用を足し終わってハンカチを仕舞いながら廊下を抜けると、左手に見えるのはガラス張りの部屋。人の姿が映るくらい綺麗に磨かれたその外壁に反し、室内から漏れてくるのは体に悪そうな煙たい香りだった。
「あと一五分くらいかな……お?」
席へ戻るため振り返ると、ぞろぞろと人が列を成して入店して来るのが見えた。あっという間にレジ前には、カムフラージュしているかのように似た出で立ちの集団で溢れかえる。
「に、二〇名さま、ドリンクバーのお近くで。かしこまりました」
ちょうど成海さんが接客に入ったようだ。
それにしても、むさ苦しさを覚えるこの風を通さないくらい密な感じ。まるで昨日の満員電車を思い出す……。
「たばこは吸わない
――あ!
「禁煙席ですね。ああっ、いらっしゃいませ。少々お待ちくださいませ。て、店長~」
ここからだと見えにくいけど、別で他の客も入店してきたようだ。成海さんが目を回している。助けてやりたい。
「ええっと、ただいまご案内いたしますので、お名前お預かりしても宜しいですか?」
「
「西園寺さま。ありがとうございます。ただいまご案内……店長っ」
いらっしゃいませと、店長が颯爽と登場。続けてもう一人店員が出てくる。ウェイター。さっきまでホールに立っていなかった男の人だ。成海さんと入れ替わってシフトに入っている人なのかも。見かけはショタっぽいけど、慣れた様子でそつなく客を誘導し始めた。成海さんも続く。頼りになる仲間の援護に、成海さんは落ち着きを取り戻したようで、ほっとした笑顔を見せた。良かったと思う反面、軽く嫉妬を覚えてしまう。
成海さんとウエイターさんに案内されて、西園寺さんたちは前席の二列に各々腰掛け始めた。俺が座る席の隣がテーブル一つ空いているのは、ウエイターさんの心遣いによるものだと思う。たぶん。
「喫煙席はこちらです」
店長が後ろにスーツ姿の男性を連れて近付いてきた。
ここからでも届くキツい香水と脱色した長い髪。その髪と同じ金色をした腕時計は、いかにも値が張りそうだった。
外見の雰囲気から察して、夜の仕事をしている人だろうと思った。駅前で女性に声を掛けている姿を見かけたことがあったかもしれない。
その男の人は時折、盛り上がる西園寺さんたちを見やりながら、険しい表情で何かを呟いている。
だけど眉間に作った皺を緩ませた瞬間があった。
ざわざわっと、何かが俺の胸に引っ掛かったその時。
「え?」
目が合った。しかもちょっとの間見つめられたから、なんだろうと思った。
言い掛かりでもつけられるかなと思ったけど、瞬きを連発して見つめ返していると「ケッ」と吐かれて視線を逸らされる。その目元は、外見からくる印象よりも迫力がなかった。
なんだよ「ケッ」って。柄悪いな。
ぶすっとして突っ立っていると、店長は俺を見て柔らかく微笑んでくれた。歩くスピードを落としてさらに会釈もくれた。
そうして俺の前を通り、喫煙室へと入って行く店長に心が洗われたのも束の間。柄悪めの男性が髪をいじりながら俺の前を通過する。中に入って行く姿は別に追わない。
「……はぁ。戻るか」
俺は背中にたばこ臭を浴び、西園寺さんたちの前を横切って席へと戻る。
ポツンと一つ、空っぽの飴色をしたグラスが俺を迎えた。