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第39話 なんだかんだ謳歌

「なぁ。弁当箱、本当に洗わなくていいんだぞ……」

「着替えてくついでだ。毎度毎度、気にすんなって。そんじゃあ、また後でそっち行くわ!」


 いつもこの時だけ遠慮王になる大雅と別れ、俺は急いで自宅へ向かう。

 雷も去り、すっきりと晴れ渡った空の下、所々大きな水溜りが残るアスファルトを靴底で蹴っていく。

 体が軽い。どこかで観たアニメの魔法少女のように、靴にも背中にも羽が付いているみたいだった。


 さあこれから準備して、応援を兼ねて、放課後の成海さんに会いに行くんだぜいえいっ!

 ああっ、くっそ楽しみだな~!


 野島はダンススクールだし、塾が休みの真辺さんは「用事があるの。うふふ」とかで来ない。花守の相棒で大雅担の桑原瑠香くわはらるかはピアノのレッスン。

 他の女子たちの「私も行く、私も行く」も、なんとか収拾をつけてきた。

 というわけで、大雅と俺の二人だけで行ける最高な結果に。


 うえ~い。帰宅部、暇人、うえ~い。


 もちろん野島はそれでも例の如く、俺たちに付いて行きたがった。けど年明けの大会メンバーに選出されたとかで、チームに迷惑が掛かるからと、流石にそっちを優先してくれた。

 なんて素晴らしいタイミングっ。


 そうこう浮かれて思考を巡らせている内に、あっという間に家に着いた。


「ふぅーさみぃ。ただいま~」


 返事なし。だけど玄関の端に、年甲斐もない真っ赤なヒールがあるから、母ちゃんはいる。たぶん今日も疲れて寝ているのだろう。

 俺ん家、麻生家は三人家族だ。父ちゃんは単身赴任で大阪、母ちゃんは介護職に勤めている。そんで……いやいや、逐一母ちゃんが仕事復帰してから何年目だったかなんて考えないぞ、俺は。


 いつも通り俺は手洗いとうがいを済ませ、玄関に置いた鞄を持ってリビングに行く。隣のキッチンへ向かい、鞄から取り出した弁当箱を一旦流しの水に浸けた。二階にある自分の部屋へ戻って、ドア正面にある背の高いスチールラックの下段の定位置に鞄を置く。それからドア横のクローゼットを開き、俺は早速着ていく服を物色する。


 白ニットのタートルに、黒スキニーをチョイスした。めっちゃ無難。けどこれに、キャメルのチェーンプレート……じゃなくて、チェスターコートを後で羽織るんだ。そうすれば、成海さんの隣に相応しい、清潔感に溢れた渾身の装備になる。


 着替をぱぱっと済ませ、弁当箱を洗いに一階へ戻るため、開けっぱなしにしていたクローゼットの扉に視線を向けた。でも俺は取手ではなく、ハンガーに吊るした服を掻き分け、奥に設置された棚の上に乗るドラムバッグを引き出した。

 例のクリスマスプレゼントが入った旅行鞄を前に、鼓動が早くなる。頬がだらしなく緩んでしまう。


「成海……妃色……」


 少し緊張してそう呟いた時、廊下を進む足音が聞こえてきた。母ちゃんだ。

 俺はバレたくないの一心で、全神経を集中させる。慎重に鞄を戻し、たぶん光を越える速度で、掻き分けた服の密度をちょ~どいい感じに直していく。そしてクローゼットの扉を一押しで閉めて、俺は誰かさんみたいに涼しい顔をしながら、万全の状態で時を待つ。


 ……危ねぇ。二階の寝室で寝てると思ったけど、リビングのソファーかなんかで居眠りしていたのかも。助かった。


「孝也、帰ってたの。おかえり言えなくてごめんね。うっかり寝ちゃってた……」

「いいってそんなの、ガキじゃあるまいし。もういいから、母ちゃん寝てきなって。俺もちょっと出かけてくるから」


 俺の言葉に、母ちゃんは表情を明るくした。


「ちょっと出かけるって、デート?」

「は、はぁ~? ち、ちげぇよ、大雅だよ、普通に大雅。大雅と友達のバイト先に、顔を見せに行くってだけ!」


 言いながら俺は、せかせかデザインのデジタル時計に目をやった。

 これはログインボーナスなどで貰える、ゲームコインのみで交換出来る代物で、送料がかかるのが草だけどめっちゃ気に入っている。

 ――うん。まだ待ち合わせには、余裕がありそうだ。


「へーそっか。でもそれなら、その友達は女の子だったりする?」


 ぐあー来たよ、うぜぇ~。質問攻め、うぜぇ~。


「は、はぁ~?」

「まぁいっか、なんでも。ちゃんと高校生活を謳歌しているなら、母ちゃんは嬉しいから」


 うるせー。また恥ずかしいことを言ってるし……。


「弁当箱洗うから、もう下りるけど?」

「それは母ちゃんが洗うから、孝也はお菓子でも食べておいで。利用者さんのご家族に頂いた焼き菓子、冷蔵庫に冷やしておいてるから」

「ありがと。でもいいよ、今からスイーツ食いに行くし。弁当箱も俺が洗うからもう少し寝てなって、くま出来てるよ?」

「ふふ。なんだかんだ孝也は優しいわね」


 だから恥ずかしいんだって、そういうの……。

 けど、昔から変わらないその微笑みを見ていたら、特別なことではないけど軽くアイディアが浮かんだ。


「そうだ、夕飯。友達のバイト先のファミレスでテイクアウトしてくるからさ。帰ったら一緒に食べようぜ?」


 俺がそう言うと、母ちゃんは嬉しそうに目を細めて笑うのだった。

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