――花野が倒れたとき、クラスメイトたちの心の中は、花野への同情と好奇心で溢れていた。真実を知りもしない彼らは、心の中で好き勝手言っていた。
そんな教室から、僕は逃げるように抜け出して、花野の様子を見に保健室へ行った。しかし、保健室で休んでいたはずの花野は、忽然と姿を消していた。
慌てて教室に戻ってみたが、姿はない。
一瞬焦ったものの、行き場所はすぐに検討が着いた。
あの公園だ。
僕は急いで先生に事情を説明して、公園へ向かった。そこへたまたま居合わせて、事態を知った宮本が私も連れて行けときかなくて、渋々一緒にやってきたというわけである。まぁ、公園までの道中、宮本の本心を垣間見れて、ホッとしたけれど。
予想通り、花野は公園の東屋にいた。母親の自死をクラスメイトである僕たちに知られてしまったことがショックだったのか、かなりしょげているようだった。
まっすぐに花野の元へ行こうとする宮本を止め、僕は少しの間だけでいいから話をさせてほしいと頼んだ。
きっと、今宮本と会ったら、ふたりはまた喧嘩になってしまうだろう。花野は今、絶望の中にいる。そんな彼女をさらに追い詰めるようなことだけはしたくなかった。
ずっと心の内に閉じ込めていた思いを打ち明けた花野は、声を取り戻していた。そんな彼女に、僕は道中聞いた宮本の本音を少しだけバラした。
するとすぐに隠れていた宮本が花野を抱き締めた。花野の本音に、宮本は涙を流していた。その後ふたりは本音をぶつけ合って、ちゃんと仲直りをした。
彼女の居場所が見つかって、心からよかったと思った。……けれど少しだけ、寂しさも感じた。
学校への帰り道、花野は僕に言った。
「今日はありがとう。いろいろ迷惑かけて、ごめんね」
「……僕はなにも」
まだ慣れない、花野の澄んだ水のような声に、僕は答える。
「私、蓮見くんには心を覗かれていたからかな……。だれにも言えないことも話せる気がするんだ」
「え……」
どきりとした。僕は、どういう言葉を返したらいいのか戸惑い、言葉を詰まらせる。すると、花野も困ったように眉を下げて、僕を見た。
「……でもね、私気付いたんだ。私、これまでずっと、心の中で思ってたことを我慢してた。優里花はそれを言ってほしかったって言ったけど……やっぱり言うべきじゃないこともあると思うんだ。心の中でとどめておくべき言葉も」
「…………」
「お母さん、心の病気だったから、私結構いろいろ言われたんだ。酷い言葉も、傷付く言葉も言われた」
お前なんて産まなきゃ良かったとか、私の前に現れないで、とか。思い出せばキリがない、と、花野は呟く。
「……本音と建前ってよく聞く言葉でしょ? 建前っていうと少し悪い印象に聞こえるかもしれないけど……でもそれって、言い換えると、思いやりってことなんだと思う」
「思いやり……?」
「どれだけ仲が良くても、友達同士でも……家族だとしても。言っちゃいけない言葉ってあると思うの。だからね、みんな、たしかに心の声とは裏腹の言葉を言っていたかもしれないけど……それは、相手を傷付けないようにっていう意図もあるんだと思う」
もちろん、心の声ぜんぶがそうではないと思うけど、と、花野は続ける。
花野のそのひとことは、僕の心の深いところにすうっと落ちた。
……あぁ、そうか。
クラスメイトたちは、心の中と口先ではいつも違う言葉を発していた。
もし、彼らが心の中の言葉をすべて本人へ直接言っていたら、揉めていたかもしれない。大きな
彼らの嘘は、『
「そっかぁ……思いやりかぁ」
君は、心の声をそう解釈するんだ。すごいな、そんなふうに思ったこと、一度もなかった。
「……蓮見くん?」
花野がそっと、僕を呼ぶ。僕は顔を上げ、花野に情けない泣き顔をさらした。
「……ありがとう。花野のおかげで、大切なことに気が付いた」
花野がにこりと微笑む。
その微笑みは、相変わらず息を呑むほど美しくて。この笑顔を、僕はこれからもずっと見ていたいと思った。
「……ねぇ、花野」
「ん?」
「これから花野のこと……澄香って、呼んでもいい?」
「……じゃあ、私も遠矢くんって呼びたい。いい?」
「うん」
僕たちは、再び並んで歩き出した。
――心には、表と裏がある。
それは、だれしも例外なく。
笑顔の裏。涙の裏。言葉の裏……。
この、僕たちが隠している『裏』を、ちょっとした『秘密』だと捉えたら、僕たちのこの日常も、とてもわくわくするような物語になるような気がした。
「……ありがとう、澄香」
『こちらこそ、遠矢くん』と、花野の心の声が聞こえた。
このときの花野の『こちらこそ』を最後に、僕はそれから、だれかの心の声を聞くことはなくなった。