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第2話 変化

 日が明るく、柱に赤く美しいバラの花を咲かせる茨が巻き付いている庭の中、気が付けば洋子はイスに座って目の前のお菓子たちを眺めていた。

 庭の向こうからメイドが現れて更にお菓子を盛り込んで深々とお辞儀をしながら立ち去って行く。彼女が丁寧の言葉そのものの態度で持って来たお菓子たちはどれもステキな物ばかりだった。

 甘い果実にチーズケーキ、滑らかでありながらも品のある味わいのトリュフチョコレートにさらりとした甘さを微かな幸せを運び込むシュガーラスクを堪能していた。

――あぁ、幸せ

 素朴な果実の味わいが存分に生かされたフルーツジュレを飲み込み、甘さが特徴的でガラス玉のようにも見えて美しいキャンディを舐めて幸せを満喫していた。

――この時間がずっと続けばいいのに。ずっとずっと、これからもずっと

 やがて洋子はカボチャを割って作ったのだろう、歪な形がよく洒落たカップに注がれた真っ赤なお茶を啜り、顔を上げた。

 洋子と向かい合って座っているのはやせ細った少女。くり色の髪と大きくて優しい垂れ目は見ているだけで癒される可愛さを持っていて、細い身体に似合わず豊満な胸は洋子にとっても強い色気を存分に感じさせる説得力を持っていた。

――誰かな?

 気になり始めてはその想いは止められない止まらない止める必要も感じられない。洋子は優しそうな少女に声をかけてみた。

「あなたは誰? 一緒にお菓子食べない? 美味しいから」

 少女は静かに口に手を当てて「ふふっ」と上品に笑った。小さくて傾いた黒の帽子には白いリボンが巻かれていてキャンディを思わせる可愛らしい結び目が付いていた。少女が纏っている服は黒いドレス。白いひだが舞いながら飾られていて上品な仕上げをしていた。胸にはキャンディのような形のリボンとそこに刺さっているのはチョコがかけられた棒状のものは洋子がよく知るお菓子を思わせる。

 そんな綺麗なドレスを纏い洋子に対して興味の感情を向けて凝視する少女は遂に人の言葉を発して優しく伝えた。

「私は後から食べるからいいの。良かったらもっと食べて」

 洋子は遠慮の気持ちも知らないのだろうか、次から次へとお菓子を頬張って、やがてカボチャのカップに注がれた紅に映る垂れ目と目が合って、ようやく気が付いた。

 その姿は所々が自分自身にそっくりなのだということに。



   ☆



 夢から覚めて、洋子は自身があまりにも元気である事が強く心に残った。目覚めた時のいつもの気怠さのひとつも無いという現状に違和感すら抱いた。それでも元気なことは良いことだと思考をピタリと閉じて朝の爽やかな日差しを存分に浴びながら下の階へと降りる。心なしかいつもより足取りが軽く感じられた。ここまで元気な身体はいつ以来だろう。洋子の記憶の中を幾らその手で探ってみても元気に過ごした日々が見当たらなかった。

 朝ごはん、待ちに待った毎日の楽しみをこの気持ちで楽しく食べようと、クリームパンを手に取る。そこで洋子は自身の更なる変化を、明確な異常をつかみ取った。

――何で?

 何故だか食べる気になれなくて、おまけに胃の底から気持ち悪さが込み上げてくる。目にする度に同じ気持ちが幾度となく湧いてきて、いつまでも気持ち悪さの鮮度が落ちることがなかった。

 大好きな甘いモノに対する気持ち悪さと元気な自分というふたつの状況が織り成す板挟みの中、洋子はいつも通りのものから少しだけズレが現れた日常をいつも通りの小さな足で歩み進めていた。

 そんな日々が一週間近くも続いて洋子があることに気が付いた日の事。

 その一週間の中でお菓子を口にすることなど一切なかった。あの夢を見て以来、お菓子を見るだけで気持ち悪さが込み上げてくるのだ。

 あの夢を見てからの変化と言えばもうひとつ、制服にかなりのゆとりが出来ている事にも気がついていた。

――こんなに早く痩せるの? やっぱり変

 そこに流れる感情は痩せたことへの嬉しさよりも痩せ方への気味の悪さの方が色濃くてこの感情の味を繰り返す度に背筋に寒気が走って仕方がなかった。

 くり色の長くて綺麗な髪をおだんごヘアにして廊下を歩く。

 通り過ぎる男たちが洋子に向けて甘い視線を放ってくる。その目を覗いてみた洋子は注ぎ込まれる膨大な下心に嫌悪感と吐き気を見いだしていた。洋子が人生で一度たりとも感じた事のなかった感情、それを男たちのだらしのない貌と態度から教わった。

――もう……男とは分かり合えない

 そこまでは自覚していた。

 しかしそんな洋子の背中に隠れた自覚なき影が「女の子とも分かり合えないよ」と囁いていること、そこまでは未だ見えていなかった。



   ☆



 おかしな夢を見てからすっかりと健やかなものへと変わり果てた洋子の食生活は、飽きる事も無く安定して続いていた。心はお菓子を求めてその手を伸ばしていたものの、やはり身体が受け付けてはくれないもので、食べる気のひとつさえ起きてはくれなかった。

 最低限の量と質を選び抜いた以前よりも非常に質素な夕飯を食べた後、洋子はシャワーを浴び髪を結って湯船に浸かり自らの身体の変化を想う。

 身体は軽く美しくなった事をその瞳でしっかりと見ては初めての嬉しさを抱いていた。今の自分がとても愛おしく想えて仕方がない。心に綺麗な色を塗ったのは他でもない自分自身だった。七分程だろうか、恍惚とした表情で細くて白くてきめの細かい自分の肌を眺め続けて風呂から上がり、タオルで頭を拭いていた。その時、洋子は恐怖を覚えた。

 あの日の夢を鮮明に思い出した。あの庭でお菓子を食べていたあの日、向かい側に座っていたあの少女に。その正体に今更気が付いてしまった。

 鏡に映る自分の顔がそれを教えてくれた。今までの人生の中で最も痩せてほど良い体型ととても可愛い顔を手に入れた今の自分。

 その可愛い顔と夢で向かい合っていたあの顔は、全く同じ姿を持っていた。

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