「そういえば、祝日なのに親はいないの?」
「はい。ウチは母子家庭なのですが、今日はきっと夜遅くまで出掛けていると思います」
「虹、とりあえず敬語やめよ?」
「無理です。神に、そんな失礼なことできません」
「虹は俺のことをなんだと思ってんの? 俺は天ヶ瀬綺羅。十七歳、高校二年生。君は?」
「青山虹……十七歳、高校二年生」
「名前以外、全部同じだろ?」
「う、うん」
同じだけれど、同じではないと思う。やはり人間としての何もかもが違うと思う。それでもKIRAがそう言ってくれるから、頷いておく。
声が好きだと、そればかり思っていてたけれど、実際とても優しくて楽しくてよく喋る。KIRAの周りに人が集まる理由が分かった気がした。
KIRAは晩御飯を一緒に食べようと誘ってきた。推しの前でご飯なんて食べられないと言ったけれど、虹の言葉は無視してスマホで注文をし始めていた。
「今日は色々記念で俺の奢りだから、安心して。食べたいのある?」
「そんな、ちゃんと半分出しま……出すよ」
「タメ口、頑張って」
身を乗り出した虹の髪を撫でられ、またもや意識が遠のきそうになってしまった。不意打ちのイケメン行動がこれからも飛び出すのかと思うと身構えてしまう。気が抜けない。イケメンはどこから飛んでくるか予測できない。
完全に遊ばれている。虹がいちいちオーバーに驚くものだから、KIRAは新しいおもちゃでも見つけたような、好奇心旺盛な眼差しを虹に向ける。
「マジで、俺が全部出すから。どうせ食べる量も違うし。だから、何でも遠慮なく言って」
KIRAはスマホの画面を差し出したが、虹は真剣な面持ちで頼み事を申し出た。
「あの、何でもするので本当に僕のことを秘密にしてほしいんです。活動のことも、こうして天ヶ瀬くんとの時間を過ごしたことも」
「何? そんな不安? うん……じゃあ俺さ、将来メイクアップアーティストになりたくて。ショコラにメイクの練習台になって欲しいかも」
注文完了ボタンを押して、顔を上げた。
「女子に頼むと、後々面倒なことになるし。ショコラに出会えるなんて俺も思ってなかったもんね。でもショコラの正体を誰も知らないなら、俺らが二人でいてもバレる心配もないじゃん? 俺とショコラだけの秘密」
人差し指を立ててKIRAが言う。そのポーズがあまりにも決まっていて、まるで雑誌から飛び出したみたいに見えた。KIRAの行動や表情の一つ一つにときめいて虹の感情は忙しい。
それでも考えて見れば確かにそうだ。もし女の子がKIRAにメイクしてもらえれば、瞬く間に噂が広まるだろう。そうすれば、次々に自分もして欲しいと名乗り出て、収集がつかなくなるのは目に見えている。その点、ショコラなら安心というKIRAの意見は納得できる。虹は誰にもこのことを言わないし、むしろ言えないし、こんな適任はいない。
無意識に頷いていた。
「やったぁ」と、ガッツポーズを見せるKIRA。
「ショコラを独り占めできるなんて、贅沢すぎる」
KIRAは期待させるようなセリフを平気で言う。言い慣れている。この言葉に本気になってはいけない。男同士だし、相手はKIRAだし、そこに虹が受け取っているような感情は込められていない。単純にメイクの練習台として都合よく虹が現れたというだけの話だ。だから緊張するなと言ってくれている。敬語をやめてラフに接してと言っている。分かっている。分かっていても、心拍数を落ち着かせる方法までは分からない。今だってKIRAは至って普通で、虹だけがドキドキしている。この温度差が恋愛への発展などないと物語っているようなものだ。
(いや、僕はただのファンだ。恋愛対象が男の子とはいえ、KIRAの恋人になりたいわけではない。それにKIRAだって気の置ける友達の前だとこうなのだろう。僕が恋愛経験が無さすぎて、勘違いでも本気で好きになってはいけない。身の程を弁えなければ)
自分に言い聞かせるのも大変だ。人生でモテた経験もなく、推しという存在でさえKIRAが初めてなのだ。あまり期待するようなことは言わないでと頼みたいが、無意識で放っている言葉を意識しろなんて言われてもKIRAを困らせるだけだろうし……。考えすぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「虹? にーじー? 料理届くから受け取りして」
