帰り道。俺たちは遊園地を出て、最寄り駅までの道を歩いている。
他に人はいない。時間も時間、もうすぐ陽が落ちるだろう。まるで自分の心を写しているような、そんな薄暗い色が空全体を染めていた。
「成海さんってさ、プリンスレンジャー好きだよね?」
成海さんは俺の顔を見た。
「うん、もちろん」
勇介くんと成海さんのお母さんは、まだ遊園地にいる。公演後のプリンスレンジャーと話をしてから帰るそうだ。勇介くんが来たのは二回目らしいけど、妙にレイへ懐いているのが引っ掛かった。まあ子供って、そんなもんかもしんねぇけど。
それよりも成海さんに「今日はレイくんと話さなくてもいいや」と、名残り惜しそうに言われてしまったことの方が俺は堪えていた。
「特にさ……誰が好き……?」
「みんな好きだよっ。ふふ実はね」
成海さんは明るく弾んだ声で即答すると、嬉しそうに二つに結んだ髪を指で持ち上げては下ろす。肩に乗った毛先がクルッと跳ね、編み込み部分に緩い丸みが出来た。
「これ。ララちゃんっていう子の髪型を真似してるんだ。ララちゃんは勇気があって優しい子でね、普段はどちらかって言うと、引っ込み思案な方なんだけど、でも困った人がいれば、どんな苦手なことにだって向かっていくような――」
「そっか」
「ごめん……引いちゃったよね?」
「ううん、違う違う。ただ……好きなんだなぁーって思ってさ……」
上手い具合に笑ったつもりだけど、足りなかった。頬が引きつっているのが自分でもわかる。もちろん話が嫌だとかでは全然ないけど、メンタルが追い付いていかないだけ。
そんな気持ちなんて知らない成海さんは、
「なんか……無理矢理付き合わせちゃったかな? つまんなかったよね、子供染みてて」
そう表情を曇らせた。
だけどすぐに申し訳なさそうに笑って、明るくごめんねを言う。気まずい雰囲気を、取り払ってくれようとしていた。
ああ、違う。俺はこんな顔をさせたかったわけじゃない。でも……。
「なんで? 楽しかったよ?」
今度は出来た。いつもみたいに、上手い具合に適当に笑う、あれ。あっけらかんとしたやつ。
「本当? なら良かった……。あ~でもレイくん一人だからなぁ。ララちゃんとか、女の子のキャラも出てくれれば、麻生くんだってもっと楽しかったかもしれないね」
「それは」
成海さんと一緒だから楽しめたんだよと、話を遮ってでも言いたかった。けど、もうやめた。
なんかな……。
「あのさ成海さん。もう一個いい?」
「うんっ、何個でも」
俺へ向けられた屈託のない笑顔が、今は結構キツく感じる。
「観てきたプリンスレンジャー。その……レイってやつ?」
「うん」
訊いちゃうのか、俺。
「好き……だよね……?」
俺は立ち止まって、じっと真っ直ぐ、成海さんを見据えて言った。
「え……」
成海さんは足を止めて、振り返る。不思議そうに目を丸くして、俺を見つめ返す。
心臓が暴れるかと思ったけど、むしろ逆で、想定していたよりも冷静で居られた。
「う、うん。さっきも言ったけど、レイくんも好きだしララちゃんも――」
「そうじゃなくて」
握り潰されそうな痛みが左胸を襲う。喉まで力が入って、酷く苦しい。苦しい。だけど知りたい。
「そうじゃなくて……。さっきステージに立ってた、咳ばっかしてたやつのこと」
大雅への気持ちは仕方がないと思った。
だけどそれは、俺にもチャンスがあるんだという余裕から生まれたもの。大雅の性格なら、告るなんて恥ずかしくて出来ねぇだろうと踏んでいたからだ。
両想いかもしれなくても、そこからは進まない。なら俺も入れる。三人で仲良くすればいいって。どっちとも付かないで、楽しくすればいいじゃんって。
結局そう思っていたかったのは……俺だけ。独りよがりの、理想でしかなかったんだ。
俺は、もう一人の方の大雅に対する成海さんの想いを訊かないと気が済まなくなっていた。
「好きだよね?」
嘘を問いただすように訊いた。
