「君は、ここがどんな場所かは知っているのかな?」
振り返ることなく、白衣姿の男は病院の廊下を歩きながら俺に話しかけてきた。
「分かっています。分かって……いるつもりです」
(ここがただの病院でないことも、俺がどうしてここにいるかぐらい……分かっているさ)
「それなら話は早い。私はここに来て日が浅いが、君がとても優秀であると聞いているよ」
(それは、アンタたちにとって……モルモットとしてってことかよ……)
振り向きもしないで話しかけてくる男の態度と明るい声色から、俺は鼻で笑われていると感じると、手に拳を作り力を込めた。
だが、湧き上がる苛立ちを静かに抑えながら、俺は男の背中に笑いかけた。
「それは……ありがとうございます」
すると、男は歩く足をぴたりと止め、俺に向かって急に振り向いた。
「うん、うん。いいね。おそらく君は、私がどんな存在かを理解しているんだろうね。噂通り、頭が切れるようだ」
男は不敵な笑みを浮かべながら一歩、さらに一歩と俺に近づくと、俺の顎を人差し指でクイッと持ち上げた。
俺と目が合うと、男は更に顔を近づけ、俺の目を覗き込むように見つめた。
笑みを浮かべる男の目は、まるで子供がおもちゃを吟味しているようだった。
俺はそんな男の目に動じることなく、視線を逸らさずに黙って男の目を見つめ続けた。
すると、急に男の表情から笑みが消えていった。
「ああ、本当にいい目だよ……」
真剣な顔で溜息混じりに呟いた男は、そっと俺の顎のラインに沿わそるようにしながら指先を離していった。
「本当に君は惜しい存在だ……愛おしいほどに……ね」
真剣な表情がまるで嘘だったかのように、また不敵な笑みを浮かべた男は、手を白衣のポケットに戻すと、そのまま病院の廊下を歩き始めてしまった。
(くそっ)
顎に男の指先の感触が残っているように感じた俺は、手の甲で汚れを拭うようにし、拭った手の甲を今度は反対の手のひらで払った。
(本当なら、こんなヤツに触らせなんかしないのに……くそっ!)
俺が男の手を払い除けるのは簡単だった。
だが、それをしなかったのは、すれ違う病院職員全員が、目の前を歩く男に頭を下げていたことに気付いていたからだった。
(一体、コイツは何者なんだ?それに会わせたいって……)
疑問を抱きながらも、俺に残されている選択肢は男の後ろに付いていくことしかなかった。
少し開いてしまった距離を縮めるように、俺は速足で男の背中を追いかけた。