翌日、汗だくで目を覚ました虹は、眠い目を擦りながらシャワーを浴びた。
少し熱めのシャワーで寝ぼけた脳が覚めていく。
天然パーマの髪の畝りが、より鮮明になり嫌気がさす。これが父親譲りだというところが余計に嫌いな理由だった。KIRAのようなサラサラのストレートヘアになりたかった。KIRAは虹にないものを全て持っている。羨望の眼差しで見てしまうのは、単純に羨ましい気持ちもあるのかもしれない。
着替えを済ましたところで電話が鳴った。画面に【天ヶ瀬綺羅】と表示され、全身の毛が逆立った。
「あ、天ヶ瀬くん?」
震える指先で通話ボタンを押すと、『虹〜?』と気怠い声が聞こえる。
「どうしたの?」
『一緒に学校行こうと思って。俺、自転車ない』
「あ……」
なるほど。と納得する。一緒に行こうと誘ってくれたのは、引っ越したばかりで自転車通学に変わるところまで気が回らなかったというだけだ。そういえばKIRAは電車通学のイメージがある。
「直ぐに行くね」
慌てて玄関から飛び出すと、KIRAは既にそこにいた。
金髪が朝日に照らされて煌めいている。光で輪郭ぼやけ、小さな頭がより小さく感じられる。
「虹、おっはよ」
「おはよう。ウチ、自転車一台余ってるから貸しておくよ? お母さんは殆ど乗らないから僕がそっち使って……」
「ううん、良い。虹と一緒に行くから」
今日もKIRAに心を射抜かれそうになる。危ない、気を抜くのはだめだと昨日決めたばかりだ。
KIRAは自分が自転車を漕ぐからと言って虹を後ろに座らせる。
「虹、しっかり掴まっててくれないと落としちゃう」
「ひっ、でも……そんな……」
「ほら、怪我したくなかったら腕はここ」
KIRAの胴を背後から抱える体勢にさせられると、必然的に背中に頬を寄せる形になる。KIRAは特に気にしていない様子で出発した。
また自分だけがドキドキしているんだろうな。そんな風に思いながらも、神様にありがとうと心の中で言ってしまう。KIRAからの態度が昨日から変わらなかったのも、嬉しかった。
学校付近まで来ると、KIRAを呼ぶ声が聞こえてきた。学校の友達でもあり、一緒にモデル活動をしている、所謂【一軍】と呼ばれる二人だった。
「直樹とリナだ。じゃあ、虹くんここで」
「うん、ありがとう」
「ありがとうは俺だろ?」
KIRAはまた明日も迎えに行くと言い残し、友達の元へと行ってしまった。
「お前、パシリに使っちゃダメじゃん」なんて、韓国アイドルのような容姿の直樹に突っ込まれている。
「あの子、怯えてたっぽくね?」淡いピンクの髪色のギャルの女の子が、ケラケラと笑いながら言う。
「友達になった」と、KIRAは一番信用できない返事をしていた。
最寄り駅の近くだから、丁度友達と合流できたのだろう。学校からまだ少し離れているし、ここならあまり多くの生徒に目撃されることもなさそうだと思った。
(明日も自転車で一緒に行くなら、ここまでかな)
勝手に脳内で計画を立てながら、ひと足先に学校へと到着した。
教室へ入ると、親友の綾はもう来ていた。
「綾くん、今日はいつもより早いね」
「おはよ。生徒会の集まりがあってね。昼休みも集合になっちゃって、お昼一緒に食べられないや」
「いいよ、一組の麦くんの所に行くから」
「虹くん、なんか良いことあった? 口元が緩いよ?」
「へ? そんな、いつも通りだよ。普通、何もない。平凡の代名詞といえば僕でしょ」
「そこまで言わなくても」
綾は他人のちょっとした感情を察するのが得意だ。虹でも気付かないくらいの体調不良にも素早く気づいてくれる。生配信が水曜日なのは、綾も忙しくて虹に気を使う余裕がないという点でも都合が良かった。放課後、一目散に帰る姿など見れば、何かあると既に気付かれていただろう。
綾がコンビニで新発売のお菓子を買ってきたから部活で食べようと袋から取り出す。夏限定のレモン味のお菓子やチョコミント味のお菓子なんかが入っていた。変わった味を見つけると直ぐに試したくなるのは出会った頃から変わらない。同じ美術部の虹と麦は、美味しいも不味いも一緒に楽しめる大切な仲間なのだと言ってくれている。
