「よく来たね、椿。僕の可愛い花嫁」
玄関前の車寄せに止められた車の後部座席ドアが開かれると、幸せそうに笑みを浮かべたスーツ姿の神山真一朗が、俺、香坂椿に向かって手を差し出してきた。
「ありがとうございます。真一朗様」
俺は微笑みを浮かべながら、差し出された真一朗の手を取ると、静かに車から外へと降り立った。
「……!」
車から降り立った俺の姿を目にした、真一朗の後ろで一列に並んでいたメイドや執事たち。
その場にいた全員が一斉に息をのんだのを、俺は表情を変えずに感じ取った。
(そうだ。お前たちは俺から目が離せない。俺のことが欲しくて堪らない。そういう生き物なんだから)
少し長めの黒髪に長い睫毛、黒目は大きいが少し釣り目でスッと通った鼻筋。
細めで黒色のパンツ姿に白いシャツというシンプルな格好は、自分の細身な体を引き立たせ、中性的な印象を与えるため。
まるで絵画のようにすべてが計算され、どこから見ても美しく整った俺の姿を目にして、目を奪われないものは一人もいない。
(αなんて、Ωの犬でしかないんだよ)
Ωである俺は、いかなるときも自分の見た目を、最大限に生かして完璧に見せてきた。
だから、この真一朗の目の前にいるのだ。
「真一朗様。こういう時は、打掛でも着てくるべきだったでしょうか?」
口角を上げて、冗談を言うように悪戯に笑う俺。
そんな俺の長めな横髪を、真一朗は指先で優しく指先に絡めると、俺に顔を近づけて、低く響く声で耳元に甘く囁いてきた。
「それはぜひ見てみたかった。きっと、椿ならよく似合う」
「ふふ。そうですか?」
「ああ。番になる日にぜひ、僕が脱がせて差し上げたい」
真一朗は名残惜しそうに俺の耳元から顔をゆっくり離すと、俺の髪に触れていた指先を自分の口元に持っていった。
そして、その指先を唇に触れさせながら、俺に向かってにっこりと笑いかけてきた。
(コイツ……)
「真一朗様、お戯れが過ぎますよ」
真一朗と同じような笑みで俺も返したが、内心は吐気を感じる嫌悪感しかなかった。
俺はこの空気を早々に切り上げようと、俺の少し後ろで立って待っていた執事の楓に、後ろ手で軽く合図をした。
(よし……)
「あっ……」
貧血を起こしたように、足元の力が抜けてよろめいたフリをした俺を、執事の楓は冷静に腕で受け止めた。
「椿っ!」
慌てた様子で真一朗は俺に手を伸ばすが、楓はそれよりも先に、俺のことを抱きかかえた。
「申し訳ございません、真一朗様。椿様はお身体のこともあり、今まで外出されることがあまりなかったため、車内で気分を悪くされてしまいまして……。それでも、あなた様に会うためと気丈に振る舞っていたのですが……」
「ごめんなさい、真一朗様……」
俺はぐったりして虚ろな目で声を掠れさせながら、楓に身体を預けるようにして真一朗を見つめた。
「そうだったのか。それなら早く言ってくれ、椿。私たちは夫婦になるんだ。そんな遠慮は無用だよ。じゃあ、部屋まで案内させよう」
振り向いた真一朗は、後ろでじっと待機していた一番小柄なメイドに声をかけた。
「二人を案内しなさい。ああ、椿……。やっと会えたというのに……」
真一朗は残念そうな表情を浮かべながら、楓に抱きかかえられたままの俺に手を伸ばし、頬にそっと触れてきた。
「っ……!」
頬に触れてきた真一朗の手が、まるで氷のように冷たくなっていて、俺は少し驚いてしまい、肩を軽くビクつかせてしまった。
「おっと、驚かせてしまったかな。でも、そんな苦しそうな顔まで、椿はやっぱり綺麗だね。まさに、一流の美術品だ。それじゃあ、夕食まで部屋でゆっくり休んでおいで」
「……。お心遣い感謝いたします。真一朗様……」
秋が深まりつつあるこの肌寒い空のもと、俺の到着を外でずっと待っていたのだと真一朗の冷たい手から感じ取ると、俺の中で少しばかりの罪悪感が生まれた。
だが、俺はそんな気持ちを覆い隠すように目を伏せると、楓の胸元に顔を埋めた。
(俺は、真一朗が言っていた通り美術品にすぎない。モノには感情なんて……必要ない。だから……)
「では、こちらです」
「それでは、失礼いたします」
俺を抱きかかえた楓は真一朗に向かって一礼をすると、案内役のメイドの後ろについていき、アーチ状の玄関をくぐった。
俺はメイドにバレないよう、目の前に広がる神山家別邸のエントランスを、楓の腕の中でそっと見回した。
(さすが旧財閥。別邸にも関わらず、こんな都心の一等地に広い敷地。しかも、こんなでかいお屋敷……)
正門から煉瓦造りの壁伝いに坂を上り、その間もだいぶ車を走らせたことを考えると、神山家の敷地はかなり広大であることがうかがえた。
俺の家も代々輸入業を手掛ける裕福な名家だったが、神山家は敷地だけではなく、洋館の広さも桁違いだった。
俺は改めてエントランスを見渡すと、二階まで吹き抜けの天井へと続く壁には、神秘的で色鮮やかな美しさのステンドグラス。
そして、レースのような繊細な透かし彫りの施された窓がいくつもあり、日が眩しいほど差し込んでいた。
(あのステンドグラス……。描かれているのは白い鳩と椿……。昔、どこかで見たことがあるような……)
二羽の白い鳩が中央で対になって飛んでいるデザインのステンドグラスを、俺は少し見つめていたが、ふと、顔を逸らした。
(対……。番……か……。俺も、この神山家の嫡男である真一朗と……)