「それにしても花野の声、初めて聞いた」
「あっ……」
そういえば、と喉を押さえる。いつの間にか、声が出ていた。母を失った日に失ったはずの声が。
蓮見くんが、私の手を優しく握る。
「ずっと、花野の声を聞いてみたかったんだ。花野の声で、本音を聞いてみたかった」
胸がきゅっと潰れそうになった。
「……ねぇ、ずっと言いたかったこと、あるでしょ。言いたくて言えなくて、呑み込んでたこと。……話してよ。聞くから」
その言葉に勇気をもらい、私はぽつぽつと想いを零す。
「私……ずっとお母さんに聞きたかったんだ。なんで死んじゃったのか。なんで私を置いていったのか。私はいらない子だった? 私がお母さんを追い詰めた? お母さんは私を憎んでいたの……?」
今さら訴えたところで、もちろん答えなんて返ってこない。だって、私のお母さんはこの世にはもう存在しないから。
……言ったって、仕方ないと思っていた。零れそうになる悲しみも苦しみも、疑問もぜんぶ呑み込んで、心の奥にしまいこんで。そうしていたら、いつの間にか私は声を失っていた。
「ずっと、ひとりで抱えてたんだね。ずっと……辛かったね」
蓮見くんが、私をふわりと抱き締めた。あたたかい。あたたかくて、涙が出そうになる。
ぐっと奥歯を噛んで、考えてみる。
私はお母さんのなにを知っていただろう。
物心ついた頃にはお母さんはもう心を患っていて、いつも泣いたり叫んだり、時には打たれたりした。お母さんの笑顔なんて思い出せないし、優しい声も知らない。死ぬそのときまで、私はお母さんに愛してると言ってくれなかった。
……それでも私は、お母さんを愛していた。お母さんが死んだとき、声を失うくらい悲しかった。
「ねぇ……花野。花野は、お母さんがいなくなってからずっとひとりで生きてきたって思ってるかもしれないけど、それは違うんじゃないかな。花野には宮本たちがいるでしょ」
顔を上げ、蓮見くんを見る。
「……宮本、花野のことすごく心配してたよ。さっきは……ちょっと言い方はきつかったかもしれないけど、花野が宮本の気持ちに気付いてくれないから、怒っただけだと思う。だって宮本、さっきものすごく泣いてたよ。心の中もぐちゃぐちゃだったから」
「え……嘘。優里花が?」
優里花は勝気で、家族をとても大切にする女の子。学校ではリーダーシップをとるようなタイプで、自分の意見もはっきり言う。
「私、優里花にはずっときらわれてると思ってた……」
そのときだった。
「――そんなわけない!」
いつからいたのか、優里花が東屋に入ってきた。優里花は私の顔を見るなり、泣きそうな顔をして駆け寄ってくる。
「優里花!? なんでここに……」
優里花は私の問いには答えずに、勢いよく私を抱き締めた。
「きらいなわけないでしょ! そもそもきらいだったら澄香のことなんて放っておくわよ! ……私はただ……悔しかったの。叔母さんが死んでから、澄香ぜんぜん笑わなくなって、喋らなくなって、私にもよそよそしくなった。昔はあんなに仲良しだったのに……だから、寂しかったの。……でも、さっきは言い過ぎた」
ごめんなさい、と謝る優里花に、私も慌てて、
「私こそ、ごめんなさい。優里花にも
でも、私は他人だから、優里花の家族の邪魔をしちゃいけない。甘え過ぎたら、またお母さんのときみたいになってしまうかもしれない。そう思ったら、足がすくんだ。
「優里花たちに気を遣わせてるのは分かってた。でも、また失うかもしれないって思ったら怖かったの。だから……だれとも接しないで、ひとりで生きるっていう選択をした」
そう言いながら、私はぼんやりと自分の足元を見つめる。
「……バカ。私たちは、家族だよ」
「……でも、私は」
身を引こうとする私の肩を、優里花が優しく掴む。
「あのね、澄香の苗字を変えないままなのは、本当のお母さんのことを忘れてほしくないからって、うちのママが言ってた。叔母さん、澄香のこと本当に愛してたからって」
「……そんなの、ただ私に気を遣っただけで……」
きっとそう。だってママは、私を愛せなかったから死んだのだ。
「そんなことないよ。だって、うちのママと叔母さんは姉妹なんだよ? 私たちが小さかったときのことも、うちのママはぜんぶ見てるんだから。澄香も私も、自分が生まれたときのこと知らないけどさ、知ってる人は今もちゃんといるんだよ。だから……今はまだ、叔母さんとの記憶は辛い思い出しかないかもしれないけど……もう少し、澄香の心が元気になったら、ぜんぜんそれだけじゃないってことを教えてあげたいって、ママ言ってたよ」
涙で視界が滲んだ。
……そうだ。私は、私が生まれたときのことを知らない。お母さんがどんなに苦労して私を産んだのかも、どんな顔で育ててくれていたのかも……。
「病気になる前のお母さん……」
「ねぇ澄香。死んじゃった人に口はないから、死ぬ直前に澄香のお母さんがどう思ってたかは分からないけどさ。でも、病気になると人は変わるって、ママが言ってた。特に、心の病気はね」
……そうなのだろうか。
本当に、自分の娘のことまで考えられなくなるほど、分からなくなってしまうの? 自分でお腹を痛めて産んだ子なのに?
私には、分からない。……分からない。お母さんがどう思っていたのか……。知りたいのに。
「大丈夫。今だって、澄香はひとりじゃない。叔母さんのこと、これから知ることだってできるんだよ」
堪え切れず、ぽろぽろと涙があふれた。泣き出した私を、優里花が優しく抱き締めてくれる。
「……ずっと我慢してたんだね。気付いてあげられなくてごめんね」
私は口を結んだまま、ぶんぶんと首を振る。
「……私こそ……今までごめん。……ありがとう」
久しぶりに聞いた自分の声にはまだ慣れないけれど、少しづつ身体に馴染んでいくような気がした。