名前も知らない彼に手を引かれたまま俺は病院を飛び出すと、雑木林の中を走り続けた。
最初は彼の背中を見つめながら、何も考えずにただ走っていたが、俺は次第に体力が追いつかなくなり、呼吸が乱れ始めた。
『お前は誰からも愛されない!』
「……っ!」
その時、俺は自分に向かって叫ばれた言葉が急に頭の中で響き、思わず息が詰まってしまった。
「……ゲホッゲホッ!」
堪らず咳き込んでしまった俺は、慌てて彼に掴まれていた手を振り払って足を止めた。
「ハァー……ハァー……。ゲホッ……」
足を止めたものの、限界まで走り続けた俺の呼吸は肩で息をするほど乱れ、俺は自分の膝に両手をつき、呼吸を整えることだけ必死になった。
『オメガとして利用されて、裏切られて、一人で死んでいくんだ! 勘違いするな!』
その間も、まるでこびりついて離れないように、叫ばれた言葉は俺の頭の中で何度も繰り返された。
(俺はやっぱりオメガなのか……? じゃあ、今まで俺がしてきたことは……全部……)
「ハァー……ハァー……ハァー……くそっ……」
近くにあった木の幹を、俺は苛立ちをぶつけるように拳で殴りつけた。
すると、急に力んだせいか視界が歪んだため、俺は身体を預けるように右肩を木の幹に寄り掛からせた。
「大丈夫?」
彼は俺に近づくと、俺の背中に手を回して優しく擦り始めた。
身長はほとんど変わらず同い年ぐらいに見えつつも、どこか大人びた雰囲気を感じる彼は、色素の薄い茶色の髪をふんわりとさせ、瞳は同じ色をしていた。
「ゆっくり深呼吸して、ほら」
背中を擦ってくれる彼の動きに合わせるように、俺は何度も深呼吸を繰り返した。
次第に頭がはっきりしてくると、背中を擦る少年の呼吸が全く乱れていないことに気が付き、体温が急に下がるような感覚を覚えた。
(ああ、俺とは違うんだ……。きっと、アルファなんだ……。だから……)
背中を擦ってくれている彼の手が、先程までとても優しく温かいものに感じられていたはずなのに、俺は背中に重りをどんどん乗せらていくように感じ始めた。
(俺がオメガだから……。だから、憐れんで……ッ……!)
「俺に触るなっ!」
俺は沸き立つ感情を抑えきれず、背中を擦ってくれていた彼の肩を突き飛ばすように押した。
「……!」
俺に突き飛ばされた彼は一歩後ずさると、驚いた表情を一瞬させた。
だが、すぐに俺に向かって、まるで何事もなかったかのように優しい笑みを向けてきた。
(なんだよ、その顔……)
笑みを浮かべる彼の姿は、今の俺の目には、俺を見下しているように映った。
俺の中で黒くドロドロしたものがどんどん胸の中で生まれ、覆いつくす。
(アルファだからって、ふざけるなよ……!)
俺は衝動を抑えきれないまま、彼のシャツの襟元を両手で掴んだ。