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第15話 吹っ飛びそうな理性<

「ぐっ」

「だ、大丈夫?」


 俺は体をフルに使って、ドアの前に立つ成海さんを全力で守る。もう廃語に近いかもしれないが、わかりやすく説明するなら壁ドン状態だ。


「いいよ全然、私潰しても」

「だめ。それは絶対しない」


 腕が震える。だが、成海さんに触れるわけにもいかない。


「綾瀬くん……」


 心配げに俺を見つめる目元。

 俺だけが映った瞳。

 必死でそれどころではなかったが、結構幸せなシチュエーションなんじゃないか?


 自覚をすると支える腕に一層力が入る。

 俺は腕立てをするようにドアを押し、迫り来る肉塊勢を跳ね返した。すると成海さんは両手をムギュっと握り、ファイティングポーズをとる。


「大丈夫だよ? 私こう見えてもお姉ちゃんやってますからっ」


 この一言で、肉塊勢の士気も完全に回復しただろう。当たりがきつくなったように思える。

 だが俺の方もまずい。力が抜けてしまいそうになる。俺の両腕の間で、可愛さを炸裂しないでくれと、心の中で成海さんに懇願した。


「ご、ごめん。今、笑うとやばいからまじ許して……。ね?」


 優しく語り掛けるように言うと、成海さんは頭上に疑問符を乗せた。なんのことだかわからずといった様子で小首を傾げて、キョトンとした顔で俺を見る。


 その素直な反応が可愛いんだって!


 今すぐにでも突っ張らせている腕を解いて、抱きしめたくなった。


 だけど俺のこと、レイより信用してもらわないといけないだろ。負けんなっ。欲だけで成海さんのこと抱きしめられねぇだろうが。


 そう自分に言い聞かせた。


「無理しないで綾瀬くん。私なら準備出来てるよ……」


 がぁぁぁー!


「な、成海さん、大丈夫だから……もう、あんまり可愛くしないでね。うぐっ」


「へ?」と顔を赤くする成海さん。かと思えば、血の気が引いたように顔色を青ざめさせた。


 俺なんか変なこと言ったか?


「……い」

「ん? どうしたの成海さん?」


 成海さんは小さく何かを呟いて眉を下げる。まるで泣いているかのように瞳を潤ませた。

 まさか傷付けてしまったのではと焦ったが、一つの考えに思い当たる。俺は疑いの眼を周囲へ投げた。

 チラチラと、こちらを気にしている男たちの中で一人、薄ら笑いを浮かべて成海さんを見ているやつがいる。そいつがいるのは、すぐ隣。俺と成海さんの真横だった。


「わっ、綾瀬くん?」


 俺はそいつから妃色さんを隔離するため、伸ばしていた左腕を曲げて壁を作った。


「成海さん大丈夫⁉」

「ううう、うん?」


 羞恥心からか、妃色さんはさらに顔を赤く染める。瞳は潤んだまま。


 くそ、嘘だろ。

 俺がいながら、妃色さんにこんな屈辱を。辛いめに遭わせるなんて!


「ごめんっ。まじごめん……」

「ど、どうして綾瀬くんが謝るの?」

「だってそれは……! あっ……」


 顔を上げると、妃色さんの顔がすっごく近かった。

 妃色さんの甘い息が、俺の唇を湿らせる。


 キス……出来そうだ……。 


「だ、だめ」


 そう言って妃色さんは、きゅっと目を瞑り、顔を小さく横に振った。

 こんな事態だというのに、妃色さんから香る風呂上がりのような匂いに、頭がくらりとしてしまいそうになる。


「ああごめんっ!」

「な、どうしてさっきから綾瀬くんが謝るの? 悪いのは私なのに……」


 何も悪くない。男が馬鹿なだけなんだ。

 でも妃色さんの表情は、自責の念にかられているのか曇ったまま。胸が痛む。だがその痛みが俺の背中を押した。


「妃……成海さんは悪くないっ。それにそもそも悪いのはこいつだ!」


 つい声が大きくなった。

 気持ちをぶつけるように振り向き様に睨むと、変態男のそいつは「うひっ」と声を漏らし、顔を歪ませて怯え始めた。

 明らかに挙動不審だ。


「へ? このヒト、綾瀬くんの知り合いなの?」


 なぜそうなるんだ妃色さん。俺の肘がガクッとなる。


「ぼ、ボクは何もしてないお~。イケメンくん、目が怖いお~」


 何をブヒブヒ言ってる、白々しいっ! お前は宇宙一罪な変態だぞ!


「お前、今こっち見て気持ち悪い顔してただろっ」


「そ、そうなの?」と、ぶるりと身震いを起こす妃色さん。


 そうか、妃色さんは誰から触……くそっ。頭の中だとしても言葉にするのは憚れるわっ!

 でも守りきれなくて、まじでごめん……。それは俺が悪い、まじごめん……。


「ちょっ、ちょっと二人とも酷いお~。ボクはただその子の髪型が、プリンスレンジャーのララちゃんにそっくりで可愛いなぁと思って見てたんだお~」

「煩いっ、何をブヒブヒ言ってる! って……は?」


 プリンスレンジャーだと?

 こいつは俺を騙そうとしているのか?


 そう眉根を寄せて混乱していると、妃色さんの声。


「は、初めて気付かれましたぁ……」


 妃色さんはそう言って、顔を隠すように前髪に指を通す。

 目線を下げながらブヒ男に照れた様子を見せた。


「やっぱりだお~」


 は?


「へへ。ありがとうございます」


 え?


 俺を置いて、急速に打ち解け出す二人。


「じゃあ成海さん、どこも触られ……ああいや、何か嫌なことなかったの?」

「嫌なこと? ううん、ないよ?」


 ならどうして。


「だって成海さんの顔、赤くなったり、青ざめたりしてた。……今は赤いけど」

「あかあか、赤くないもんっ。暖房が効いてるだけだもんっ。愛奈に悪いなぁとか考えてないもんっ」

「え。なんで真辺さん?」

「うわわわわ、なんでもないっ」


 慌てふためく感じが半端ない妃色さん。それはもう、空に飛んで行きそうな勢いで。

 けど、何もなかったんだ。良かった。本当に、良かった……。


「ふっ……やば。力抜ける」


 安心して、俺は笑ってしまう。


「ええっ? な、なんで笑うの?」


 隣でブヒ男と仲間たちが、何かブヒブヒ言っているけど、俺は妃色さんで忙しい。妃色さんも俺でいっぱいになってくれていると嬉しいんだが、そんなわけ――


「綾瀬くんって、笑うと少し幼くなるね……?」

「え? うおっ」


 うっかり力を抜いてしまった俺は、背後にいる乗客に身体を押し込まれる。だがすぐに理性を保ち、なんとか押し戻すことに成功した。


「綾瀬くん……」

「大丈夫大丈夫」


 そう言って俺が笑うと、妃色さんはきっとまた申し訳なさそうに目を泳がすかと思った。

 だけど妃色さんは俺を見つめた。トロンとした目元になって、まるでレイを見ているかのような眼差しを俺にくれる。


「綾瀬くんって……ヒーローみたい……」

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