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第80話 心をさらけ出して

 既に麻生は、傘を差す人混みの中。


「成海さん、こっち」


 俺は掴んでいた手を引いて、階段下に入ろうとした。

 でも妃色さんは足を止めたがる。麻生を気に掛けるその優しさを、大切にしてあげたいというよりも先。華奢な手首が折れてしまいそうで、強引には出来ないなと思った。


「雨に濡れちゃうから、こっちにおいで?」

「でも」


 小さくなっていく麻生を、目で追い続ける妃色さん。

 仕方がないな。けどそんなところに俺たちは惹かれたんだ。


「じゃあ、気が済むまで」


 俺は諦めて、そっと妃色さんの手を下ろした。


「えっ?」

「狭いかもしれないけど、ないよりは」


 脱いだ上着で頭の上に屋根を作ってあげると、妃色さんはやっと俺を見てくれた。

 顔が赤い。と言ってもそれは、俺もなんだろうけど。

 とにもかくにも、お気に入りの髪型が崩れないようにしてあげたいところだが、幾ら身長差があっても難しいみたいだ。

 懐に入れるということは、つまり距離が近くなるということ。そんなことは当たり前で、初めからわかっていたはずなんだけど、俺は柄にもなく緊張をしている。


「ねぇ、俺のことは心配してくれないの? 一応こっちは病み上がりなんだけど」


 せっかくだから、じっと目を見つめて言った。でも妃色さんは、ぱっと目を逸らす。その拍子に妃色さんから零れたのは、街の明かりに照らされた涙だった。


「ご、ごめん。お洋服もごめんね」


 上着なんてどうでも良かったけど、妃色さんがそさくさと階段下へ移動してくれたから良し。反応が可愛いから良し。

 そんなわけで雨宿りも出来たことだし、お役御免になった上着へ袖を通しておく。

 すると妃色さんはおもむろにスカートのポケットからハンカチを取り出して、俺の上着を撫でるように拭き始めた。

 俺はそれならと、妃色さんの頬にそっと両手を添えて包んだ。


「ほんっと、人のことばかり」

「えあ、ええっ、あの綾瀬くん?」


 妃色さんに構わず、俺は親指を滑らせて涙を拭う。

 麻生から貰った渾身のパス。無駄にはしたくない。

 いつもだったら恥ずかしくて躊躇うこともしようと思った。


「嫌?」


 ああ顔が熱い。体も熱い。妃色さんに触れてるんだ、俺……。


 妃色さんは、ふるふると顔を横に振る。でも俺の手が頬を覆っているから、動かすのもくすぐったそう。

 やば。可愛すぎる。


「ちょっと余裕なくなってきたな」


 首の後ろがこそばゆくてムズムズしてきたけど、手を離すには惜しい。

 だけど俺の気持ちを掻き立てるように、妃色さんはもっと可愛くなる。上唇を少しだけ離し、口を小さく開けて瞬きを繰り返した。


「その顔は反則」


 そうつい口をつけば、もう一度同じ反応が返ってくる。俺はなんでもないって感じに目を逸らして、かわすしかなくなった。

 心臓がもたない。


「なんか綾瀬くん、いつもと雰囲気が違うっ」


 余裕がないのは、お互い様か。珍しく抗議するような妃色さんの口調に思わずときめいてしまうが、左胸を抑えたくなっても手は離したくない。


「うう、どきどきする……」


 息を漏らすような、甘ったるい声に理性が吹っ飛ぶ一歩手前だ。

 俺はなんとか感情を抑え込んで立て直す。


「雰囲気が違う? なら、成海さんの前だからだよ。こんな俺、成海さんの前だけだから」

「へ?」


 三度目は少し違った。どうやら喜んでくれたらしい。


「ねぇ成海さん。遊園地にいるレイのこと、俺だって気付いてくれたんでしょ? さっき麻生から聞いたよ」

「麻生くんが?」


 まるで心を映す鏡だ。妃色さんは目を見開いて、瞳を揺らした。

 だが眉が形を崩す。悲しそうに視線を落とした。だから教えてあげる。


「あのさ、成海さん。俺は前に進みたい」

「前に……?」

「うん。だってさ、麻生は背中を押してくれたんだから。もう隠したくないんだ。応えたいんだ」


 妃色さんはまた瞳を見せてくれる。熱く、潤んでいる。


「俺、成海さんも同じ気持ちだから、麻生にありがとうって言ったんだって思いたいんだけど、違うかな……?」


 短い沈黙の後、妃色さんは頷いてくれた。

 俺は両手を妃色さんの赤い頬から小さな手へ移して、指先を包んで温める。それからその手を俺の胸の上へそっと乗せた。


「麻生の気持ちを知る前は、君とどうなりたいとかまでは考えていなくてさ。単純にただ君を、ここ……胸の中で想っていたいってだけだったんだ。君に想いを馳せる時間は幸せだったし、偶然を装いつつも、きっかけ作りが上手くいった時には、誰にも見えないところでガッツポーズを取ったりもしてさ。それだけでも満足だった。でも」


 可愛い。黙っているのに、純粋に伝わってくる。

 俺は思わず目を細めた。


「君を取られるかもって思ったら、本気なんだって気付いた」


 この音を聞かせるのは、何度目だったか。


「俺、妃色さんが好きだ。付き合って欲しい」

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