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第42話 事実とは違います

「えーーーーっ⁉」


 今そこに、カーター葵がいんのぉぉ……?


 その顔に何か答えが書いてあるわけでもないのに、俺は花守から目を放さないまま背凭れに体を寄せる。

 だけど頭の中では、たった今、自分の前で恥ずかしそうに照れ笑いをしていた成海さんの姿を、カーター葵の隣へとスライドさせていた。仲良さげに笑い合う二人を俺は想像する。


 そんな……カーター葵が相手……。


 他校のやつとか大学生とか、イケメンって言ってもそんな男でもいんのかと思ってた。

 まさか芸能人が。しかもよりによって成海さんの好きな……。


 俺が絶望する中、花守は吐き出せてスッキリしたのか「内緒だかんね」とウィンクを飛ばす。花守の所為ではないことくらい俺だってわかってはいるけど、他に腹を立てる矛先がない。

 自分の器の小ささに嫌気を差していると、また後ろから気配がした。

 まさかカーター葵が宣戦布告をしに来たのではと、先走った考えが頭を支配した。変な汗を額に噴かせながら恐る恐る見上げると、花守越しに目が合った。


 白のブラウスに、黒のベストとスラックス。そして黒の紐リボンを襟元に結ぶ、一見すると執事のような装いの男性が立っていた。

 肩のラインで切り揃えられたセンター分けの黒髪ストレートや、細い眉に切れ長の目。それから薄い唇に忍ばせる笑みが、隙のない印象を受ける。

 この男性は、ウェイターだろう。取りあえずカーター葵ではなかったので、俺は胸を撫で下ろすことが出来たわけなのだが――


「ぼたちゃん、キッチンへお戻りなさい」


 表情の付け方や声の張り方が女性的だった。

 俺の背後から現れるのは、キャラの濃いやつじゃなくて、まじで成海さんだけにしてくれよと思った。


 花守は拳で自分の頭をコツっと一発すると、その男性に向かって舌を出す。

 ああごめん。今まじで、そういうのいらないから。


「テンチョ。麻生くんと、綾瀬くんだよ」

「あ、ども」


 若く見えるが、歳は二〇代半ばくらいってとこだろうか。胸元のピンは何かのマイスターとか何かだと踏んでいたけど、そういう話なら店長って意味でも指してんのかな……。

 それともソムリエ的な? ははっ、何言ってんだ俺。ファミレスにソムリエはいらねぇだろ。それじゃあ……って、いやいや! いつまで考えてんだよっ、どうでもいいし!


 にしても店長さんが俺たちなんかに、何か用事でもあるんっすか?

 俺はカーター葵のことで、頭をいっぱいにしたいんっす。早く状況を把握したいんっすよぉ!


 煙たがる俺の思いとは裏腹に、店長は胸に手をあてながら丁寧に頭を下げた。腕に白い布こそ掛かってはいなかったけど、まさにイメージのそれ。見事にハマっていて、とても美しい立ち振る舞いをしていた。


「申し訳ありません、お客様。ぼたちゃんが騒がしくしてしまって。麻生様に綾瀬様、お二人のことは存じておりますよ。ぼたちゃんのご親友だとかで」

「「違います」」


 タイミングも言葉の選択も全く同じ。これが親友ってやつだ。

 そんな俺たちに、花守は間髪無く元気なツッコミを返すと、店長さんは「やだぁ。もっと品良くしないと駄目ぇ」と、言葉をぴょんぴょん跳ねさせて笑う。すると花守は途端に、背中に氷を入れられたみたいに背筋を伸ばし、逃げるようにキッチンの中へと姿をくらました。


「なんだあいつ。言いたいことだけ言って……ん?」


 店長さんは微笑んだまま、根を深く下ろす木の如く、俺たちの前を離れない。


 なんか、すげぇプレッシャーなんですけどぉぉ。


 薄い体のどこからそれが来るのか。俺は内心穏やかではないけど、成海さんがくれたグラスの氷が溶ける音を合図に、諦めて話し掛けることにした。すると店長さんは、すぐに口を開いてくれる。


「ああ見えて、とてもいい子なんですよ。大好きなメイクもちゃんと落としてきてくれますし。だけど今のは見逃せません。お店のルールは、守って貰わないといけませんからね?」


 店長さんを見ていると、ちぐはぐな感情が沸き起こってくる。でも店に対しても従業員に対しても真摯なんだなと感じた。社会人として当たり前なのかもしれないけど、大人の一翼に触れたみたいで、俺は小さく感動を覚えた。恐縮しながら返事をすると、次に口を開いたのは大雅だった。


「あの。さっき花守さんが言ってた、カーター葵さんについてなんですけど。本当にいらっしゃってるんですか?」

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