優子が屋上の重い扉を元気よく開けると、鮮やかなライトブルーの空が目に飛び込んできた。
私はそれを見た時、少しだけ心が軽くなったような気持ちになった。だけど私が二人の背中を追って表に出ると途端に、寒々しいグレーの空模様へと変化してしまうのだった。
「食べないなら、その卵焼き貰うわね?」
「じゃあ私は、やたら甘いにんじんをあげましょー」
目が合わない、理由に触れない。
でも二人は、これまでと同じように、私を挟んで座ってくれている。
こうしてお弁当のおかずが減ったり増えたりするのも、いつもと全く一緒だった。
だけど、どことなくだけれど、以前よりも気を使われている感じがした。
ここずっと余所余所しかっただけに、とても不思議な感覚に思えた。
それに愛奈は、どうして綾瀬くんにさよならを言ってしまったのだろう……。
「わかったよ」
愛奈は息を吐くと、スカートに
「んまぁ、私も?」
お道化るようにそう言った優子も、食べる手を止めた。お箸を持ったままフタを閉めて、膝の上にお弁当箱を置く。
「ごめん」「めんご」
「う、ううんっ私が……! 謝らなきゃいけないのは、私の方だから……!」
慌てる私に、愛奈はわざとらしくため息を吐いて言った。
「全く本当そう。でもね妃色、私なんだか白けちゃったんだぁ」
愛奈は空を仰ぐと、いつもの調子で綾瀬くんの話をしてくれた。
でも今は、首を傾げながらつまらなそうに「大人っぽいって思ってたのにな」とか、「冷たい感じが好きだったのにな」とか、否定的に話をする。おまけに「綾瀬くんも結局そこら辺の男子と同じか」と付け加えた。
「さすがにプリンスレンジャーはきついなって思った」
どうやら愛奈は、授業中に零した「グリッタージャスティス」で、綾瀬くんへの熱が冷めたらしい。と言うよりかは、自分の想いに気付いたと話す。
「だはは! いいじゃん、可愛いってみんなも言ってたしぃ」
「嫌だよ。中身は戦隊モノが好きなスカした男なんか、ただの中学生じゃない」
「いやいや。中学生は戦隊モノ見ねぇから!」
二人の言葉が、私の胸を衝く。
ショックだった。ものすごく悔しさを感じた。だから私は言った。
「ま、待って愛奈。イメージ通りじゃないと嫌いになっちゃうの?」
すると二人は顔を見合わせて、不自然に口角を引き上げた。
怖い。不安が押し寄せてきて、顔が強張ってしまう。
またこうやって話が出来たのに。三人揃ってお昼が出来たのに。
でも私は伝えたい。教えたいと思った。
だって綾瀬くんはとても――
「何? プリンスレンジャーのこと怒ってるの?」
私は喉から出かけた言葉を呑み込んだ。顔を曇らせる愛奈の目尻に、涙が滲んでいくのを見たからだ。
「ちょっとやめてよ妃色。自分でもさ、私の好きな気持ちってこんなもんだったんだって思ったけど、でもっ、それでもやっぱり好きな気持ちもあったんだから……!」
愛奈は眼鏡を取ると、子供のように夢中で涙を拭った。
「そ、そうだよね。ごめん……」
全くその通りだと思った。
申し訳なくなって体を縮こまらせると、竦む肩に手が乗せられる。優子だ。
「あのさ、妃色?」
普段のトーン。でも顔を上げた先には、鋭い眼差しがあった。
かじかんでいるはずの手が汗を握り始める。だけど私は、気にしないふりをして平然を装った。
「イメージと違ってたら幻滅しちゃいけないわけ? 見た目が好き、雰囲気が好きじゃあだめなわけ?」
「そ、そんなこと」
「やだやだ、いい子ちゃんはー。つかさぁ、自分だってマスクが好きなくせに、何言ってんのっ?」
優子は愛奈を庇った。
ただそれだけ。優しい優子らしい言葉だった。
なのに私の中で、譲れない何かが芽生えて消えない。
「いいよ優子。もう綾瀬くんのことなんて好きじゃなくなったから、本当どうでも良くなった。それにね、妃色。私は早く妃色と仲直りがしたいの」
「……へ?」
「それは私も……そう……だけどさ」
「そのために妃色を呼んだんでしょ?」
愛奈、優子……。
込み上げる感情と一緒に、三人で作った大切な想い出が甦っていく。
「二人とも、ごめんなさいっ。本当にごめんなさいっ」
堪らず私は二人の前に立って、思いっきり頭を下げた。力いっぱい目を瞑りながら言った。
「ありがとう。嫌な想いをさせちゃったのに、そんな風にまた言ってくれて……」
とても嬉しかった。
今まで二人が向けてくれた笑顔の数々を瞼の裏に観ながら、私はさらに気持ちをぶつける。
「我が儘なのはわかってる。けれどまた前みたいに仲良くしたいっ。真ん中じゃなくてもいいから、また二人と――」
一緒にいたいっ……!
サーっと風が吹いた。
私たち以外、誰もいない屋上。とても静かで、キーンと張り詰める寒さが余計に私を臆病にさせた。
頭を上げたら、二人はどんな顔をしているのかな……。
長引く沈黙に不安を募らせていると、愛奈の笑い声がそれを打ち消した。
「やだ妃色、告白してるみたい」
続けて優子の声も聞こえてくる。
「しかも、何度もフラれてるパターン的な?」
明るい声だった。裏のない、ぽんと出た言葉だった。嬉しくて、嬉しくて、二人の表情を知りたいと思った。
私は気持ちに急かされて頭を上げると、そこには愛奈の優しい顔、優子の照れた顔があった。
「こら、泣くな」
「そう言うところがうざい」
そう言って二人はいつものように笑って、私に変わらない眼差しをくれた。
風に晒された頬に、涙が冷たい。でも胸は、この季節のお日様のようにじんわりと暖かくて、私は久しぶりに安心して笑うことが出来た。
「私は綾瀬くんより、妃色の方が好きだったみたい」
「とやかく言われたくはないけど」と付け加えながらも、穏やかな顔で愛奈は可愛く微笑む。だから私は綾瀬くんに悪いと思いながらも、嬉しくて笑ってしまった。
だらしない顔で、ふにゃふにゃと笑った。
そうして飽きもせず笑っていたら、突然優子が立ち上がって私の腕を掴んだ。
「妃色こっち!」
「へ? わっ!」
掴まれたと思ったら、視界が優子でいっぱいになる。地面に打ち付けた両膝が痛い。滲んだ目で、箸と三毛猫が乱雑に転がっていくのを見た。
「優子、お弁当が」
「そんなんいいから、早く涙拭いてっ」
優子は私を抱きながら、慌てた様子でそう耳に囁いた。
何が起きているのか意味が解らなさすぎて混乱をしたけれど、優子が近くにいる喜びが勝っていたから、私は大人しく涙を拭った。
するとそこに、ドアノブを回す音が響いた。
厚い扉が軽々と開くと、風に運ばれてきたのは、ライトブルーによく映えそうな爽やかな香り。
それから華やかな甘い香りが流れてくると、優子の目が泳いだ。
「来ないでって言っといたのに……ばか孝也」