「今のでため息、何回目だと思う?」
俺は痺れを切らして麻生に訊ねた。
「はぁ……え?」
自分がため息を吐いていたことに気付いていなかったらしく、麻生は信じられない様子で俺を見た。
それから思考が巡ってなさそうな顔で「三回?」と答えた。俺は「五回だよ」と教えてやる。本当は一三回だけど、麻生は十分驚いていたからサバ読んで正解。びびらせるなんてのは違うからな。
やっぱ昨日、野島となんかあったんだ。
俺は罪悪感に苛まれる。昨日電話した時には、ただ煩かっただけだと言っていたけど、麻生は優しいから心配だ。
「待っ、えっ。 大雅、もしかしてずっと俺のこと見てたのか⁉」
悪夢から目を覚ました昨日の俺のように、麻生はガバッと勢いよく立ち上がる。
すると尻を向けて立ってた前の女子が、満面の笑みで振り返ってきた。おまけに、机の上を椅子と勘違いして座っている女子も身を乗り出してくる。二人組は同じような顔で俺らを見るなり「きゃぁぁ~」と奇声を上げた。
つーか、また顔面武装のお前らか。流石に顔、覚えたわ。
「やっぱ二人、付き合ってんでしょ?」
「やば~」
ただでさえ煩わしい女子二人組は、俺と成海さんを全身で隔てやがった。
本当だったら、あと一分も成海さんを眺めていられたんだぞっ。だが麻生のため息を止めてくれたのには、感謝をしとくか……。
「あ? 付き合ってねーよ」
「なら私と付き合ってよ、綾瀬くんっ」
「じゃあ私は、麻生くん貰った」
「なんでだよ。俺にも選ぶ権利あるだろ? うわっ、あぶね! やめろよ、化粧付くだろっ」
抱き付こうとした女子を麻生が見事にかわすと、大きな背中にぶつかった窓ガラスが虚しくボロい音を響かせる。
おい。麻生は今、翡翠のチェストプレートを装備してない状態だぞ? フル装備で体当たりすんのは卑怯だからやめろ。
俺がそうやって頭の中で反撃をしていると、麻生が口を開く。
「な、な~大雅? なんか最近、教室の雰囲気おかしくね?」
今度は麻生がそう俺に問う。どうやら今回もフル無視することにしたらしい。
麻生はブレザーを手で
なんか気持ち解る。確かに、何かが飛沫してきてる気がするもんな。俺も叩こう……って、ぅおい!
麻生は俺の左隣に立ち、いつものように脚を広げてしゃがむ。しゃがんだところは、どストレートに成海さんを眺められる場所だった。
そこは俺にとっての聖域である。
麻生、解ってんのか? その区域に俺はまだ立ち入ったことがないんだぞぉっ。そんな簡単に――あ。
「あ~、お前の左隣とかまじ落ち着かんわ~」
俺はそう言いながら麻生の前を横切る。
良かったっ。俺、スカしてて良かった!
心の中で打ち上げ花火を上げつつ、俺は麻生の右隣へ。
教室の後ろのドア前。ストーブから距離があるわ、ドアが全開だわで、くそ寒いし寄り掛かれないわけなのだが、そんなこと今の俺にしてみれば大した問題ではない。
「……素直じゃないな」
は?
「痛っ」
「はい、席に着け~」
担任にファイルで頭を叩かれると、そこまで痛さを感じたわけではないものの反射的に声が出た。ゲーム中につい出てしまうアレと一緒だろう。
麻生は気怠そうに立ち上がり、担任の背を凌駕する。
「先生ぇ。なんか最近、みんな変じゃね?」
ため息ばかり吐いて、一度もゲーム記録を話してこない麻生の方がおかしいだろ。と思ったのだが、俺は焦点を成海さんから広げる。
「それはそうだろ。浮き足立ってんだろうが、どうせ。なんたってお前らには、冬休みやらクリスマスがあるんだからよ~。先生には無縁だがな」
煙草くさい担任は、疲れた顔を俺たちに見せびらかしてから廊下に出ていく。そして前のドアから教室に入った。
なんで前から入るのに俺を叩いたんだよっ。成海さんに見られもしたら、くっそ恥ずかしいだろ!
「クリスマスか……」
そう言い残すと、麻生は首の後ろを掻きながら席へと戻っていく。俺も続いた。成海さんの姿が麻生の背中に変わってしまい、今度は俺がため息を吐く番になった。
「……」
今日の成海さんは元気がない。
そこがどうしても引っ掛かり、俺は煩悩を掻き分けて思考を巡らしてみた。すると登校中の風景が甦ってくる。
朝、俺と会った時はそんな感じに見えなかったのに。どうしてだ?
可愛い手のひら。そこに乗った俺の化身であるキーホルダー。「ここの部分が」と、切れたところを指す白く細い指。
もしかして、キーホルダー壊れちゃったのが嫌だったとか? そんないや……。
頭の中で想起しながら自問自答していると、野島と真辺を追い掛ける成海さんの後ろ姿が、不意に思い出される。
あ……。
ついさっきも変だった。真辺の立つ位置が違う。いつもなら成海さんの席の横だったのに、野島の席の前になっていた。それに、野島たちを見る成海さんの眼差しが……。
麻生が席へ着き、大きな背中は成海さんに変わる。
顔が強張っていた。
――まさかハブられてる⁉