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第23話 戻ってきた。

 優子が屋上の重い扉を元気よく開けると、鮮やかなライトブルーの空が目に飛び込んできた。

 私はそれを見た時、少しだけ心が軽くなったような気持ちになった。だけど私が二人の背中を追って表に出ると途端に、寒々しいグレーの空模様へと変化してしまうのだった。


「食べないなら、その卵焼き貰うわね?」

「じゃあ私は、やたら甘いにんじんをあげましょー」


 目が合わない、理由に触れない。

 でも二人は、これまでと同じように、私を挟んで座ってくれている。

 こうしてお弁当のおかずが減ったり増えたりするのも、いつもと全く一緒だった。


 だけど、どことなくだけれど、以前よりも気を使われている感じがした。

 ここずっと余所余所しかっただけに、とても不思議な感覚に思えた。

 それに愛奈は、どうして綾瀬くんにさよならを言ってしまったのだろう……。


「わかったよ」


 愛奈は息を吐くと、スカートにくるまれた膝の前へ、藍色のお弁当箱とお箸を置いた。


「んまぁ、私も?」


 お道化るようにそう言った優子も、食べる手を止めた。お箸を持ったままフタを閉めて、膝の上にお弁当箱を置く。


「ごめん」「めんご」

「う、ううんっ私が……! 謝らなきゃいけないのは、私の方だから……!」


 慌てる私に、愛奈はわざとらしくため息を吐いて言った。


「全く本当そう。でもね妃色、私なんだか白けちゃったんだぁ」


 愛奈は空を仰ぐと、いつもの調子で綾瀬くんの話をしてくれた。

 でも今は、首を傾げながらつまらなそうに「大人っぽいって思ってたのにな」とか、「冷たい感じが好きだったのにな」とか、否定的に話をする。おまけに「綾瀬くんも結局そこら辺の男子と同じか」と付け加えた。


「さすがにプリンスレンジャーはきついなって思った」


 どうやら愛奈は、授業中に零した「グリッタージャスティス」で、綾瀬くんへの熱が冷めたらしい。と言うよりかは、自分の想いに気付いたと話す。


「だはは! いいじゃん、可愛いってみんなも言ってたしぃ」

「嫌だよ。中身は戦隊モノが好きなスカした男なんか、ただの中学生じゃない」

「いやいや。中学生は戦隊モノ見ねぇから!」


 二人の言葉が、私の胸を衝く。

 ショックだった。ものすごく悔しさを感じた。だから私は言った。


「ま、待って愛奈。イメージ通りじゃないと嫌いになっちゃうの?」


 すると二人は顔を見合わせて、不自然に口角を引き上げた。

 怖い。不安が押し寄せてきて、顔が強張ってしまう。


 またこうやって話が出来たのに。三人揃ってお昼が出来たのに。

 でも私は伝えたい。教えたいと思った。

 だって綾瀬くんはとても――


「何? プリンスレンジャーのこと怒ってるの?」


 私は喉から出かけた言葉を呑み込んだ。顔を曇らせる愛奈の目尻に、涙が滲んでいくのを見たからだ。


「ちょっとやめてよ妃色。自分でもさ、私の好きな気持ちってこんなもんだったんだって思ったけど、でもっ、それでもやっぱり好きな気持ちもあったんだから……!」


 愛奈は眼鏡を取ると、子供のように夢中で涙を拭った。


「そ、そうだよね。ごめん……」


 全くその通りだと思った。

 申し訳なくなって体を縮こまらせると、竦む肩に手が乗せられる。優子だ。


「あのさ、妃色?」


 普段のトーン。でも顔を上げた先には、鋭い眼差しがあった。

 かじかんでいるはずの手が汗を握り始める。だけど私は、気にしないふりをして平然を装った。


「イメージと違ってたら幻滅しちゃいけないわけ? 見た目が好き、雰囲気が好きじゃあだめなわけ?」

「そ、そんなこと」

「やだやだ、いい子ちゃんはー。つかさぁ、自分だってマスクが好きなくせに、何言ってんのっ?」


 優子は愛奈を庇った。

 ただそれだけ。優しい優子らしい言葉だった。

 なのに私の中で、譲れない何かが芽生えて消えない。


「いいよ優子。もう綾瀬くんのことなんて好きじゃなくなったから、本当どうでも良くなった。それにね、妃色。私は早く妃色と仲直りがしたいの」

「……へ?」

「それは私も……そう……だけどさ」

「そのために妃色を呼んだんでしょ?」


 愛奈、優子……。


 込み上げる感情と一緒に、三人で作った大切な想い出が甦っていく。


「二人とも、ごめんなさいっ。本当にごめんなさいっ」


 堪らず私は二人の前に立って、思いっきり頭を下げた。力いっぱい目を瞑りながら言った。


「ありがとう。嫌な想いをさせちゃったのに、そんな風にまた言ってくれて……」


 とても嬉しかった。

 今まで二人が向けてくれた笑顔の数々を瞼の裏に観ながら、私はさらに気持ちをぶつける。


「我が儘なのはわかってる。けれどまた前みたいに仲良くしたいっ。真ん中じゃなくてもいいから、また二人と――」


 一緒にいたいっ……!


 サーっと風が吹いた。

 私たち以外、誰もいない屋上。とても静かで、キーンと張り詰める寒さが余計に私を臆病にさせた。


 頭を上げたら、二人はどんな顔をしているのかな……。


 長引く沈黙に不安を募らせていると、愛奈の笑い声がそれを打ち消した。


「やだ妃色、告白してるみたい」


 続けて優子の声も聞こえてくる。


「しかも、何度もフラれてるパターン的な?」


 明るい声だった。裏のない、ぽんと出た言葉だった。嬉しくて、嬉しくて、二人の表情を知りたいと思った。

 私は気持ちに急かされて頭を上げると、そこには愛奈の優しい顔、優子の照れた顔があった。


「こら、泣くな」

「そう言うところがうざい」


 そう言って二人はいつものように笑って、私に変わらない眼差しをくれた。

 風に晒された頬に、涙が冷たい。でも胸は、この季節のお日様のようにじんわりと暖かくて、私は久しぶりに安心して笑うことが出来た。


「私は綾瀬くんより、妃色の方が好きだったみたい」


「とやかく言われたくはないけど」と付け加えながらも、穏やかな顔で愛奈は可愛く微笑む。だから私は綾瀬くんに悪いと思いながらも、嬉しくて笑ってしまった。

 だらしない顔で、ふにゃふにゃと笑った。

 そうして飽きもせず笑っていたら、突然優子が立ち上がって私の腕を掴んだ。


「妃色こっち!」

「へ? わっ!」


 掴まれたと思ったら、視界が優子でいっぱいになる。地面に打ち付けた両膝が痛い。滲んだ目で、箸と三毛猫が乱雑に転がっていくのを見た。


「優子、お弁当が」

「そんなんいいから、早く涙拭いてっ」


 優子は私を抱きながら、慌てた様子でそう耳に囁いた。

 何が起きているのか意味が解らなさすぎて混乱をしたけれど、優子が近くにいる喜びが勝っていたから、私は大人しく涙を拭った。


 するとそこに、ドアノブを回す音が響いた。

 厚い扉が軽々と開くと、風に運ばれてきたのは、ライトブルーによく映えそうな爽やかな香り。

 それから華やかな甘い香りが流れてくると、優子の目が泳いだ。


「来ないでって言っといたのに……ばか孝也」

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