「いけね」
耳に付けようとしていたイヤフォンが、カツカツと音を立ててバウンドしながらベッドの下へと転がっていった。
心がすげぇ軽くて、いつもなら億劫に感じるベッドの下を覗く動作も、今の俺には余裕だった。
「あ」
母さんが掃除してくれているのか、埃ひとつ落ちていないベッド下。その奥に、懐かしい物が挟まっていた。
サッカーボールだ。使い古している上、年月が経っている所為で少し傷んでいる。
「あの日以来か」
そのサッカーボールが、何か言いたげにこちらを見ていた……ような気がしただけ。俺はイヤホンだけを取って、もう一度ベッドに腰掛けた。
「妃色さんの弟、勇介くんって名前だったな。レギュラー落ちしたって言ってたけど」
妃色さんを想うと、胸の辺りが落ち着かなくなったりする。でも今は、なんか痛い。
俺はベッドに仰向けになって考えた。
「余計なお世話だったみたいって、そんなことねぇよ。妃色さん、自分だって辛いのに……」
「大雅~」
「俺に何か出来ないかな……」
「大雅~」
「ヒーローみたい、か……」
「大雅~!」
俺は起き上がって、電車内での出来事を再現するように壁に両手をつく。
「き、キス出来そうだったな」
「大雅‼」
呼び声と同時にドアをぶち破る音。
いや、ドアをぶち破る勢いで母さんが入ってきた。心臓をぶち破られる俺。
「ののの、ノックぐらいしろよっ」
「したわよー。って何、顔赤くして壁と喋ってんのよ、気持ち悪いわねぇ。変態じゃあるまいし。まさか大雅、あんた電車で変なことしてきてないわよねぇ?」
「し、してねぇーってば!」
「ならいいけど。もうご飯出来たから、早く食べなさい。今日、父さん早かったんだから大雅だけよ、食べてないの。片付かないから早くしてちょうだい」
「冷めちゃうから早くしなさいよー」と言い残し、母さんは鼻唄を歌いながら一階へと下りていった。妃色さんのことに集中していたいから、無駄な面倒事は遠慮したい。母さんの機嫌を損ねないように、俺は早めに「へーい」と返事をしておく。
「腹減ってたの忘れてたわ」
胸がいっぱいで。そんな柄にもないことを思いつつ、一階のリビングのドアが閉まる音を聞き届けた俺は、スマホと一緒にイヤフォンをデスクに置いて、それから夕飯を食べに自室を出た。