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第10話 何考えてんだよ

 麻生のやつ変だったよな……。ったく、一体何をやったんだよ野島は。


 俺は玄関で靴を履きながら、ボーっとした調子で電話に出た、昨晩の麻生のことを心配に思った。


 ゲームもしていなかったみたいだし、明らかに普段とは様子が違っていた。何より、昨日のことを切り出しただけで、声が裏返っていたくらいだ。よっぽど辛かったのだろう。


「行ってきます」


 バイトのイメトレにもなるし、登校がてら気分転換にあの挿入歌でも聴こうと、母さんの声を背に玄関を出た後、俺はズボンのポケットからスマホとイヤフォンを取り出した。

 だが目の前の光景に驚いて、イヤフォンを落としてしまう。


「綾瀬くん、おはよ」

「うわっ。ま、真辺さん⁉ なんでここにいんの⁉」


 ストレートすぎたのかもしれない。心の底から出た声に真辺の顔が曇った。


「いやだって、俺んの前なんだけど」

「昨日悔しかったから、リベンジしようと思って」


 リベンジって……。恐ろしいことを言うやつだな。ちょ、おい。トラウマになるから、眼鏡をいちいち光らせんなよって。


「だって綾瀬くん、電車の中で全然喋ってくれなかったでしょ?」


 何を言う。返事はしたぞ。「あー」とか「へー」とかだけど。


「でも泣いちゃったのは、ごめんね?」


 ――ああそうっ、真辺こいつは……!


 思わず、電車での出来事が回想シーンのように甦りそうになる。が、意地でくそつまんねぇ現実に引き戻した。

 俺は真辺と距離をとりたくて、イヤフォンを急いで拾うと早歩きを開始する。

 本屋が見える場所までには、真辺を振り払わないといけない。


「あー。別に気にしてないから」

「あ~! また、


 必死に怒りを沈めて返事をしたというのに、真辺は不満そう。でも心なしか声が弾んでいたから、俺はまたイラっとした。

 よし。歩くスピードを上げよう。


「待ってよ、綾瀬くん」


 苛立ちが治まらない。

 昨日電車の中で真辺は、俺の右手を、成海さんと繋いだこの手を繋いできやがったんだ。

 しかもポケットに手を突っ込んでまで。

 正気の沙汰じゃない。俺はそれを拒否しただけだし、間違っていないはずだ。


 だってそうだろ?

 俺にとって、マスク着けて握手すんのとは全然違う。

 価値が、すっげぇ違うんだよ……。


「でも私。そういう冷たい感じ嫌いじゃないよ? って……タイミング最悪……」


 成海さんだ。

 本屋の前。麻生と向かい合って喋っている。

 何か焦った様子の成海さんに、麻生はすっげぇキラキラした笑顔で応えていた。


「妃色ー?」


 なんで。なんで俺は、真辺といるんだ?

 なんで麻生は……。


「あっ。愛奈ぁ!」


 俺たちに気付いた成海さんが振り向く。

 瞬間、スローモーションになる。成海さんの可憐さに、花を見た俺。こうして見惚れていると、余計な感情が消えていくような、そんな気だけは確かにした。


「えっ、大雅。なんで真辺さんと?」

「おはよ愛奈。おはよ綾瀬くん」

「……おはよ、妃色」

「う。じゃ、邪魔しちゃったね。ごめんね?」

「おはよう成海さん麻生! 真辺さんは家を出たらいただけだから全然邪魔じゃないよ! と、ところでなんだけど……二人は、ん? 待ち合わせでもしたとか?」


 俺は柄にもなく作り笑いをしていた。


「は、はぁ~? ちげぇって」

「ううん。麻生くんにこれ、拾ってもらっただけだよ? 今お礼を言ってたところなんだ」


 小さな可愛い手のひらに乗るのは、レイの二頭身マスコットキーホルダー。智芭遊園地が出したバッタもんなのに、大切そうに両手を添えている。


 俺と繋いだ左手と、麻生と繋いだ右手……。

 っな、俺は何を考えているんだよ! 麻生は巻き込まれただけだろっ?


 完全に意識しすぎだった。好きが高じたとしても妬く矛先を間違えたら駄目だと、俺は頭を振ってもやもやを振り払う。

 そんな俺に成海さんは小首を傾げたが、キーホルダーの鎖みたいなところを指差して「チャームのこの部分が切れちゃったみたいで」と、眉をハの字に経緯を話してくれた。残念そうに笑っている。


「綾瀬くん? あ。引いちゃった?」


 今、俺。キーホルダーなんかに妬いてた。


「いや、全然。そっか。大切にしてくれてて嬉しいよ」

「へ?」

「へって、え?」


 視界の端にいた麻生の慌てっぷりに気付き、俺はハッとした。しかも真辺が野暮ったいスカートをたなびかせて近付いて来る。嫌な予感がした。


「もしかして、綾瀬くんのバイト先って……」


 嘘だろっ。こんなバレ方あるか⁉

 待てって。バレるわけにはいかないんだ。こんな成り行きだけで演じているような、スカしたがりの俺がレイだって知ったら、きっとガッカリする。

 だって、成海さんは本気でプリンスレンジャーを……。


 俺の顔が赤いのか青いのか見当も付かないが、ピンチなことだけは確定だった。俺の願いをよそに、真辺が野暮ったい眼鏡を光らせて口を開く。


「智芭遊園地の売店?」


 真辺、こいつまじで……! ――って、へ?


「ああああぁ。そ、そう! あ~でも、裏方が多いかな~?」

「そっかぁ。だから会ったことがないんだね」


 成海さんがふわっと笑うと、今度は白い息が花開く。


「えー! 綾瀬くんが遊園地? いっがーいっ」

「「うわっ野島!」」


 朝からフルフェイス武装の野島が登場。いや、フルスタイルの間違えだった。香水がプンプンだ。口に入ると辛い味がする。

 こんなもの食したくない俺は、慌てて成海さんの白い息を探したが、もう空気と同化してしまったらしい。漂う強烈なにおいに、清潔な成海さんの香りが勝てるはずがなく、俺と麻生は毒異常にされた。


 うぇ。俺の顔色は紫だな……。


「何~? いちいち同じ反応するとか、まじ仲良すぎでしょ~?」


 野島と真辺は肩を寄せ合い、ビーエルがどうとか、綾瀬攻めだの麻生受けだの、ずいぶん結束硬く楽しそうに喋り始め、俺らを置いてスタスタ行く。スタスタ行くから、成海さんはその後を追うように早足気味で歩いていた。


 あれ? こんな感じだったかと、俺が三人に不自然さを見ていると、麻生はため息混じりに呟いた。


「まじかよ……」


 俺はこの時、その言葉の意味も表情も、全く理解出来ていなかったんだ。

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