「い、痛かったら言ってね?」
何これっ、ただ消毒するだけだよね⁉ なのに、この妙な緊張感はなんなの……⁉
「やっぱり自分で……!」
私は膝を見つめていた顔を上げて言った。
けれどそこには綾瀬くんの顔が間近にあって、私の視点は逆戻りした。
痛いのとか、もうどうでもいい。早く、早く終わってっ。
「……じゃあ、いくよ?」
どうぞ、どうぞっ。
そう心の中でひれ伏しながら、私はこくこくと無言で頷いた。
少し間が空いた後、綾瀬くんは慣れた手つきで傷を消毒してくれる。
「あれ? あまり滲みないよ? 綾瀬くん、手当てが上手なんだね」
「え? ああたぶん子供の頃に、よく自分でやってたからかな?」
「自己流だけどね」と、綾瀬くんは付け加える。
そのはにかんだ声が、不思議と私に安心をくれた。胸のどきどきは治まらないけれど、気持ちは徐々に落ち着いていくようだった。
……この調子、この調子。
「心配だったけど、痛くなくて良かった。じゃあ、絆創膏取って来るから、そこで待ってて」
「うん。ありがとう」
棚の方へ戻って行った綾瀬くんの足元を、私は口を結びながら目で追いかけた。
「俺さ……勇介くんのこと、偉そうにアドバイスしたでしょ?」
「へ? 偉そうなんて、う、ううんっ。全然そんなことないよっ」
私が慌てて否定すると、綾瀬くんは息をふっと漏らして目を細めた。
胸がきゅんとする。恥ずかしさで耳も熱い。
でも、綾瀬くんのその表情がとても優しくて、つい見つめたくなった。
綾瀬くんは絆創膏を取ると、私の前にある丸椅子にもう一度腰掛けた。
「実は俺、昔サッカーやっててさ。勇介くんみたいにレギュラー落ちしたことがあったんだ」
「えっ、そうだったの? ああでも確かに綾瀬くんって、サッカー部っぽいね」
話の続きが気になって、思わず綾瀬くんを見た。あれだけ合わせられなかった目を見ながら、私は言葉を待った。
「そ? ははっ。まぁ、部じゃなくてクラブだけどね。勇介くんと一緒で、小学生の時の話。絆創膏貼るよ?」
私が頷くと、綾瀬くんは絆創膏を貼ってくれる。
「……痛くない?」と、そっと訊ねるように言う綾瀬くんに、私の胸はまたドキッと鳴った。
「あと少しだから。ごめん、話いい?」
綾瀬くんは腰を浮かせて丸椅子を引きずると、くるりと半回転する。大きい上半身が、私の隣で前後に揺れて止まった。
「隣、来ちゃった」
ととと、隣来ちゃった⁉
「こんなチャンスねぇし……」と綾瀬くんは続けて呟いた。
普段よりも幼い綾瀬くんの笑顔に、私の体温が瞬く間に上がっていく。
「えええっと、さ、サッカーは続けなかったの?」
頬を固くした綾瀬くんを見て、デリケートなことを口走ったんだと察した。
けれど綾瀬くんは私を気遣って、すぐに口角を上げてくれる。私はこの上なく後悔した。申し訳なさでいっぱいになった。
「うん。逃げたんだよ、俺……」
どこか遠くを見るように話す綾瀬くん。その横顔を私は黙って見つめた。
「本当は、アドバイスしたみたいに俺が出来たら良かったんだけど、全然出来なくてさ……。成海さんには言ったのにね」
綾瀬くんは苦笑いをする。
「俺はどんどん、どんどんサボるようになって、クラブにすら行かなくなった。熱が冷めちゃったんだ」
綾瀬くんの声は明るい。もう昔のことになったのだろうか。
「だけど勇介くんは偉いよ。放課後の練習は辛くて今は出来ていないかもしれないけど、クラブには行ってるんだから。きっと熱は冷めてない。まだ諦めていないと思う」
真っ直ぐな瞳は、勇介の未来に光を宿してくれているようだった。その瞳に見惚れて、私は思わず「後悔していないの……?」と訊いていた。
「していないよ。だって俺、もう一度頑張れることを見付けられたから……」
──とくんっ!
「ありがとう。妃色さんのお陰」
綾瀬くんの表情は、とても真剣で熱っぽくて、やけにキラキラして見えた。眩しくて、どきどきした。
「あああ、あの……」
「妃色さん?」
思わず立ち上がって後ずさった。何度も膝の裏に、座っていた丸椅子をぶつけながら、私は後ろへ後ろへと下がった。
「わ、私。えっと私……――っわ⁉」
「妃色さん危ないっ!」