男に付いていき、自室を出てからいくつかの病棟を抜けた末に辿り着いたのは、あきらかに他とは異なる雰囲気が漂う病棟だった。
誰もいない静まり返る廊下。
聞こえてくるのは、窓の外から木の葉の擦れ合う音だけだった。
(ここは……)
俺は緊張から、思わず息を大きく飲み込んだ。
それは、この病棟の病室の扉全てに、外から南京錠がされていたからだった。
(まさか、俺をここに……)
思わず頭を過ぎった不安に、俺は背中に冷たいものが走り、足を止めてしまった。
「おや? どうしたんだい?」
俺の異変に気付いた男は足を止め、俺に向かって振り向いた。
「いえ……何でもないです。その……少し、足が疲れてしまっただけで……」
「ああ。まあ、普段こんなに出歩くこともない、か」
男は何かに納得した様子でまた歩き始めたが、突き当たりの部屋の前でようやく足を止めた。
「ほら、ここだ。きっと、君も驚くよ」
まるでワクワクしているかのように男は顔をニヤつかせると、白衣のポケットから小さな鍵を取り出した。
俺は横目でちらりと病室のネームプレートを確認するが、そこには名前すら書かれていなかった。
「さあ、どうぞ」
取り出した鍵で男は病室の南京錠を開けると、病室の扉を静かに引いた。
だが、男は扉を引いたまま病室に入ろうとせず、笑みを浮かべて椿を見つめるだけだった。
(先に入れってことかよ……)
男からの無言の圧力に、俺は黙って病室へと一歩ずつ足を近づけた。
部屋の中に近づくにつれ、背中に感じる男の監視するような視線に、俺は思わず足を止めて溜息が漏れそうになる。
それでも俺は、深く吸い込んだ息を止めるように唇を噛み締めると、病室内へと足を踏み入れた。
窓が開いているのか、冷たい風が抜けてくるのを感じると、俺は腕に鳥肌が立ったのを感じた。
すると突然、背後から扉が閉められた音と、鍵を掛けられた音がした。
「はっ? 鍵……?!」
すぐに気付いて振り向いた俺は扉を開けようとするが、扉はびくともしなかった。
(一体なんだっていうんだよ……)
外側からしか開けられない構造になっていることに気付いた俺は、諦めるようにドアノブから手を離した。
(やっぱり俺をこの病室に……)
「くそっ……」
(俺はここから出られないのか? 検査は来月だろ……。まだ決まったわけじゃないのに、ふざけるな……!)
沸き立つ気持ちを落ち着かせようと、俺は息を深く吐いた。
(落ち着け……。アイツはたしか、俺に会わせたい人って言っていたよな……)
もう一度息を吸い込み、速まった心音を押さえるよに息を吐き出すと、俺は振り返り、病室の奥へと視線を向けた。
病室内は窓から日の光が差し込むだけだったが、窓のすぐそばに木があるせいか、とても薄暗かった。
その薄暗い中に、ベットが一台だけ置かれていた。
だが、手前の壁に隠されているせいで、足元のベットフレームしか俺の位置からは見えず、ベットの上に人がいるのか確認することができなかった。
(誰か……いるんだよな……)
物音一つしない薄暗い病室を、俺は恐る恐る、奥へと一歩、また一歩とゆっくりと進んでいった。
進んでいくにつれて、白いシーツが敷かれたベットの上に、細い足が見えてきた。
(……? 女性……?)
ベットの上には、紺色の浴衣を着た長い黒髪の女性が、足と腕をだらりとさせ、ベットヘッドと壁へ寄り掛かるように座っていた。
まるで抜け殻のように動かない女性は、俺がすぐそばに立っていることにも気付いていない様子で、顔を窓に向けたままだった。
長い髪で顔を覆われてしまっているため、女性の顔はほとんど見えなかったが、俺にある可能性を抱かせるには十分だった。