今日も平和な一日が始まる。そう思っていたが、突然知らない女子生徒が教室に乗り込んで来たかと思いきや、躊躇うことなく虹に声をかけてきた。
「あんた、さっき綺羅君と一緒に登校してなかった?」
「え、それは……どういう……」
「なんであんたみたいな地味でダサいやつが綺羅君と一緒にいるわけ? 穢れるから二度と近付かないで」
二人組の女子が言わんとすることは直ぐに分かった。密かにファンでいるのはいいが、抜け駆けをするなと言いたいのだ。
「あの……ごめんなさい」
「は? 別に謝ってくれなんて頼んでない。綺羅君に地味な空気吸わせんなって言いたいだけ」
「今度近付いたら、マジで許さないから」
言いたい放題の彼女たちに、怒りを露わにしたのは綾だった。
「聞いていれば、勝手だね。その目撃が本当だったとして、天ヶ瀬君が一緒にいたなら、それは天ヶ瀬君が納得してのことじゃないの? 天ヶ瀬君が嫌なら、一緒にいるわけないよね。本人に確認しても良い? 虹君と一緒にいるのが嫌だったかどうか」
綾は捲し立てるように詰め寄る。相手が女子だろうがなんだろうが、気に入らないことを無視できない性格だ。女子生徒もそんな綾にたじろいている。
「どうなの? 君たちは突然このクラスに来て、虹君が全面的に悪いと言ってるように感じたけど、天ヶ瀬君が嫌だと言ってるのを聞いたの? 頼まれてここに来たの? 本人のいないところで一方的に言われても、それはフェアじゃないよね」
「ちょ、綾君、言い過ぎだって」
「だって許せない。相手が言い返さないからって図に乗るやつ」
一人の女子は既に涙目になっている。こうなるとは思いも寄らなかっただろう。朝の登校時間で、人だかりが出来始めていた。
「何事ぉ? 喧嘩ぁ?」
気怠い声が聞こえてきた。KIRAの友達のリナだ。つまり必然的にKIRAも直樹も一緒にいる。
女子生徒はバツが悪くなり、飛び出すように三組の教室から走り去った。
「ごめん、ありがとう。綾くん」
「いいよ、虹くんが言い返せないって分かってて来たんだよ。ああいうの、他にもいるから気を付けてね。虹くんが天ヶ瀬君と友達になったなら、堂々としてりゃ良いんだ。悪いことなんかしてないじゃないか」
綾は喋りながらカバンの中から飴を一つ取り出し、虹の口に入れる。
じんわりと甘いのが口中に広がると、やっと肩の力が抜けた。
「綾、なんかあったん?」
リナが綾に話しかけにきた。
「さっきの女子、多分一組の子だろ? 今朝、虹くんと天ヶ瀬君が一緒に登校してるのを目撃したみたいで、近寄るなって言いにきた」
「は? んだそれ。綺羅ぁ? どうするぅ?」
リナはKIRAよりもっと気怠そうに喋る。KIRAが大きくため息を吐き、その隣で「女の嫉妬怖っ」と直樹が失笑していた。
KIRAに迷惑をかけてしまった。こういうことは簡単に予測できたはずだ。KIRAと一緒に行動するということは、つまりはこういうことなのだ。現実を突きつけられた。リナや直樹なら隣にいることを許される。虹のような違う人種は、同じ空気を吸うことも許されない。言いに来たのがあの人たちだったと言うだけで、目撃した誰もが同じように思ったはずだ。
「あの、あの人たちは悪くないので……悪いのは僕なので……」
庇うように言ったが、虹以外の誰もその意見を飲み込んではくれなかった。
「綺羅がぁ、友達って言ったならそれはもう友達なんだよぉ! 堂々としてりゃ良いよぉ。綾もそう思うっしょ?」
リナが隣に立っている綾に同意を求める。
「誰もがリナみたいな単純脳じゃないの。はい、もう散って散って。虹くんに平和を返して」
「なんだよ、保護者かよ」
リナが笑いながらKIRAの元へと帰っていく。他の生徒もつられるようにそれぞれの席に着く。KIRA
が『ごめんね』と手で合図してくれた。頷いて返事をする。事を荒げないためには、本人が感情的になってはいけないとKIRA自身が一番よく知っている。その分、リナがKIRAの感情の全てを吐き出しているようにも思えた。
朝から災難だったが、夢から覚めた感覚もある。自分が周りからどんな目で見られているのかも。
口の中の飴は、直ぐに溶けてしまった。