「悲惨なんだが」
「悪い」
成海さんと女子二人に囲まれて嘆く麻生に、そう謝って別れる。バイト先へ向かうため、俺は後ろ髪を引かれる思いで駅へと進んだ。
「待って綾瀬くんっ。愛奈もそっちだから、一緒に帰ってあげて?」
は? 何言ってんだ、野島は。
引き止められた俺だけでなく、麻生も真辺も目を丸くした。
それはそうだろう。真辺は電車になんか乗らないはずだ。
三人とは、この先にある角。そこの本屋までは、帰り道が一緒になることを、俺は密かに知っている。昨日だって俺は、いつものように成海さんたちの後ろを、他の生徒たちに紛れながら帰っているし、間違うはずがない。
でも麻生も驚いたってことは、成海さんと帰り道が同じことに気付いていたんだな。
まぁ、毎日のことだし当然か。俺だけが知っていたいなんて無理がある。
「ちょっと優子……」
真辺はそう言って俺をチラ見した。
だが見たところで、一緒に帰ろうぜとはならない。面倒なことになりそうだと思っていたら、野島がまた口を開く。
「ねぇ妃色ぉ。今日、急ぐんでしょー? 先帰ってていいよん」
何言ってんだよ、こいつ。突拍子もないだけでなく、成海さんにまで飛び火させるなんて。
そう思って、俺は思わず絶句した。
だけど成海さんは、何かを悟ったように「あ、ああ~そうだね」と言って微笑むと、ファイティングポーズを作って気合を入れる。
「よし! 本当にちょっと急ぎたいから、みんなまた明日ねっ」
「成海さん⁉」
成海さんは握った小さな手を広げて走り出した。
気を使って無理に、いや。優しさを以て消え去ろうとしているんだと感じた。
俺は急いで駆け、温もりが残る手をポケットから引き抜く。だが、二歩三歩遅かった。
「ちょっと待った」
先に掴まえたのは麻生の手。
麻生の手のひらが成海さんの手に重なり、俺の右手は自分一人のものになる。おまけにポケットから出したせいで、寒さに温もりを吹き飛ばされてしまった。
「わかった、わかったから。俺、野島と帰るから。というわけで、成海さんは走らなくていいよ。でも今日だけだからね? 帰るの……」
「え~、明日も帰ろ~よ~」
「無理。お前といたくない。無神経だし」
「どっちがよ……きゃっ!」
麻生はもう一度、野島の腕を掴んで走り出す。
ただその手は成海さんを引き留めた方ではなく、反対側だった。
「じゃーな~大雅ーっ」
麻生は振り返り、またあっけらかんと笑う。小さくなっていく麻生を、俺は只々突っ立って見送ることしか出来なかった。
「あ~……じゃあ私も行こうかな? 二人ともまた明日ね」
「うん」と、即答する真辺。うんって、おい。
「真辺さん、いいの? 一緒に帰ってあげなくて」
真辺は唇をつぐんで何も答えない。成海さんは仕方がなさそうに眉を下げると、小さく笑った。それから手をひらひらと振って、俺に背を向けてしまう。
心なしか、寂しそうに感じる後ろ姿。堪らず成海さんの背中に「気を付けて帰って」と、俺は一言声を掛けた。
なんか、色々。色々だ。
胸の奥で渦巻く謎のもやもやに、気分が滅入りそうになる。
だけど振り向いた時に見せた、成海さんの笑顔が俺を救ってくれた。
「うんっ、ありがと」
そう言って前を向き直る成海さんの背中は、ほんの少し違って見えたような気がした。
「ま、待ってよ綾瀬くん」
真辺を無視して、足早に改札を抜ける。あわよくば一人で電車に乗れたらと思いながら、俺はホームへ向かった。