それは、ほんの一瞬の出来事だった。
だが俺には、一瞬の出来事のはずなのに、時間が止まったかのように長く感じられた。
(熱い……)
浩二朗の唇と、俺の前髪をかき上げていた指先は、すぐに離れていったはずだった。
けれど、俺の額に落とされた浩二朗の唇の感触と指先の熱が、いつまでも俺に残されているように感じられた。
(なんで……)
浩二朗の行動の意味が分からず、理由を尋ねたくなるが、俺は答えを聞くのが怖くなり、浩二朗が離れていく顔を見つめることしかできなかった。
(どうして、俺に……)
俺は胸に抱いた疑問と微かな不安を無意識に押さえつけるかのように、拳を握った手を胸にあて、力を込めた。
胸を押さえているからか、それとも別の理由からなのか。
息が詰まりそうになっている俺の前髪を、浩二朗は目を愛おしそうに細めながら指先で摘むようにして、俺の乱れた前髪を整え始めた。
俺はもう一度微かに額へ触れてくる浩二朗の指先の感触に、顔だけでなく、自分の体温が少しずつ上がっていくことに気づいていた。
「浩二朗……」
黙って浩二朗を見つめ続けていた俺は、自然と浩二朗の名前を口にすると、浩二朗は何かを急に思い出したかのように、ハッとした様子で顔色を変えた。
俺の前髪から慌てて指先を離した浩二朗は何も言わず、俺に触れていた自分の手をじっと見つめ始めた。
「こうじ……ろう……」
その様子に、なんとも言えない不安が急に俺を襲ってきたため、掠れて今にも消えそうな声で、もう一度浩二朗の名前を呼んだ。
すると、浩二朗は見つめていた自分の手から目を離し、ゆっくりと顔を上げて俺を見つめた。
先程まであんなに優しい笑みを浮かべていたのが嘘のように、俺に向ける浩二朗の表情は真剣で、俺は思わず息をのんだ。
俺の表情から何かを感じ取ったのか、浩二朗はもう一度視線を自分の手に戻すと、そのまま俺にそっと手を差し出し、改めて俺を真っ直ぐ見つめた。
俺は意味が分からず、差し出された手と浩二朗の顔を交互に見つめてしまう。
「ねぇ、椿……」
「えっ……」
名前を呼ばれた俺は、心臓の鼓動が途端に速まった。
そして、胸中がどうしようもなくざわついた。
「どうして……俺の名前……」
まだ名乗っていないはずの名前を浩二朗が口にしたことを、俺は驚きが隠せないまま、浩二朗の顔を真っ直ぐに見つめた。
「どう……して……」
口にしてから、気づかないフリをすればよかったと思ったが、もう後戻りはできなかった。
震える俺の声に、浩二朗は表情を変えることなく、じっと真剣な目で見つめ続けるだけで、投げかけた質問の答えは返ってこなかった。
俺と浩二朗を囲むようにして生える木々が風で揺れ、騒めく音だけが響き渡る。
「……」
俺は何かを決意したように唇を噛み締めると、また、浩二朗に差し出された手を黙ってとった。