業間。用を足し終わり、ハンカチで手を拭きながら廊下へ出ると、正面に野島が待ち構えていた。でろんでろんに伸ばした両袖を、だらしなくひらひらさせている。
「……男子トイレの前で待つとか、お前って恥じらいってもんがねぇの?」
そう俺が言うと、にへらと野島は笑った。
「最近なんか楽しそうだねー」
「……まぁな」
高いくせに酒やけをしたような枯れた声と、無神経さが見え隠れする物言いに煩わしさを感じた俺は、体と一緒に視線も逸らせて避けるように早足で歩く。だけど野島は上履きをバタバタと鳴らして、ハンカチをズボンの右ポケットへ突っ込む俺のすぐ隣に、彼女面をして付けてきた。
「ふ~ん」
「お前こそ、余裕っつーか……どういう風の吹き回しだよ?」
詳しく説明しなくてもわかるだろう。昨日辺りからの
「もう知っちゃったからだよ」
「は?」
「孝也こそ、なんで浮かれてんの? 馬鹿なの?」
「は?」
「ちょも~、さっきから“は?”の応酬なんですけど~」
野島は品なく笑いこけ、袖を使って俺の背中をペシペシと殴る。そんなことしてっから袖が伸びんだなと思った。
「ってーな、やめろよなぁ」
大して痛くはないが、鬱陶しいという意味を匂わせて言った。
「ねえねえ昨日さ、何かあったの? 保健室で」
足は止めずにいれたけど、俺は思わず野島の顔を見た。
「は、はぁ~?」
俺は前へ向き直すと、何をどう誤魔化せているか、意味があるかどうかなんて説明は出来ないけど、ストレッチしてますよ風に首をゴキゴキさせた。
「下手か。いつもそれだよね」
「は? なんのことだよ」
「ま、いいや。ねぇ、保健室に行く前と帰ってきてからのテンション、全然違かったんだけど?」
その一言ではっとした。野島のやつも、その辺りだ。昼が終わってから態度が変わった気がする。
「そりゃあ、お前なんかといるより、成海さんと喋ってた方が楽しいからに決まってるだろ」
「ふ~ん。……妃色って優しいし、誰にでもああなんだよ? ちょっと喋ったくらいで、なんで特別に感じてもらったって思ってるわけ? 田中なんか妃色に、すごくいい香りがするねって語尾にハート付けて言われてたよ?」
「は……? べ、べっつに、喋ったからだけじゃねーし!」
口を尖らせて田中のエピソードに対抗すると、
「やっぱ妃色となんかあったんだ!」
獲物を捕らえたとばかりに、意気揚々とする野島。俺はまんまと話に釣られたことに気付く。
「は、はぁ~?」
くっそ、田中の所為だ。てか田中のやつ、成海さんにそんな羨ましいこと言われてたのかよぉぉ。
でも俺の気持ちはこいつにはバレているわけだし……秘密にしなくてもいいのかもな?
「だから下手なんだって、誤魔化すの。ちなみに今の田中の話、私の作り話だから!」
「はあ? 嘘かよっ!」
駄目だ。こんなやつにバレたら「二股って言われて喜んでるとか~」って、涙を流して一生笑われそうな気がする……。
「保健室でのことはもち、すぐに妃色から吐かせたんだけど、孝也が喜ぶようなことなんて、何一つ言ってなかったよ?」
そりゃあ言わねぇだろ。二股って言葉には、成海さんも罪悪感を持っていそうだったし。それに野島には、俺のことが好きだなんてきっと言えない。ああそうだ、また野島たちがいじめないように、気を付けて見ていてあげないとな。うん。
「孝也と綾瀬くんの前で、面白いこと言っちゃったらしいのは知ってるけど」
「面白いこと? ……なんだよそれ?」
いつまで喋ってくるんだよと思いながらも、つい訊き返した。成海さんの口から出たことなら知りたいし。
「ぷぷっ、あの子まじウケるんだよ」
俺は、目を三日月形にして思い出し笑いをしている野島の言葉を待った。だけど両袖を叩き合わせて笑ってばかりで、なかなか言わない。
「なんか妃色さっ、言っちゃったらしいじゃん? きゃははっ」
そんなに笑う話なんてあったかなと思考を巡らせていると、野島は目に涙を溜めて、呼吸も整えないままに口を割った。
「二股しちゃってるって、正直に言ったんでしょ?」