「お前っ……!」
掴んだ彼の襟元を俺は引っ張り、さきほど自分が寄り掛かっていた木に彼の背をぶつけると、そのままシャツの襟を持ち上げるようにして、手に力を込めた。
襟を締め上げられて呼吸がしにくくなった彼は、少し苦しそうな表情を浮かべたが、抵抗することなく、ゆっくりと口を動かした。
「こう……じろう……」
「は? 何だって?」
「僕の名前、浩二朗って……言うんだ……」
急に自分の名前を名乗り出した彼は、襟を締め上げられて苦しいはずなのに、また笑みを浮かべ、掴みかかっている俺の手に自分の手を優しく添えてきた。
浩二朗と名乗る彼の手は温かく、俺は自分の手がまた冷たくなっていることに、ふと気付かされた。
(あっ……)
俺の手に優しく重ねるように添えられていた浩二朗の手が、今度は手の甲全体を包みこむように俺の手を握った。
すると、手の体温を分け与えてくれた病室での感覚を思い出し、俺は冷静さを取り戻していった。
「……」
俺は次第に、浩二朗の襟を掴んでいた手の力を緩めていった。
(俺……)
浩二朗を見つめながら、襟から俺は手を離したと同時に、自分の言動に鳥肌が立った。
(最低だ、俺……。こんな八つ当たりして……)
「お……れ……」
謝らなければと俺は口を開くが、唇が自然と震え言葉が続かなかった。
思わず俺は俯き、ふらつきながら一歩下がると、浮き出た木の根に足をとられてバランスを崩してしまう。
「あっ……」
そのまま後ろへ背中から倒れそうになるが、浩二朗が俺の腕を咄嗟に掴んでくれたおかげで倒れずに済んだ。
「大丈夫……?」
浩二朗に支えられながら俺は傾いた上体を元に戻すと、また心配そうな顔で俺を見つめる浩二朗と、間近で目が合った。
浩二朗の瞳に、俺の顔が映し出される。
(綺麗だ……。なのに、俺は……)
浩二朗の色素の薄い茶色の瞳は、俺にはたまらなく綺麗で輝いているものに見えた。
そんな綺麗な瞳に自分の醜さが映し出されているのか思うと、俺は思わず涙が溢れそうになった。
(ああ、俺は最低だ……。こんな俺がアルファなわけ……)
俺はだんたんと自分自身が、汚く、浅ましい存在に思えてきた。
(生まれた時から俺はオメガなんだ……。それなのに……。いや、違う……。分かっていたんだ……。でも、知りたくなかった……。こんな、こんな……)
目の前にいる浩二朗とは、あまりに違いすぎる存在に思えてきて、俺は浩二朗の顔を見ていることに耐えられず、顔をまた俯かせてしまった。
「ハハッ……。俺、一体何しているんだろうな……。お前にこんな八つ当たりして……最低だよな……」
醜い感情を抱いた上に、自己嫌悪で泣き出しそうな情けない自分を浩二郎に悟られまいと、俺は俯いたまま渇いた笑いを漏らした。
すると、俺の腕を掴む浩二朗の手に、少しだけ力が込められた。
「お願いだから……僕の前で、そんな悲しい笑い方をしないで……」
俺の腕を掴んでいた手とは反対の手を、浩二朗は俺の頬に優しく添えてきた。
その手はまた、俺の体温より温かかった。
「ちゃんと……顔を見せて……」
浩二朗の悲痛を押し殺したような少し低めの声に、俺は何度も首を横に振った。
「駄目だよ……」
俺の腕を掴んでいた手を浩二朗は離すと、今度は両手で俺の頬を優しく包み、ゆっくりと俺の顔を持ち上げて自分へと向かせた。
(あっ……)
俺の目に映った浩二朗は、ひどく寂しげな表情に見えた。
そして、その目に映る俺自身は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。