「ぐっ」
「だ、大丈夫?」
俺は体をフルに使って、ドアの前に立つ成海さんを全力で守る。もう廃語に近いかもしれないが、わかりやすく説明するなら壁ドン状態だ。
「いいよ全然、私潰しても」
「だめ。それは絶対しない」
腕が震える。だが、成海さんに触れるわけにもいかない。
「綾瀬くん……」
心配げに俺を見つめる目元。
俺だけが映った瞳。
必死でそれどころではなかったが、結構幸せなシチュエーションなんじゃないか?
自覚をすると支える腕に一層力が入る。
俺は腕立てをするようにドアを押し、迫り来る肉塊勢を跳ね返した。すると成海さんは両手をムギュっと握り、ファイティングポーズをとる。
「大丈夫だよ? 私こう見えてもお姉ちゃんやってますからっ」
この一言で、肉塊勢の士気も完全に回復しただろう。当たりがきつくなったように思える。
だが俺の方もまずい。力が抜けてしまいそうになる。俺の両腕の間で、可愛さを炸裂しないでくれと、心の中で成海さんに懇願した。
「ご、ごめん。今、笑うとやばいからまじ許して……。ね?」
優しく語り掛けるように言うと、成海さんは頭上に疑問符を乗せた。なんのことだかわからずといった様子で小首を傾げて、キョトンとした顔で俺を見る。
その素直な反応が可愛いんだって!
今すぐにでも突っ張らせている腕を解いて、抱きしめたくなった。
だけど俺のこと、レイより信用してもらわないといけないだろ。負けんなっ。欲だけで成海さんのこと抱きしめられねぇだろうが。
そう自分に言い聞かせた。
「無理しないで綾瀬くん。私なら準備出来てるよ……」
がぁぁぁー!
「な、成海さん、大丈夫だから……もう、あんまり可愛くしないでね。うぐっ」
「へ?」と顔を赤くする成海さん。かと思えば、血の気が引いたように顔色を青ざめさせた。
俺なんか変なこと言ったか?
「……い」
「ん? どうしたの成海さん?」
成海さんは小さく何かを呟いて眉を下げる。まるで泣いているかのように瞳を潤ませた。
まさか傷付けてしまったのではと焦ったが、一つの考えに思い当たる。俺は疑いの眼を周囲へ投げた。
チラチラと、こちらを気にしている男たちの中で一人、薄ら笑いを浮かべて成海さんを見ているやつがいる。そいつがいるのは、すぐ隣。俺と成海さんの真横だった。
「わっ、綾瀬くん?」
俺はそいつから妃色さんを隔離するため、伸ばしていた左腕を曲げて壁を作った。
「成海さん大丈夫⁉」
「ううう、うん?」
羞恥心からか、妃色さんはさらに顔を赤く染める。瞳は潤んだまま。
くそ、嘘だろ。
俺がいながら、妃色さんにこんな屈辱を。辛いめに遭わせるなんて!
「ごめんっ。まじごめん……」
「ど、どうして綾瀬くんが謝るの?」
「だってそれは……! あっ……」
顔を上げると、妃色さんの顔がすっごく近かった。
妃色さんの甘い息が、俺の唇を湿らせる。
キス……出来そうだ……。
「だ、だめ」
そう言って妃色さんは、きゅっと目を瞑り、顔を小さく横に振った。
こんな事態だというのに、妃色さんから香る風呂上がりのような匂いに、頭がくらりとしてしまいそうになる。
「ああごめんっ!」
「な、どうしてさっきから綾瀬くんが謝るの? 悪いのは私なのに……」
何も悪くない。男が馬鹿なだけなんだ。
でも妃色さんの表情は、自責の念にかられているのか曇ったまま。胸が痛む。だがその痛みが俺の背中を押した。
「妃……成海さんは悪くないっ。それにそもそも悪いのはこいつだ!」
つい声が大きくなった。
気持ちをぶつけるように振り向き様に睨むと、変態男のそいつは「うひっ」と声を漏らし、顔を歪ませて怯え始めた。
明らかに挙動不審だ。
「へ? このヒト、綾瀬くんの知り合いなの?」
なぜそうなるんだ妃色さん。俺の肘がガクッとなる。
「ぼ、ボクは何もしてないお~。イケメンくん、目が怖いお~」
何をブヒブヒ言ってる、白々しいっ! お前は宇宙一罪な変態だぞ!
「お前、今こっち見て気持ち悪い顔してただろっ」
「そ、そうなの?」と、ぶるりと身震いを起こす妃色さん。
そうか、妃色さんは誰から触……くそっ。頭の中だとしても言葉にするのは憚れるわっ!
でも守りきれなくて、まじでごめん……。それは俺が悪い、まじごめん……。
「ちょっ、ちょっと二人とも酷いお~。ボクはただその子の髪型が、プリンスレンジャーのララちゃんにそっくりで可愛いなぁと思って見てたんだお~」
「煩いっ、何をブヒブヒ言ってる! って……は?」
プリンスレンジャーだと?
こいつは俺を騙そうとしているのか?
そう眉根を寄せて混乱していると、妃色さんの声。
「は、初めて気付かれましたぁ……」
妃色さんはそう言って、顔を隠すように前髪に指を通す。
目線を下げながらブヒ男に照れた様子を見せた。
「やっぱりだお~」
は?
「へへ。ありがとうございます」
え?
俺を置いて、急速に打ち解け出す二人。
「じゃあ成海さん、どこも触られ……ああいや、何か嫌なことなかったの?」
「嫌なこと? ううん、ないよ?」
ならどうして。
「だって成海さんの顔、赤くなったり、青ざめたりしてた。……今は赤いけど」
「あかあか、赤くないもんっ。暖房が効いてるだけだもんっ。愛奈に悪いなぁとか考えてないもんっ」
「え。なんで真辺さん?」
「うわわわわ、なんでもないっ」
慌てふためく感じが半端ない妃色さん。それはもう、空に飛んで行きそうな勢いで。
けど、何もなかったんだ。良かった。本当に、良かった……。
「ふっ……やば。力抜ける」
安心して、俺は笑ってしまう。
「ええっ? な、なんで笑うの?」
隣でブヒ男と仲間たちが、何かブヒブヒ言っているけど、俺は妃色さんで忙しい。妃色さんも俺でいっぱいになってくれていると嬉しいんだが、そんなわけ――
「綾瀬くんって、笑うと少し幼くなるね……?」
「え? うおっ」
うっかり力を抜いてしまった俺は、背後にいる乗客に身体を押し込まれる。だがすぐに理性を保ち、なんとか押し戻すことに成功した。
「綾瀬くん……」
「大丈夫大丈夫」
そう言って俺が笑うと、妃色さんはきっとまた申し訳なさそうに目を泳がすかと思った。
だけど妃色さんは俺を見つめた。トロンとした目元になって、まるでレイを見ているかのような眼差しを俺にくれる。
「綾瀬くんって……ヒーローみたい……」