麻生のやつ変だったよな……。ったく、一体何をやったんだよ野島は。
俺は玄関で靴を履きながら、ボーっとした調子で電話に出た、昨晩の麻生のことを心配に思った。
ゲームもしていなかったみたいだし、明らかに普段とは様子が違っていた。何より、昨日のことを切り出しただけで、声が裏返っていたくらいだ。よっぽど辛かったのだろう。
「行ってきます」
バイトのイメトレにもなるし、登校がてら気分転換にあの挿入歌でも聴こうと、母さんの声を背に玄関を出た後、俺はズボンのポケットからスマホとイヤフォンを取り出した。
だが目の前の光景に驚いて、イヤフォンを落としてしまう。
「綾瀬くん、おはよ」
「うわっ。ま、真辺さん⁉ なんでここにいんの⁉」
ストレートすぎたのかもしれない。心の底から出た声に真辺の顔が曇った。
「いやだって、俺ん
「昨日悔しかったから、リベンジしようと思って」
リベンジって……。恐ろしいことを言うやつだな。ちょ、おい。トラウマになるから、眼鏡をいちいち光らせんなよって。
「だって綾瀬くん、電車の中で全然喋ってくれなかったでしょ?」
何を言う。返事はしたぞ。「あー」とか「へー」とかだけど。
「でも泣いちゃったのは、ごめんね?」
――ああそうっ、
思わず、電車での出来事が回想シーンのように甦りそうになる。が、意地でくそつまんねぇ現実に引き戻した。
俺は真辺と距離をとりたくて、イヤフォンを急いで拾うと早歩きを開始する。
本屋が見える場所までには、真辺を振り払わないといけない。
「あー。別に気にしてないから」
「あ~! また、
必死に怒りを沈めて返事をしたというのに、真辺は不満そう。でも心なしか声が弾んでいたから、俺はまたイラっとした。
よし。歩くスピードを上げよう。
「待ってよ、綾瀬くん」
苛立ちが治まらない。
昨日電車の中で真辺は、俺の右手を、成海さんと繋いだこの手を繋いできやがったんだ。
しかもポケットに手を突っ込んでまで。
正気の沙汰じゃない。俺はそれを拒否しただけだし、間違っていないはずだ。
だってそうだろ?
俺にとって、マスク着けて握手すんのとは全然違う。
価値が、すっげぇ違うんだよ……。
「でも私。そういう冷たい感じ嫌いじゃないよ? って……タイミング最悪……」
成海さんだ。
本屋の前。麻生と向かい合って喋っている。
何か焦った様子の成海さんに、麻生はすっげぇキラキラした笑顔で応えていた。
「妃色ー?」
なんで。なんで俺は、真辺といるんだ?
なんで麻生は……。
「あっ。愛奈ぁ!」
俺たちに気付いた成海さんが振り向く。
瞬間、スローモーションになる。成海さんの可憐さに、花を見た俺。こうして見惚れていると、余計な感情が消えていくような、そんな気だけは確かにした。
「えっ、大雅。なんで真辺さんと?」
「おはよ愛奈。おはよ綾瀬くん」
「……おはよ、妃色」
「う。じゃ、邪魔しちゃったね。ごめんね?」
「おはよう成海さん麻生! 真辺さんは家を出たらいただけだから全然邪魔じゃないよ! と、ところでなんだけど……二人は、ん? 待ち合わせでもしたとか?」
俺は柄にもなく作り笑いをしていた。
「は、はぁ~? ちげぇって」
「ううん。麻生くんにこれ、拾ってもらっただけだよ? 今お礼を言ってたところなんだ」
小さな可愛い手のひらに乗るのは、レイの二頭身マスコットキーホルダー。智芭遊園地が出したバッタもんなのに、大切そうに両手を添えている。
俺と繋いだ左手と、麻生と繋いだ右手……。
っな、俺は何を考えているんだよ! 麻生は巻き込まれただけだろっ?
完全に意識しすぎだった。好きが高じたとしても妬く矛先を間違えたら駄目だと、俺は頭を振ってもやもやを振り払う。
そんな俺に成海さんは小首を傾げたが、キーホルダーの鎖みたいなところを指差して「チャームのこの部分が切れちゃったみたいで」と、眉をハの字に経緯を話してくれた。残念そうに笑っている。
「綾瀬くん? あ。引いちゃった?」
今、俺。キーホルダーなんかに妬いてた。
「いや、全然。そっか。大切にしてくれてて嬉しいよ」
「へ?」
「へって、え?」
視界の端にいた麻生の慌てっぷりに気付き、俺はハッとした。しかも真辺が野暮ったいスカートをたなびかせて近付いて来る。嫌な予感がした。
「もしかして、綾瀬くんのバイト先って……」
嘘だろっ。こんなバレ方あるか⁉
待てって。バレるわけにはいかないんだ。こんな成り行きだけで演じているような、スカしたがりの俺がレイだって知ったら、きっとガッカリする。
だって、成海さんは本気でプリンスレンジャーを……。
俺の顔が赤いのか青いのか見当も付かないが、ピンチなことだけは確定だった。俺の願いをよそに、真辺が野暮ったい眼鏡を光らせて口を開く。
「智芭遊園地の売店?」
真辺、こいつまじで……! ――って、へ?
「ああああぁ。そ、そう! あ~でも、裏方が多いかな~?」
「そっかぁ。だから会ったことがないんだね」
成海さんがふわっと笑うと、今度は白い息が花開く。
「えー! 綾瀬くんが遊園地? いっがーいっ」
「「うわっ野島!」」
朝からフルフェイス武装の野島が登場。いや、フルスタイルの間違えだった。香水がプンプンだ。口に入ると辛い味がする。
こんなもの食したくない俺は、慌てて成海さんの白い息を探したが、もう空気と同化してしまったらしい。漂う強烈なにおいに、清潔な成海さんの香りが勝てるはずがなく、俺と麻生は毒異常にされた。
うぇ。俺の顔色は紫だな……。
「何~? いちいち同じ反応するとか、まじ仲良すぎでしょ~?」
野島と真辺は肩を寄せ合い、ビーエルがどうとか、綾瀬攻めだの麻生受けだの、ずいぶん結束硬く楽しそうに喋り始め、俺らを置いてスタスタ行く。スタスタ行くから、成海さんはその後を追うように早足気味で歩いていた。
あれ? こんな感じだったかと、俺が三人に不自然さを見ていると、麻生はため息混じりに呟いた。
「まじかよ……」
俺はこの時、その言葉の意味も表情も、全く理解出来ていなかったんだ。