「はっ! はい」
玄関に飛び出した。ピザを受け取ると、自分がまだメイクを落としていないことを思い出す。
(やっちゃった)
前髪で隠れていたと信じたい。そもそも人と目を見て話すのが苦手でずっと俯いているから、多分見られていない。そう思い込むことにした。
「あの、食べる前にメイク落としてきます」
「虹、また敬語」
KIRAは虹の腕を引いて目の前に座らせる。
「一回敬語使うたびに、罰ゲームでもしてもらおうかな」
「た……例えば……?」
「そうだな……俺の好きなところ一つずつ言っていくとか?」
「無理無理無理無理!! そんなの、恥ずか死ぬ」
「ははっ! 死ぬほど? じゃあ、頑張って敬語やめよーな。はい、洗面所行ってらっしゃい」
ポンと手を肩で弾く。
好きなところなんて伝えきれないほどあるけれど、それを本人に言うなんて無茶武振りが過ぎる。
メイクを落とせば冴えない虹に戻ってしまう。途端に自信がなくなる。ショコラの姿でさえ、KIRAの前では上手く喋れなかった。
「ふぅ……」
ため息を吐く。なんだか凄い日になってしまったな……と鏡を見ながら自分と向き合う。
これから、この肌にKIRAが触れるなんて信じられない。
リビングに戻ろうとした時、更に寿司が届いて驚いていると、入れ違いにチキンも届く。
「これで注文したの、全部揃ったな」
「流石に頼みすぎじゃない?」
「普通だろ。ジュースで乾杯しよう」
手際よくテーブルに並べていく。
パーティーでもするのかと思うほどの料理が敷き詰められた。
「じゃあ、ショコラとKIRAの出会いに乾杯」
「乾杯」
「せっかくメイク落としたばっかだけど、早速後でメイクしてもいい?」
「いきなり? 本当に?」
「本当、本当。大真面目。肌、綺麗だよな。きめ細かいし。今日はファンデやめてアイメイクだけ練習しようかな」
「あの……あんまり見られると、食べれない」
「ごめん、そうだった。とりあえず食べよ。腹へった」
意外にもKIRAは「いただきます」をきっちり言う人だった。失礼だけど言わないのかと思っていた。それどころか、勝手に食が細いイメージだった。スタイルも良いしモデルの仕事もしているから、あまり食べてはいけないような印象を持っていた。しかし実際のKIRAはよく食べる。ピザも寿司もチキンもみるみるKIRAの胃に飲み込まれていく。
「凄いね。細いのに」
「歌ってるとさ、すんごいエネルギー使うんだよね。歌う前は食べないんだけど、その後はすんごい食べるよ。メンバーも全員そうだな。虹は少食そう」
「あまりいっぱいは無理かな」
「細いってか、折れそうだもんな」
喋りながらもKIRAの手は止まらない。合間でSNSの投稿もしながら、一時間も過ぎる頃にはほぼ全ての料理を平らげていた。
「じゃあ、早速やる? いつも部屋でメイクしてんの?」
「そうだけど……え、部屋に来るの?」
「行かなきゃ出来ないじゃん。ほら、さっさと片付けて部屋行こう」
頭が追いつかない。KIRAはゴミをまとめてテーブルを拭いていく。結局、虹が呆然としているうちに片付けも終わっていた。
KIRAが部屋に入るなんて、本当に今日が命日かもしれない。神様のイタズラにしては度が過ぎている。
言われるがまま自室に案内すると、隠してあるメイク道具一式を取り出す。
「わぁ、ショコラって感じがする」
KIRAはコスメポーチからプチプラコスメをチェックしながら取り出していく。
当たり前のようにクリップを手に取り虹の前髪を掬う。指が額に触れた。
「んっ」
思わず肩が竦む。
「そんな、怖がらなくても良いから。前髪留めるよ」
顔が全て晒されるのは、怖いと言うより緊張する。ショコラじゃない限り、目を出すことすらない。
「目、閉じて」
囁くように言われ、キスされるのかと思うほどの甘い声に虹は泣きそうになった。
KIRAの指が瞼に触れる。
「やっぱり、虹は綺麗だね」
もういっそ、このまま蕩けてしまいたいと虹は思った。