自分のことは棚に上げて、成海さんを戸惑わせた。
「ど、どうしたの急にっ」
成海さんは声を裏返して、可愛く慌てている。
「ははっ。ごめん、唐突過ぎた? まぁ、俺もそうなんだけどね」
言ってすぐ。自分から目を逸らして、俺は俯く。
好きな人に向かって嫌味を放った自分が、今まで見下してきた誰よりも、すっげぇ醜く感じた。
「そんな風に改めて言われると、焦ってしまいました」
決まりだな。
「は、ははっ」
乾いた笑いしか出ない俺の隣で、成海さんが笑う。はにかんだような、照れているような、そんな声が耳に触れた。
成海さんはマスクを被った大雅を本気で好きだってことを、特別隠したがる感じではなかった。
それって要は、俺のことなんてこれっぽっちも想っていないって証明になる。
「そう言えば勇介がしつこく『なんで自分の名前を知ってるんだ~』って、言ってたね? ごめんね」
「いやいや、全然……」
正直どうでも良かった。けどたぶん、俯いている俺を心配してくれているんだ。
成海さんが一生懸命取り繕ってくれているならと、俺は気持ちを圧し殺した。
俺、笑え。成海さんは悪くない。
「名前か。えっと、なんで俺が勇介くんの名前を知ってるかと言うと、それは大雅から聞いて」
それでも今は。大雅の話、したくねぇーよ……。
「綾瀬くんがっ?」
ちぇ。なんだよ反応いいとか……。ああ、そうだ。俺も気になっていたことがある。
「うん。バイトの時に知ったとかって話してたけど……で、あのさ成海さん。大雅とは何度か会ってるの?」
「ううん。まだ一度だけ。んっと、今日みたいに勇介を連れて行った日があって……って言っても、一昨日のことなんだけどね」
へぇ。
「うん、それで?」
「私がいつもより帰るのが遅くなっちゃって、たまたま会ったの。それまでは一度も会えたことがなかったんだけど……偶然」
最後の偶然が、運命に聴こえるっていう被害妄想。笑えた。
直接耳を当てているわけじゃないけど、成海さんは俺に、自分の胸の音を聴かせているような話し方をする。こんな薄暗さでも見て取れるくらい、頬が赤かった。
つか、あいつ……。そんなこと一言も。
「ああ~だから大雅は、勇介くんの名前を知ってんのか。じゃあ三人で帰ったの?」
「え? ううん……二人」
「あ~二人!」
あいつ……。ああ~くそ。まじでくそ!
俺はまた視線を逸らした。面目なんてあったもんじゃない。
「きょ、今日みたいな感じだね。そっか。俺が初めてじゃないのか」
「え? う、うん」
「どんな話をしたの? 聞きたいなぁ」
俺、最低だ。こういう時だけ、視線を合わせにいくとか。しかもここへきて、作り笑いが上手くなってきたっぽい。
「え? えっと、私がね、綾瀬くんに相談したの。弟が心配だって」
「へぇ」
それを俺が訊けてたら。大雅のバイトを、俺もやれていたら。
過去を振り返り、たらればが俺を苛む。
俺が放課後、夕飯を買いに行ったり家で過ごしていたことは後悔することではない。でもどうしても未練がましく、成海さんの好きな二人の内の一人に、俺もなれていたのかもしれないのにという思いが、押し寄せてきて仕方がなかった。
成海さんは、その時のことを思い返すように空を眺め、大雅との会話を教えてくれる。隣を歩く俺と違って、すっごく幸せそうに。
「あれ? そう言えば名前……」
「え? 名前って勇介くんのこと? ええっと、さっきも言ったんだけど……大雅から聞いたんだよ?」
俺の話は全然聞いてもらえていないのかと自虐的な思考。だけど不意に立ち止まって、呆然とする成海さんの様子を見ると、また別の理由がある気がした。
「ん? どうしたの成海さん」
成海さんは、はっと息を吸い込んで、口元を両手で覆った。知ってはいけない秘密に気付いてしまったような、そんな反応をする。
「私、言ってない。教えてなかったよ、名前……っ」
そう言って成海さんは、大きな瞳に涙を溜めた。