――というわけで。
「二人とも大丈夫? なんか、あんまり意味ない気が……」
「全然! まだ小雨だし余裕! なあ大雅⁉」
「お、おうっ!」
成海さんを挟んで右が大雅、左が俺。それで外側に自転車。
傘を持つのは成海さんだ。両手でしっかり
俺たちは
俺の左半身と両手は濡れ、腰はこのままだと死ぬだろうけど、全く気にならないくらい幸せなシチュエーション。
ごめんと言いながら肩や腕がぶつかることにも、サイドに残した滑らかな髪に頬をくすぐられることにも、俺はひとつひとつ律儀に鼓動を高鳴らせていく。
踊るような気持ちを抑えて咲かせる会話は、バイトお疲れさまから始まり、なるなるって呼ばれてたねとか、あのワンピースは店長の趣味らしいといった都市伝説など、当然バイトについてだった。そして話題は、何かと気になるカーター葵さんに移行する。
「本物だったの?」
「「おぶっ」」
成海さんは驚いた拍子に立ち止まったらしく、気付いたら俺たちは傘に顔面をめり込ませていた。
「うわぁぁごめんっ」
すぐに傘は上げられる。振り向くと慌てた様子の成海さんが見れた。
面白いなぁ、いい想い出っす。
まあ、それはそうと……
「成海さん、気付かなかったの?」
くそ、大雅に取られたし。
「うん。実はずっと緊張してたから、みなさんの名前もしっかり覚えられてなくて。でもそっかぁ、本物だったのかぁ。目の前にいると気付かないもんだね……」
まじか成海さん。
俺のお口があんぐり。大雅はまた笑壺に入った様子で、俺たちの反対側を向いて笑っている。成海さんは追うように大雅を見てオロオロしていた。
「くくっ。けど、こいつもさっき、成海さんより驚いていたんだよ?」
「ちょ! おい~。言うなよそれぇー」
成海さんは俺の方を見て、楽しそうにケラケラと笑った。だから照れくさかったけど、「成海さんまで~」と言いながら俺も一緒になって笑う。
何だこの時間。すげぇ楽しい。
「でもカーター葵さんって、成海さんの憧れの人なんでしょ?」
雰囲気に逆らわず訊いたはずだったけど、想像していた反応と違うものが返ってきた。
「へ?」
なんで成海さんがキョトンとするんだろうと、俺もキョトンとする。すると唯一キョトンとしていないやつが、俺たちに教えてくれた。
「麻生。それな、勘違いだぞ」
どういうことだ。
知ってそうに話す大雅に、「ああ~」と納得の声を漏らす成海さん。
なんだよ、俺だけ除け者かよ。ちぇー。
そう心の中でいじけていたら、成海さんは俺を見上げて「プリンスレンジャーだからそう思ったんだね」と微笑んだ。
間近で顔を向けられたことに喜んでいると、成海さんは熱っぽく語り始める。だけどそれは、野島の思惑で昼を一緒に食べた時に聞いたものと、ほとんど変わらない内容だった。
思い出せば頷ける。野島たちがカーター葵さんのことで盛り上がる中、成海さんは笑顔で相槌を打っているだけだったもんな。
しかもシフトの関係で、カーター葵さんと一緒に働けるのは、今日が最初で最後らしい。成海さんは少し残念そうにしたけど、それだけだった。
「レイくんの好きな子がね、同じクラスにいるんだけど、変身した姿でその子を助けたらレッドを好きになっちゃって。だからレイくんは、正体を隠してその子のためにね」
カーター葵さんの、かの字も出ない。俺がプリンスレンジャーのレイが好き=カーター葵さんが好きと繋げたように、成海さんもカーター葵さんの話=プリンスレンジャーのレイの話に繋がっているっぽい。
なんだ、そっか。俺が先走っただけだったのか。
「純粋にヒーローの姿が好きだっただけか。良かった……。俺はてっきり」
「ん?」
「あーっ、なんでもないよ! そうだ、傘重くない⁉」
成海さんは眉を下げて、遠慮がちに笑う。
「傘なんかいつも持ってるから大丈夫だよ。それよりも、二人が濡れちゃってることの方が心配です!」
「……なら、もっと近くに来てよ」
「え?」
「い、いいやなんでも! あ~ねぇ、成海さんっ。突然だけど、俺の服どうかな⁉」
「うん? ああ、すごくかっこいいよ。ずっとお洒落だなぁって思ってたんだ。制服姿よりも大人っぽく見えるし」
っしゃ! しかもずっと想ってたって言ってもらえたぞ。まじ嬉しいんだけど!
俺は「そうかなぁ~」なんて言って、全力で照れ笑い。笑いながら成海さんの顔を眺めていたら、不意に大雅の腹の部分が視界に入り込む。上手く説明が出来ないけど、妙に目についた。けど別に顔を確認しようとか、話し掛けようとか思わない。このまま俺を見上げて笑う、成海さんを見つめていたいから。
「もちろん綾瀬くんの――」
「あのさ麻生……」
大雅~。成海さんがせっかく呼びかけてくれたのに、何を遮っているんだよ~。
顔を上げると大雅は外側、さっき笑壺に入った時のように、俺たちとは逆を向いている。表情は見えないけど、どこか違和感を感じた。
「俺ちょっと用事思い出したわ。悪い、二人は先に帰ってて?」
「あえ? ちょ?」
大雅は車輪を転がして傘から出ると、俺たちに背を向けて自転車に跨がる。ペダルに右足を掛けた。
「綾瀬くん?」
「大雅……? 急にどうしたんだよ⁉」
今すぐにでもここから消えてしまいそうな大雅を引き止めるように、俺は声を張り上げた。
そりゃあ二人きりは願ってもない。嬉しいけどよ……。
「……くて」
「え? お、おい……なんだよ……?」
大雅の大きな背中に雫模様が重なっていく。
「ごめんな」
「へ?」
大雅は呟くようにそう言うと、自転車を漕ぎ今来た道まで戻っていく。あっという間に大雅の後ろ姿は、手に収まるくらいに小さくなった。
「綾瀬くん……」
タイミング悪く雨が強さを増す。酷く冷たくて、ハンドルを握る指に刺すような痛みが走った。