「失礼しました」
「またね~」と先生に手をひらひらさせる
「いや~絞られちゃったね」
牡丹ちゃんは頭の後ろで両手を組み、ニッと歯を見せて笑う。ラベンダーピンクの髪の隙間から見える、丁寧に整えられた眉山と、目尻を飾るつけ睫毛がつり上がった。
「ごめんね、私のとばっちりだ」
「いや、成海さん。
「何言ってんのっ、綾ちゃんなんか寝てたくせに。しかもジャス……」
そう牡丹ちゃんは決めポーズ付きで唱えようとしたけど、綾瀬くんのキリリとした目元が口を封じさせた。後頭部に手をあてたまま片手を上げたので、牡丹ちゃんのそれは、どちらかと言うとセクシーポーズ。
「でも、ヒーローちゃんは悪くないよ?」
そう言って私をぎゅ~ってしてくれる。高めのヒールを履いているくらい身長差があるから、私は牡丹ちゃんにすっぽりと隠れた。腕がふわふわで暖かい。
「おいっ。何勝手に馴れ馴れしく」
「何、綾ちん? それって、これのこと?」
すると牡丹ちゃんは、私の頬に頭をそっとくっ付けてグリグリした。
「可哀想だろ。つか最早、呼び方が定まってねぇとか突っ込まんから、まじで離れてあげて」
「ちょおいっ! 今、汚ねぇって言ったっしょ?」
「っは? 声には出してねぇーよ!」
頭上を飛び交う二人の会話は、なんだか私の理解の先を行っていて。んー……。
「ねぇ、ヒーローちゃんはプリンスレンジャーの話をよくしているみたいだけど、やっぱ葵くんが好きなの?」
「へ? 葵くんって、カーター葵くん?」
牡丹ちゃんが瞬きと一緒に「うん」と頷いたので、私は首を横に振る。
「いや。ひぃ……成海さんは純粋にプリンスレンジャーが、正義の味方が好きなんだよ。ね?」
綾瀬くんは腰を曲げて私を覗き込む。上目遣いな感じと語尾が優しいなぁと思った。
「もちろんプリンスレンジャーは好きだけど、私が好きなのはマスクなんだ~!」
二人は間を置いてから「へ?」とタイミング良く声を揃える。
さっきから私は、二人の呼吸が合っているところに気が向いていた。頬がキャンディーを食べているみたいに、小さくぷくっと膨らんだ。
でもそんな時は、一生懸命なレイくんの姿を思い浮かべる。
そうすれば、すぐ。小さな膨らみはしぼんで、胸のモヤモヤだって、どきどきに変化する。
「あぁごめん。言い方が少し変だったかも。マスクがーじゃなくて、変身した姿が好きなの……」
私は両手で頬を包みながら言った。
「あ、ああ~! マスクって、そっちぃ。そっちねぇ~。ほら綾ぽん、気をしっかり。当たってたから。君の言う通り、純粋にレンジャーが好きだからヒーローちゃんは」
「いや、俺は気に、して、ない……」
「でもね、今は一筋なんだぁ」
「え。面、一筋?」
「麺? ううん。レイくん一筋」
「え、レイくんってあれでしょ? 葵くんの役名。なんだ~結局、葵くんが好きなんじゃ~ん」
「ううん違うの、違う。智芭遊園地でヒーローショーがあって、そこに出演してるレイくんが……好きなの……」
「え、まじ⁉ 綾リンやべぇじゃんっ。早く面をっ、今すぐ面を!」
「うるっせ。あ~馬鹿」
綾瀬くんは牡丹ちゃんに茶化されると、少し照れたように前髪をくしゃっと掴んで、私たちから目を逸らした。
それを見た牡丹ちゃんは、なんだかとても嬉しそうに笑う。
綾瀬くんを覗き込んでいる牡丹ちゃんの横顔が、日差しをたっぷり浴びたシーグラスみたいに輝いていて、私の心を冷やかした。
なんか本当に仲がいいなぁ。牡丹ちゃんって大人っぽいけど、にこにこすると可愛いんだもん。
「どしたの? ヒーローちゃん。頬っぺた膨らませちゃって」
「キャンディー食べてるだけ」
「え、いつの間に。私も食べたいな。ちょうだ……いって、飴ちゃん膨らみましたな」
「もういいから、お前離れろよっ」
「うぇ、悲しみ~」
「……おい、なんかお前さ、いつもと厚かましさが違う気がするんだけど」
む。むむむ。いつもと?
「いや、今も厚かましいんだけど、なんつーか」
「そりゃあ麻生くんがいないからね。ちなみに、一年の頃から麻生派なんだよ私。だからヒーローちゃん、安心してくりね……って、あらら。また飴ちゃん食べちゃってるよ、この子」
そう言って牡丹ちゃんは、ペールグレーのネイルを艶めかせ、私の頬をスッと撫でた。
「ヒーローちゃん、さっきから妬いてるよね? ほんと二人とも、わかりやすくてウケる~」
「へ?」
牡丹ちゃんはデコピンならぬ、頬ピンを軽くすると、くるりんとターン。スカートと一緒に手をひらりと揺らした。
「じゃあ私、
牡丹ちゃんはニッと笑うと、その場で呆然とする私たちを残して、後腐れもなく颯爽と階段を上って行ってしまった。
「あ、あのさ……」
綾瀬くんの声に、私は自分の使命を思い出した。
そうだ。あのお誘い、断らなきゃ。
今しかチャンスがない。
「あのね、綾瀬く――」
私は固い決意のもと、綾瀬くんに勢いよく顔を向けた。だけど言葉が詰まる。
口元を覆う大きな手。そこから覗く綾瀬くんの顔が、真っ赤に染まっているから……。