『女の子になりたい』
そう言うと語弊があるように感じる。正しく表現するならば『かわいいと言われたい』だろう。
『かわいい』を追求した結果、
毎週、水曜日。午後五時からの約一時間。
ホームルームが終わるや否や、二年三組の教室を飛び出す。
普段は大人しい性格であるが、この時だけは眠っていた才能が開花したように、俊敏な動きを見せる。
自転車に跨り、自宅まで猛スピードで帰る。玄関の鍵をかけ、自室へ向かう前に洗面台の前に立ち、丁寧にスキンケアを施す。自室へ戻るとクローゼットの奥からメイク道具一式を引っ張り出し、鏡に向かう。
下地を塗り、ファンデーション、アイメイク、リップメイクにチークも入れ、ウィッグを被れば準備が整う。
男の娘配信チャンネル【虹色チョコレートファッジ】の“ショコラ”の完成だ。
虹は週に一度だけ女の子の姿になり、生配信を始める。この活動も一年程経ち、チャンネル登録者数はもうすぐ二千人に達しそうなところであるが、虹自身、数字的なことは殆ど気にしていない。それよりも、少しの人でいい。自分のなりたい姿を見て、認めてくれるだけで満足だった。誰にも言えない『女装』という趣味を理解してくれる人がいて、友達のように接してくれる。その空間でいられる一番大切な時間なのだ。
時計を見ると配信開始まであと十分というところだった。
「うん、間に合いそう」
急いで買ったばかりのシャツワンピースに着替える。カメラの位置を確認し、大きなビーズクッションの前に座ってクマのぬいぐるみを抱く。
配信スタートボタンを押すと、既に待機していた視聴者からのメッセージが流れ始めた。
「こんにちは。今週も生配信が始まりました。虹色チョコレートファッジのショコラです。早くから待っててくれて、ありがとうございます」
『ショコラちゃん、こんにちは』
『ワンピース可愛い。どこで買ったの?』
『今日のメイクもかわいい』
『女の子よりかわいい』
画面に『かわいい』の文字が並ぶ。この瞬間が虹にとって何よりも幸せな時間だ。
上から順番にコメントを読み上げると、まとめていくつかの質問に答えていく。
「ワンピース、気付いてくれて嬉しいです。プチプラのサイトで注文しました。お店に買いに行くのは抵抗があって、いつもネットで買ってます。ウィンドウショッピングはよくするけど、実際レジに持っていくのはハードル高いよね」
照れ笑いを浮かべると、再び画面には『かわいい』の文字が並ぶ。
男なら「かっこいい」と言われた方が嬉しいと思うが、虹は違う。幼い頃から母が口紅を塗っている姿に興味津々だった。「ママ、かわいい」と何度言っただろうか。
いつしかそれは憧れとなり、自分も誰かに「かわいい」と言って欲しいと思うようになる。
しかし虹は自己主張が苦手で、引っ込み思案で、大人しくて、教室でも陰に潜んでいるような存在だ。とてもじゃないが、こんな環境でかわいいなど言ってもらえるチャンスもない。
知り合いにバレないで、女の子みたいなメイクを楽しんだりファッションを楽しみたい。流石に親友の[[rb:綾 > りょう]]と[[rb:麦 > むぎ]]にも男の娘として活動しているとは打ち明けていない。
これは自分だけの秘密。もちろん、いつか誰かに本当の自分を曝け出したいという願望はある。でもそれは今じゃないし、画面越しにこうして全国の人と交流できるだけで十分なのだ。
「じゃあ、そろそろ時間だから今日は終わりにしようかな。また来週の水曜日に遊びに来てくれると嬉しいです。んっと……『メイクグッズが知りたいです』だって。じゃあ来週の配信では、僕のメイクグッズを紹介しようかな。新しいリップも買ったし。でも、プチプラばっかりですよ? 逆にみなさんのオススメも教えて欲しいです。じゃあ、また来週。さようなら」
約一時間の配信を終え、カメラを切る。今日もとても満たされた時間になった。
虹の時は苦手なお喋りも、ショコラになると自分でも驚くほどスラスラ喋れる。ショコラは虹自身であり、理想の自分像でもある。
このままの姿で自撮り写真を数枚撮ると、ウィッグを取り、服を着替え、メイクを落とす。そうして虹の姿に戻っていく。
ベッドに横たわると、さっき撮った写真の中から気に入った一枚をSNSに投稿した。
『今日も楽しい時間をありがとうございました』
一言添えると、すぐにメッセージが届いた。
「あ、いつも一番にコメントくれるスターさんだ。『今日も可愛かったです。来週も楽しみにしています』。この人、多分男の人なんだよなぁ。どんな人なんだろう」
スマホを胸に抱え、目を閉じる。虹を男だと分かっているはずだ。それでもかわいいと言ってくれるこの人に、少なからず興味を持っていた。
「でも、本当の僕の姿を見ると落胆するだろうな」
目を隠すように伸ばした前髪、染めたことのない真っ黒の髪、地味な無地の服。どれもショコラとは正反対だ。本物がショコラならどんなに良かっただろうと考えることはしょっちゅうある。ショコラなら、もっと楽しい毎日を過ごせる気がする。
とはいえ、普段の虹とショコラとはギャップがあり過ぎて、身バレ防止には役立っている。
あの場所を守るため、目立たないというのも少しくらいは利得はあると、慰め半分に思った。
「いけない! 今日は『CHARM』の生配信があるんだった」
うたた寝をしてしまっていたことに気付き、飛び起きた。
『CHARM』とは虹が好きな高校生バンドで、デビューはしていないものの、動画配信ではかなりの人気を博している。そのヴォーカルは、虹と同じクラスの
金髪で、肩くらいまで伸びている髪をざっくりとまとめているのがオシャレでカッコいい。他の人がするとだらしない印象になるのだろうが、洒脱している綺羅だからこそカッコよく見える。
バンド活動も本名と同じくKIRAで、虹とは打って変わって目立ちすぎる存在故、偽名にしたところでバレるから……と、そのままの名前で活動しているのだと噂で聞いた。
KIRAはバンド活動を始める前から読者モデルとしても地元で有名で、学校でも元々はモデルとして存在が知られていた。そのKIRAが突然バンドまで始めたものだから、女子に限らず男子からも一目置かれる存在にまで登り詰めた。
虹は密かに綺羅の声が好きだった。というのも、虹は声フェチという性癖を持っている。そして綺羅の声は見事に虹の好みであった。
少し低くて、気怠そうで語尾が掠れたりする。それでいてほろりと蕩けるチョコレートのような甘さを兼ね備えているのだ。歌うとそれがより強調され、KIRAの歌を聴いた人は一瞬で心を奪われると口々にファンは言う。勿論、虹もそのうちの一人だった。
KIRAがバンド活動を始めたと知った時は、空の雲に手が届きそうな程飛び上がった。