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第37話 イ・イ・コ・ト

「いい匂いがする男の人って憧れない?」


 女子の声がした。

 他の子なんて興味ないけど、話題が気になった。視線を移すと、俺の背後を通り抜けていくのは二人組。他校の制服を着ている。

 俺の視点はマップに戻ったけど、耳はそのままに残した。


「わかるっ。上手に使ってる人とか素敵だよね。つけすぎとか、メーカーわかっちゃうのは嫌だけど、つい気になっちゃう」


 匂いか。そういやぁモテたいからとか言って、クラスの男子も何人かつけてんな。

 成海さんの印象も良くなったりするのかな……?


 俺はそんな下心で聞いていた。


「気になるどころかさぁ、好きになっちゃうよね」


 え! 好きになっちゃうよね⁉

 好きになっちゃうよね。好きになっちゃうよね。好きになっちゃうよね。大好きになっちゃうよね!


 俺はすぐさまマップの上に視線を滑らせて目星を付けると、一心不乱に店へと直行した。


「いらっしゃいませ」


 人口的な香りの襲撃にHPが削られるかと思いきや、めちゃめちゃいい匂いがする店だった。こういう買い物は初めてだったから緊張はしていたんだけど、さらに敷居が高くなったような気がして、余計にどきどきした。

 店内に足を踏み入れると、大雅くらい身長があるスタイル抜群のお姉さんが現れた。いや、現れたのは俺の方だったけど。


「宜しかったら、こちらのムエットをお使いくださいね」

「あっ、はいっ」


 俺はガチガチに緊張しながら、瓶の型が押されたムエットと呼ばれる白い厚紙を手に取り、匂いを嗅いだ。


「いい香りですね。これにしようかな」

「すみません、お客様。そこにはまだ何も」


 ちゃんと恥も掻いてきた。

 どうやらお姉さんの説明によると、その紙はサンプルとして置いてある香水を、吹き掛けて使うものらしい。

 そういうことだったのかよと思いながら、適当に笑ってやり過ごした。


「もしかして、彼女さんにプレゼントですか?」

「か、彼女⁉ い、いいえ自分のっす!」


 俺の動揺っぷりが可笑しかったのか、お姉さんにくすくすと笑われた。だけどお姉さんの勘違いが嬉しかった俺は、ガキ扱いされても全く気にならなかった。


 俺が素直に使うのが初めてだと言うと、色んな香りを試させてくれた。三回目辺りから鼻が麻痺してきて、嗅ぎ分けが出来なかったし、説明も「ユニセックス」とか「ラグジュアリー」とか何を言ってるのかサッパリだったけど、お姉さんのこの一言で一つに絞ることか出来た。


「なので、一度嗅いだら忘れられない香りですね」


 え! 忘れられない香り⁉

 忘れられない香り。忘れられない香り。忘れられない香り。俺のことが頭からずっと離れられない香り!


「これにします‼」


 即決だった。

 それからお姉さんの指南の元、つける分量やタイミング、位置などを教わり、サンプル品くらいの極小サイズのものを買って店を出た。


 だけど、なかなか緊張感から解放されなくて、うっかりマフラーを買い忘れるところだったんだよな。

 でもちゃんと買ってる。クリスマス用に包んで貰って、帰ってからすぐに自分の部屋のクローゼットに仕舞って、大切に保管してきた。

 部屋で何回も取り出しては、成海さんのはにかむ表情を想像しながら眺めたりもしたけど、今朝クローゼットの中にある鞄に隠しておいたから、仕事から帰った母ちゃんに見付かることもないだろう。


 絶対似合うよな。あのマフラー……。

 あはは、大雅ごめん。ちょっと抜け駆けになっちゃうかもしんねぇかな~?


「おい、授業終わってるぞ」

「うわ⁉ なんだよ大雅! ああ授業終わってたのか、さんきゅ……」

「もー、綾瀬くんったら邪魔しないの。今、幸せ時間だったんだからん♪」


 花守に指先で頬を突っつかれ、大雅はうわぁぁと叫びながら席から跳び上がった。可哀想~。


「は、花守はみんなの授業の邪魔すんなよなっ⁉」

「綾瀬く~ん? 自分だって寝てたじゃんよ~。ほら、アレ、また言っちゃうぞ? ジャスジャス……」


 痛いところを突かれ、大雅は渋い表情になるも赤面した。

 大雅が恥ずかしそうに口元を手で覆うと、女子たちは黄色い悲鳴を上げ、餌に群がるお腹を空かせた鯉のように、その絵になる立ち姿に向かって押し掛けていくのだった。


 そっか。大雅は今、ジャスティス効果で時の人となっているんだ。


 顔を青くして逃げる大雅を、すげぇなと眺める。目で追っていると、自分の席に座っている成海さんが見えた。


「……」

「ほらほら、麻生くん。余計なこと考えないの。イ・イ・コ・ト教えに来てあげたんだからさ」

「……なんだよ、いいことって」


 顔の前で柏手かしわでを打つ花守を、うざく思いながらも一応は訊く。花守は意味深長に口角を上げると、声を潜めた。


「私んとこのバイトにさ、妃色ちゃんが入るんだよっ」

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