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第8話 悩み

 その日、KIRAの機嫌は悪かった。今朝の一件が関係しているとは、誰が見ても一目瞭然であったため、もうクラスの誰もその話題に触れることはなかった。

 KIRAが不機嫌を表に出すのは珍しいこともあり、余計に教室の空気が悪くなっていた。その情報は直ぐに拡散される。きっと一組の女子の耳にも入っているだろう。

 それ依頼、虹のところに知らない女子が来ることはなかった。


 綾はいつもに増して虹を構い倒し、KIRAの代わりにリナが時折声をかけてくれた。

 綾とリナは優等生と派手なギャルという一見正反対な存在であるが、遠い親戚ということもあり幼馴染で仲が良い。だから余計に綾もリナも、KIRAと虹が友達で何が悪いという意識が強いのだ。

「虹ぃ、チョコあげる〜」

 綾の真似をしてリナが虹の口元にチョコを差し出す。それを隣から綾が阻止した。

「虹くんに餌付けしてもいいのは俺だけだから」

「何だよぉ、ケチくさいこと言ってんなよぉ。ってか餌付けとかウケるんですけどぉ」

 リナはケラケラと笑う。

 実際、虹は綾に餌付けをされた。入学して間もない頃、クラスに馴染めなかった虹に、綾は少しずつ距離を縮めようと、虹の好きそうなお菓子を持ってきては口へ運んでいたのだ。

 それから徐々に仲が良くなり、今ではすっかり親友になっている。綾は「虹くんの餌付けに成功した」と満足気である。

 リナが虹に絡むことで、更に周りへの牽制になったのは言うまでもない。それでも全員が納得しているとは到底思えないから、一刻も早く平穏な日々が戻ってくるのを願わずにはいられない。

 前髪の隙間からKIRAをこっそり覗き見ると、不貞寝をしているようであった。直樹は特に気にせずスマホを弄っている。いつもなら配信があった後は人集りができるが、今日のKIRAには誰も近付けない。

 普段が賑やかなだけに、不自然なほど静かに感じられた。


 昼休みはあろうことか同じ美術部である麦がいる教室、一組へと行く約束をしていた。朝の女子もこのクラスだったと四限目が終わってから気付き、項垂れる。しかし一組ではKIRAの機嫌が悪いらしいという情報は出回っているものの、朝の女子たちの姿はなかった。

 麦は虹と同じくらい(もしくは、それ以上)の陰キャと言える友達だが、絵師としてSNSではフォロワー数三万人を超える人気を博している。虹と同じく正体は隠しているが、同じ学校内でもスマホの待受画面に麦の絵を設定している人を見かけることもある。

「噂になってるね」

 ボソボソと麦が言う。

「やっぱり? 一組、どんな感じ?」

「まぁ、でも、うん……」

「ならいいや」

 麦はいつもこんな調子だ。口調が穏やかであることから、「心配ないんじゃない?」と言いたいのだろうと受け取った。

 相手がKIRAじゃなければこんな大事にもならなかったのだろうが、何となく、素のKIRAは放っておけない母性をくすぐられる。虹よりも余程しっかりしているが、所謂、甘え上手なのだろうと、昨日を振り返って思った。

 それに、KIRAから甘えられて嫌な気がしない。むしろ、もっと頼って欲しいなんて思ってしまう。

 きっとそれは虹がKIRAに好意を寄せているからと頭の片隅では自覚しているが、意識的に気付かないふりをしているだけなのだ。こんな話は綾にも麦にも聞かせられない。

 今日はどこにいても、窮屈に感じてしまう虹だった。


 夜、課題をこなしているとKIRAから電話がかかってきた。

『虹、今朝はごめん。軽率だった』

「そんなことないよ、大丈夫。リナさんも気遣ってくれて……結局あの後も何もなかったから」

『明日、配信で会えないから、今から行ってもいい?』

「今から? あ、うん……」

 電話を切って大急ぎで部屋着から普段着に着替える。とは言っても然程変わり映えはしないのだが……。

 KIRAはこの前もオシャレだったし、きっと今日もオシャレだろう。KIRAなら学校のジャージでさえオシャレに見える。虹が部屋着にしている中学生の頃の体操服のハーフパンツ。急いでクローゼットに仕舞い、せめてものデニムに穿き変えた。

 KIRAは電話を切った後直ぐに家を出たらしく、虹が着替えを終わらせると同時に階段を登る音が聞こえてきた。

「虹〜、開けるよ?」

「早かったね」

 急いで部屋のドアを開けると、KIRAは虹を半ば担ぎ上げる勢いで押し入った。

「天ヶ瀬君?」

 思いがけない対応に虹が瞠目としていると、KIRAは虹を抱えたまま床に座り込んだ。

「今日、すげー嫌だった」

「あの女子のこと? それなら……」

「違う。俺は虹に話しかけもできないのに、リナや萩原は当たり前みたいに虹の側にいた」

「それはリナさんが……」

「分かってる。けど、俺の虹なのに」

 耳元で喋っているのは意図的だ。低く掠れた声が響く。陶酔しそうなその声、その言葉に、悦ばずにはいられない。

 これを独占欲と思うのは勘違いではないはずだ。お互いの秘密を守ることを優先してくれたKIRAが、友達にさえ嫉妬してくれたことに、期待する気持ちを抑えられなくなってしまった。

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