれていたと全身で伝えられ、これで好きになるなと言われた方が酷である。
KIRAに包み込まれて、虹からあやすように背中を撫でる。KIRAは虹の首元に顔を埋め、鼻先を擦り付けた。
「くすぐったいよ」
「この時間がずっと続けばいいのに」
「今日の天ヶ瀬くんは、何だか別人みたい」
「俺、好きな子にはすんごい依存するから」
「す……」
「好きな子、青山虹」
「ショコラ……じゃなくて?」
「ショコラはキッカケ、虹もキッカケ。昨日引っ越しの挨拶の後、ここで二人で過ごして、その時すげー居心地良くてさ。好きなこと共有できて、お互いファンで、相思相愛って言ったのも本気だし、運命だって思ったのも本気。全部、こうなるように仕向けられてたみたい」
KIRAは「でも……」と続ける。
「虹の恋愛対象が男じゃなかったら、そう言ってくれていいよ。男の娘だって、ゲイとは限らないし。俺は仲良い友達とかには言っちゃうんだけどね。誰もが受け入れられることじゃないのも分かってる。ってか、ゲイなんて珍しいだろうし」
KIRAの口から溢れる言葉が虹の中に浸透していく。本当に、夢を見ているようだ。
考えてみるとKIRAは男女問わずモテるけれど、彼女がいたという噂は聞いたことがない。一部の女子の間ではリナが彼女だと言われていたこともあるが、それはリナ自身が否定している。
その真相がまさかゲイとは、同族の虹でさえ考えつかない原因だ。
「天ヶ瀬くん、あの……僕も……恋愛対象は、男……なんだ」
「本当に?」
「うん、これも初めて人に言った」
「虹の初めて、もっと欲しい。虹はキスしたことある?」
「そんなの、あるわけない!!」
勢いつけて顔を振る。
「じゃあ、その初めても俺が貰っていい? その先の全部。初めての全部を俺がもらいたい」
「天ヶ瀬く……ん……」
名前を呼び終わらないうちに、KIRAの顔と重なりあっていた。柔らかく、温かい体温が唇から伝わってくる。虹を抱きしめている腕に一層力が込められた。