俺は視線を感じながら席へと腰を下ろす。
テーブルに飲み物を置いて、行儀が悪いとは思うけど、なんとなく気分的に手を使わずにストローをくわえた。
ちゅう~。ごくごくごく。
「ややや、やはりお礼を言うべきではないでしょうか? TOを助けてもらったんですし、はい。そうですよ、そうです」
「宝川氏も思いますか? 奇遇ですね、わたくしも思っていましたところであります、はい」
「ななな、なんと三連続でオーラス当選した北条氏までもですか!? それは直ちに……ちなみに私はライビュでの参戦であります、はい。ええそうです、そうです。自慢です、はい」
おい~。全部聞こえてっんすけど~?
つかいいよ、お礼なんて。別に何もしていないんだからさ。しかもティーオーとか色々わかんねぇし。
頭が痛くなってきて、俺は髪を掻き上げて額を押さえる。するとなぜかヲタクの方々からの歓声が上がった。
なんだろ。俺、弄られてんのかな……?
ナーバスになる必要はないのだろうけど、俺はもう少し心を整えるための静けさが欲しいと思った。だけど静寂が訪れるどころか、むしろ騒がしくなっていく。
「何やってるであります! し、しかも推しメンの尊いお顔がぁぁ!」
大騒ぎ。どうやら食器を割った上に、大切なグッズを汚したらしい。これは成海さんの帰る時間も遅くなりそうだ。
「お客様っ。危険ですので、触れるのはお止めくださいませ」
レジに立っていたウエイターさんが慌てて声を掛けると、騒ぎを聞き付けたと思われる店長も裏から颯爽と出てくる。接客中の成海さんはというと、遠くであわあわしていた。他の客は身を寄せ合い、ヒソヒソ話をし始めている。
大丈夫かなぁ。そう思って俺は立ち上がる。
状況は思ったよりも酷い。皿は割れるわ、倒れたグラスの中身が滝のように床へと滴り落ちているわで。
テーブルに広げられたアイドルと思われるポスターには、ポタージュスープやらミネストローネやら、クラムチャウダーが零れている。スープ好きだな、この人たち!
うわ~。食卓に、そういうのは持ち込んじゃいけねえって、母ちゃんに言われたはずでしょ。も~しょうがないなぁ。
「俺も何か手伝います」
しゃがんで声を掛けると、頭を抱えて仰け反ってる人や、椅子に座ったまま項垂れている人、それから言い合ってる人たちとか、取りあえずわちゃわちゃしていた西園寺さんたちが一斉に俺を見た。
「え……何? って、わ!」
感激した様子の西園寺さんが「うおおおっ」と突進してきた。だけど颯爽と俺の前に現れた店長が、腕を広げて
意外と反射神経がいいらしい。走り込みケチャが出来るだけのことはある。
店長は腕を下して俺に向き直ると、右手を胸に添えた。
「お客様。ご親切にありがとうございます。ですがここは私たちにお任せくださいね。ほら、なるなる。もう時間ですよ?」
店長は微笑んだ後、視線を外側へと送った。
見るとそこには、スカートをふわりとさせた成海さんがいた。店内だから走ってはいないだろうけど、急いで来た感じだった。膝をちょこっと曲げている。私も手伝いますと言わんばかりに、屈もうとしたところだろう。
成海さんはぽかんと口を開け、驚いた表情をしていたけど、
「は、はいっ」
そう返事をすると、瞬きを二回して俺を見つめた。俺も成海さんに視線を合わせたまま立ち上がる。
「麻生くん、待っててくれてありがと……。すぐ用意するからね」
成海さんはそっと遠慮がちに笑う。それからそろっと前を通り過ぎ、ぱたぱたと駆けて行った。俺は成海さんを目で追いながら、なるべく明るく声を投げ掛ける。
「いいよ気にしないで。ゆっくりねっ」
成海さんは足を止めて、またあの笑顔。
気遣わせて悪いなと思いながらも、久しぶりに話せたような気がして、俺は嬉しさの中に照れくささを感じていた。
成海さん……。
「君はっ。麻生くんは、ほんと~いいやつだお~!」
「うわ!」
突然下からぬっと現れる西園寺さん。木を抱くコアラのように、ぎゅぎゅっと俺の足に腕を絡めてきた。
「そ、それはどうも……ははは」
動けない。拘束されたまま力なく笑っていると、西園寺さんは俺の両手をガシッと掴んで何度もお礼を言ってくれた。
店長もウエイターさんも忙しそうだ。席を移動させたり、膝をついて食器を拾ったり、テーブルの上を片付けていたり。黒目だけを左右に動かして、その乱雑な光景を見た。
成海さんはもう着替え始めているのだろうか。流石に服を脱いでいるところなんて想像しない。……してないっ。そこまでクズじゃねぇよ俺。
「わ~誰か来たみたいだお~。また怖い人じゃないといいお~」
こんな状況下でも、入店音はよく響いた。
「いらっしゃいませ。あら?」