「すんません。ちょっとダチんとこ」
馴染みのある声と口調に釣られ、視線が向く。
レジ前には同校の制服を着た坊主頭がいた。いいねマークのように立てた親指で、こちらの方を指差している。
「は?」
「ようよう孝也くん」
そいつは両手をポケットに突っ込み、ニッと白い歯を見せながらガニ股で寄ってきた。
「田中。おま、何しに……」
田中は俺の向かい側にドカッと座ると、左手を伸ばしてスタンドに立て掛けてあるメニュー表をひょいっと取る。
「肉食いてぇーな」なんて言いつつも、田中は後ろの方に載るスイーツページを開くと、下から上へ下から上へと舐めるように眺めた。
……これ。こいつが女子を物色する時に見せる癖と同じ仕草だわ。
「まぁ気にすんなよ」
チラッと俺を見て、後すぐ挙手。田中は呼び出しボタンを押さずに、窓際で接客中の店長に声を掛けた。
こんな型破りなやつにも、眉一つ動かすことなく微笑み返す店長は、菩薩様とかなのかもしれない。
店長は応待が終わると早々に来てくれた。田中はクリームブリュレ、俺はドリンクバーを頼んだ。
注文を取り終えた店長がテーブルを離れると、田中が話し掛けてくる。
「お前、昼もあんま食ってなかっただろ。イケメンが台無しだぜ?」
「ちょっと食欲なくて。つーか、わりぃけど今日……」
「ふられに来たんだろ? 食ったら帰るから」
「……おい。デリカシーなさすぎだろ!」
田中はケケケと極細の眉を吊り上げて笑う。俺は面白くなくて、視線を逸らして世界一美味い水にエスケープした。
「俺もな、ちょっと前にふられたんだぜ?」
「っは!? そうなの!? じゃあなんで薔薇……まだ香水付けてんの?」
「あ? 不自然に膨らんだバッグ持って来てるやつには言われたかねぇよ」
「う……」
「未練がましいな」と、またケケケと笑われる。
お前だってそうだろと心の中でごちりながら、俺は再び世界一美味い水にエスケープした。
「俺は違うぜ? ただ余ってっから使ってるってだけ。それによぉ、今イイ感じの子がこの匂い気に入ってるんだよ。だから使ってる」
「別れたばっかですぐ次かよ。……ちなみに誰? 俺の知ってる子だったりする?」
「ああ知ってるも何も……真辺?」
俺が思わず世界一美味い水をぶーーっと噴射すると、田中は「きったねぇ」と悲鳴を上げて、飛びのくように立ち上がった。噎ながら謝ると、田中は「しゃーねぇな~」と軽く言いつつも、険しい表情でポケットを漁った。
そこから取り出した、綺麗にアイロンがけされた清潔みのあるブルーのハンカチで顔を拭き始める田中に、俺は訊ねる。
「でもよ、いつの間にそんな」
「あのなぁお前、さっきから何言ってんだよ。俺たちは、こーこーせーだぞ? しかも来年受験生の高二。今を謳歌しないでいつするよ? まだ元カノの使ってるとか、別れたばっかだとか。お前は女子か、あ? 過去なんかに遠慮してどうすんだよ。次行けよ、次」
「次って。俺はまだ」
田中は俺を手招くと、グッと顔を寄せる。
「新しく恋しろよ。いるんだろ?」
「何言って」
間近でニヤッと笑う田中に気圧されて、つい言葉が詰まる。
「今お前、誰か浮かんだろ。大きなおめめが斜め上に向いたぞ?」
そう言って田中は背中を反らせて「だははは」と偉そうな態度で豪快に笑った。
「は、はぁ~?」
思いがけない言葉に開いた口が塞がらない。田中の言葉に混乱していたそんな時、心臓が口から飛び出しそうになる。
成海さんだ。トレーを持って扉から出てきた。乗った食器に気を配りながら慎重に歩みを進め、どんどん近付いて来る。
「お待たせ致しました」
声に反応してハッと振り向く田中。アイキャッチ抜群のエプロン姿を捉え、途端に瞳を輝かせた。両腕を広げて立ち上がる。
「成海さぁん♡ なんって可愛らしい……!」
田中は「ぜひ、俺の嫁にっ」なんて調子良くほざく。しかもジロジロと舐め回すように見るから、くっそイラっとした。
「おい、やめろって……」
嫌悪感でいっぱいの俺は、田中の足元をゲシゲシと蹴る。
蹴る度に田中が揺れ、成海さんはどんな顔をしたらいいのかといった様子で「あはは……」と力なく笑った。
「ええっと、クリームブリュレをご注文のお客さま?」
「ブリュレ? 俺です!」
うぜー。
バスケのパスを催促するみたいなジェスチャーで、返事をする田中。俺はまたゲシゲシと足元を蹴るが、余裕そうにまたケケケと笑った。すっげぇ悔しい。
少し会話を楽しんだ後……と言っても田中だけだが、成海さんはキッチンへと戻った。
「――孝也、聞いたか?」
「聞いたよ。当たり前だろ、俺もいたんだから」
また作戦会議スタイルでヒソヒソ。
「じゃあ先に食っていいぞ。成海さんの味がするぞ?」
「は、はぁ~? 何言ってんだよ。成海さんがただガスバーナーで、カラメル部分を仕上げたって言ってただけだろ……何言ってんだよ。何言って」
「ほら」
そう言ってブリュレを掬い、俺の目の前にスプーンを差し出す。
「何言ってんだよ」
「じゃあ食っちまうな」
Uターンするスプーンのヘッド。
「あーあーあー」
顎を上げてそう言いながら遠のくヘッドを目で追う俺に、田中はニヤリとをした。
「最後くらい素直になれ!」
俺は無言で頷いて、田中のあーんを受け取る。
「――!」
くっそーー! 成海さんの味がするぅぅ……!
テーブルに突っ伏してときめく俺の頭に、ケケケと愉快そうに笑う田中の声が降ってきた。