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第6話


 それは、ディスカッションの授業三限目のことだった。

「――いい加減にしてよ!」

 それぞれグループになってどの作品をPRするか決めていると、突然、教室内に女子生徒の怒鳴り声が響いた。

「あんたの番だって言ってるでしょ!」

 驚いて顔を向けると、そこには険しい顔で花野を見下ろす宮本の姿があった。

 なにごとだろう、と宮本を見つめていると、宮本は吐き捨てるように花野に言った。

「いつもいつも暗い顔して……少しはこっちの気持ちも考えたらどうなの!? こっちだって気を遣ってやってんのに!」

「ちょ、ちょっと優里花、落ち着いてよ。そんなこと言ったって、花野さんは喋れないんだから仕方ないじゃん」

 どうやら、花野は本の紹介を喋れないからと拒否したらしい。しかし、宮本は納得できないようだ。

 周囲の女子が止めに入るが、宮本が引く様子はない。

「話せないからって、まるっきり伝えられないわけじゃないじゃん! 話せないなら書いて言えばいいでしょ! これは授業なの! ひとりだけやらないとかなしだから!」

 花野は俯いたまま、静かに宮本の罵声に耐えている。

「……いつもそうやってだんまりして。なにか言い返したらどうなのよ!」

「ちょっと優里花……」

「こっちはいつも大変なの! 突然親がいなくなったあんたを引き取らなきゃいけなくなって、ママもパパもめちゃくちゃ気を遣ってるんだから! うちの家族はみんなあんたに気を遣ってるのに、あんたはずっとひとりぼっち不幸です、みたいな顔して、学校でも周りに気を遣わせて!」

 宮本は一度言葉を切り、はぁーと息を吐いた。そして、言った。

「……私、あんたの母親が自殺した理由、分かる気がする。あんたといると、気分が沈むのよね。あんたのそういうところにうんざりしてたんじゃないの」

 宮本の言葉に、花野がハッと顔を上げる。その目は次第に潤んでいく。

「優里花、やめなよ」

 教室中がざわついた。

「うん、ちょっと、言い過ぎだよね」

「さすがに……ねぇ?」

 クラス中がざわめき出す。花野は凍り付いたように動かない。

「というか、ふたりが従姉妹っていうのは知ってたけど……」

『ふたり、一緒に住んでるの?』

「え、嘘。花野のお母さんって自殺したんだ」

『でもなんで自殺?』

『花野さん可哀想……』

『というか、自殺ってヤバ』

 ひそひそとした声だけでなく、心の声もざわつき始める。

 花野は小さな身体をさらに小さくして、俯いている。そんな彼女に、宮本はさらに続けた。

「……あんたって、いつもそう。ずっと受け身で、根暗で。一緒にいるだけでうんざりするのよ。部活もやってないのに、毎日これみよがしに遅く帰ってきて、ママやパパを心配させてさぁ。挙句、遅刻ってなによ? 理由もなにも言わないし。いい加減、可哀想な子ぶるのやめてくれない? どうしてこっちがいちいちあんたに気を遣わなきゃいけないのよ。うちってそんなに居心地悪い? 気に入らないなら、出ていけばいいじゃない! クラスメイトたちもうちら家族も、あんたにはめちゃくちゃ迷惑してるの! あんたがいなくなったらせいせいするんだから!」

「おいおいどうしたんだ? うるさいぞー」

 席を空けていた先生が、異変に気付き慌てて戻ってきた。

「なんだ、宮本。なにがあった」

「……べつに」

 先生がため息をつく。

「ほら、全員発表に戻りなさい」

 生徒たちは渋々授業に戻る。宮本も大人しく座った。

「あ……でも次、花野さんだよね」

 気まずそうにひとりの女子生徒が言う。すると、宮本は鼻で笑いながら言った。

「飛ばしていいんじゃない。どうせこの子、なんにも言わないんだから」

 吐き捨てるように宮本が言うと、とうとう花野の大きな瞳から、涙がぽっと落ちた。

 これにはさすがに頭にきた。

 ひとこと物申してやろうとして席を立った瞬間に、僕より早く先生が怒鳴った。

「宮本! いい加減にしろ! 花野に謝れ!」

 宮本はふんっと顔を逸らした。

「宮本、おまえな……」

 先生がさらに説教を始めようとする前に、花野が教室から飛び出した。

「あっ……」

 宮本が声を漏らす。

『違うのに……本当はこんなことを言いたかったわけじゃないのに……』

 ざわざわと、宮本の心が揺れる声が聞こえた。きっと、花野の顔を見て瞬時に後悔したのだろう。

 しかし、その直後のことだった。廊下からバタン、となにかが倒れる音がした。嫌な予感がして、僕は慌てて扉を開けて廊下に出た。

「花野っ!」

 見ると、花野が倒れていた。

 倒れた花野に駆け寄り、その身体を抱き起こすと、布越しでもかなりの熱を感じた。

「花野! しっかりして!」

 必死で声をかける。

 と、そのときだった。花野の心の声が荒波のように僕を襲った。

『もうやだ』

『私、なんで生きてるんだろう』

『うるさい、うるさい、うるさい』

『ひとりにして。もう、私にかまわないで』

『みんな、きらい』

『どうせだれも、私のことなんて分からないくせに』

「花野……」

 その日、初めて聞いた花野の心の声は、絶望に満ちていた。

『――もう、死にたい』



 ***




 母が死んだのは、私が中学二年生のときだった。

 鬱病を患っていた母は、ある日家に帰ると玄関で首を吊って死んでいた。

 自殺した母は遺書を残しておらず、私へのメッセージはなにもなかった。母との最後の会話は、前日の夜の『おやすみ』というありきたり過ぎるものだった。

 私は、母にとってなんだったのだろう……。

『可哀想に』

 可哀想? だれが? 私が?

『あんな形で母親を亡くすだなんて』

 あんな形って? もしかして、自殺のこと?

『きっと、子育ての限界だったのよ。ひとりで働きながら、澄香ちゃんを育てなきゃならなかったんだもの』

 ――あぁ、そっか。お母さんが死んだのは、私のせいなんだ。

 お母さんの心を殺したのは、私。

 私は人殺し。

 ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 私がいなければ、お母さんは――。

 叫びたくても、もう声は出なかった。


 ――パッと目を開けたら、斑模様の天井が見えた。何度か瞬きをして、その天井が保健室のものだと気付く。

 そっか。授業中、倒れたんだ、私。

 ……悪夢を見ていた気がする。わずかに乱れた呼吸を整えながら、私はよろよろと身を起こした。

 白く清潔なカーテンが揺れている。

 小さく息を吐きながら、目障りな前髪を耳にかけた。カーテンの隙間から見える時計は、十一時を指している。

 まだ四限目の途中。目が覚めてしまったから、もう戻らないとダメだろうか。

 ……いやだなぁ。戻りたくない。いっそ、あのまま目が覚めなかったらよかったのに。

 カーテンの隙間から零れた陽の光が、シーツを照らした。

「…………」

 私は、そっと学校を抜け出した。

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